ルーマンを読む

 ここではドイツの社会学者のニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)について書いたものをまとめておきます。特に『情熱としての愛』を読解した「徹底解読『情熱としての愛』徹底解読―ニクラス・ルーマンの「愛」の概念」が主要なコンテンツです。

徹底解読『情熱としての愛』徹底解読―ニクラス・ルーマンの「愛」の概念

 「社会システム理論」で有名なルーマンですが、私の研究は『情熱としての愛 親密性のコード化(Liebe als Passion Zur Codierung von Intimität)』という著作にまとめられている、彼のいわゆる「愛のゼマンティク」に関するものです。

 近年、遺稿から出版された『愛についてのゼミナール(Liebe Eine Übung)』をも援用することで、ルーマンの愛についての探求全体を体系的に再構成し、要するに広く「理解可能」にすることを試みるものです。以下のリンクより、「はじめにと目次」のページに飛びます。

 徹底解読『情熱としての愛』徹底解読―ニクラス・ルーマンの「愛」の概念

 ルーマンの「愛」の議論は、愛についての独自の体系的な解明となっているだけでなく、ルーマン自身が自分の著書のなかでも特に重要視していたことに示されているとおり、彼の社会システム理論の構想全体を理解するうえでも重要な意義があるはずです。その意味で、ルーマンの「愛」についての議論を読むことは、様々な人にとって、非常に生産的な作業でありうると思います。

社会的ヒエラルキーの理論的認識に向けて

 こちらは上の論考を書いていたときに、ある種副産物としてできたものなのですが、「社会的ヒエラルキー」という現象を理論的に認識する試みとして書いたものです。未完ではありますが、ルーマンのメディア論を基礎としつつ、社会的ヒエラルキーという特異な現象の本質に迫るもので、結構、面白くかけたのではないかなと思っています(夏目漱石の『明暗』をうまく使えたのも自分としてはうれしかったです)。

 社会的ヒエラルキーの理論—あるいは、「絶対的」革命の可能性

「愛」—ドイツ思想史の視角から

 こちらは、ルーマンの愛の議論を、私なりにドイツ近代の思想史の流れの中に位置付けつつ、もう一人の「愛」の思想家であるフロイトとの差異を整理したものです。

「愛」—ドイツ思想史の視角から

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