ここでは、精神分析の創始者にして、20世紀の思想・哲学に多大な影響を与えた、ジークムント・フロイトについて書いたものをまとめておきます。フロイトの性理論を、可能な限り体系的・論理的に再構成した「フロイト性理論の再構成―セクシュアリティの解釈学の基礎づけ」が主要コンテンツとなります。
目次
フロイト理論の体系的な再構成
こちらは私がフロイトを読んで考えたことを総括したもので、私のいつもながらの悪い癖で長大な—そして、おそらくは冗長な—論考です。
しかしながら、これをかつて書いた自分を擁護して言えば、本論考は、もし読み通したならば、フロイトの精神分析がどんな治療的な営みであったか、「無意識」とは何か、フロイトの性理論とはいかなるものだったか、フロイト的な人間観とはどんなものだったか、そしてフロイトの最深の問題意識とは何だったか、といったことに体系的に答え、そこにおけるフロイトの立場を可能な限り論理的に提示するものとなっているはずです。
総括的にいえば、フロイトの精神分析の実践とは、近代において「家族」が経済的・政治的な機能を失っていき、まさに「愛」のための場所として純化されていくなかで、その「愛」の機能不全に対処しようとした実践、論考のなかでたびたび繰り返した言葉を用いれば、主体の「Liebesfähigkeit(愛の能力)」のための実践です。
フロイトの精神分析は、「身体的 = 器質的」には問題がないのに、さまざまな身体症状が現れる「ヒステリー」から出発し、ヒステリーを典型とする「神経症」を主たる対象としましたが、神経症とは、フロイト曰く、根本的には「現実的な愛の要求に応えることの不可能性」だったわけなのです。
この問題を考えぬくため、フロイトはそれまでのセクシュアリティの概念を根底から覆し、人間にとってセクシュアリティとは何か、男性性とは何か、女性性とは何か、そして異性愛とは何かといったことに、彼なりの全く新しい規定を与えていきます。そのラディカルさは、現在においてもやはり振り返りべき価値のあるものです。
本稿は、以上の観点から、ヒステリーというフロイトの臨床的出発点から始め、無意識の概念、そしてフロイトの性理論の構成へと議論を展開していきます。詳しくは以下より、ご参照いただければ幸いです。
その他の小論
ここでは、フロイトに関するその他の小論を載せておきます。精神分析は、「精神分析批評」なるものを生み出すほど、文化作品の考察などにおいても、非常に有益な視点を提供するものです。ここでは、フロイト理論自体を紹介する小論に加えて、「精神分析批評」的な文化論なども載せていく予定です。
フロイトの自我論と「自己意識」の問題
ハイデガーの「存在論的差異」とフロイトの「性的差異」
「愛」—ドイツ思想史の視角から
こちらは、フロイトの愛の議論を、私なりにドイツ近代の思想史の流れの中に位置付けつつ、もう一人の「愛」の思想家であるルーマンとの差異を整理したものです。