第一章 「否定的なもの」と「政治的なもの」

 さて、本章は「否定的なもの」から「政治的なもの」への移り行きを遂行する。つまり、「否定的なもの」の存在論の適用がいかにして「政治的なもの」と呼ぶべき事態を描き出すことになるのかを見ることを試みる。それが紆余曲折するジジェクの政治一切の基礎にあるからである。

 本章の目的は、ジジェクの政治の多岐にわたり錯綜する様々な結論を枠付けている、一番広い枠組みを提示することである。以上のことの出発点として適切なのはOliver Marchartの”Post-Foundational Political Thought”だろう。かくして本章では第一節で当該書を検討し、しかる後、第二節でこの移り行きの遂行のジジェク的な形態を追跡する。

1、ポスト基礎づけ主義的政治理論と左翼ハイデガー主義

 先に述べられた通り、まず参照するべきは序論第二章で「欠如の存在論」をめぐって参照した著者であるOliver Marchartによる単著”Post-Foundational Political Thought : Political Difference in Nancy, Lefort, Badiou and Laclau”だろう。

 その主題は本項のタイトルに掲げた「左翼ハイデガー主義(Left Heideggerianism)とポスト基礎づけ主義的政治理論」である。本書のいわゆるポスト基礎づけ主義的立場とは最終的な根拠の不在とそれ故の部分的で複数的な根拠付けの存在を同時に主張する立場であり、最終的根拠から全てを根拠付ける「基礎付け主義」と一切の根拠づけを否定する「反基礎付け主義」から区別される。

 このポスト基礎づけ主義的立場にあって広く見られるのは通常の「政治(politics/la politique)」に対して優れた意味での「政治的なもの(the political/le politique)」を対置するという概念構成であり、「政治」は特定の根拠づけの「枠」内で行われる通常政治であるのに対して、「政治的なもの」は根拠の無根拠が露呈し、それ故の新たな根拠づけが為されて「枠」そのものが更新されるラディカルな変革の契機である。

 本書は両者の差異を「政治的差異」と呼んで明確にハイデガーの「存在論的差異」に結びつける。本書が主に取り扱う固有名は、本書の副題に掲げられた通りだが、彼らに共通するポスト基礎付け主義的立場とそれに密接に連関する「政治的差異」の起源はハイデガーにあるとしてMarchartはハイデガーに遡行する。

 本書によるとポスト基礎づけ的立場と見なしうる以上の面々はかくしてある仕方でハイデゲリアンであり、ハイデガー的な概念構成を用いてハイデガー自身の疑わしい―どころではない(?)―政治的立場を超えてより左翼的・進歩的な立場を構築しようと試みているのだとされる。

 このハイデガー起源という点についてはMarchart自身の簡潔に過ぎる論述に依拠するより、私たちの第一部第三章での解明を援用したほうがよいだろう。というのもMarchartはなぜハイデガーの哲学が「存在の思惟」であることによってこそ、いうところのポスト基礎付け主義的立場に想到したのかを解明していないし、またそれ故に、少々奇妙な物言いだがポスト基礎づけ主義的立場自身をハイデガーから基礎付けるということを十分に遂行しえているようには思われないからである1)ハイデガー理解におけるMarchartに対するもう一つの異議は、ここで詳細に展開する準備は無いが、ハイデガーにとって存在のもっとも根本的な次元が、存在者と存在の存在論的差異のうちの一つの項としての存在ではなく、むしろ、存在論的差異そのもの、差異としての差異であるということについての、Marchartの解釈が誤っているように思われることである。―ハイデガーの思惟はそれが「存在の思惟」であればこそ、私たちの現実性一般に適用可能であるという普遍性を持つのである、というのも、現実の現実性を規定しているのが存在なのだから。

 いつものように再び「Seiende/Sein(Seiendheit)/Seyn」の三層構造から出発しよう。Seiendeは私たちの周りにある様々な諸事物だが、SeinはSeiendeをSeiendeとして、存在者を存在者として規定している当のもの、「存在するとは何か」への答えであり、まさしく何が「存在する」のか、何が「現実」なのかを規定する次元、「何が現実として私たちに現れてくるかを決定する」(Žižek [2012:9])次元であって、人間的現実・経験を初めて可能にするものとして、あるいはもっとハイデガー的に言えば世界の開示としての真理を根拠づけるものとして、「根拠」の決定的な形象である。それは存在者に関わる「経験」を初めて可能にする「超越論的」次元であり、現実の現実性を根拠付けている。

 だが、このSeinによるSeiendeの根拠づけを初めて可能にする両者の差異化作用、「存在する」ということによって徹頭徹尾規定されている人間的経験を初めて可能にするこの差異化作用、SeinとSeiendeの存在論的差異を初めて可能にする差異化作用、差異としての差異、Seynは、「ある!」ということの端的な開示、「存在の真理」として存在者の直中に生起する「無」であり、「退去」であり、「自己隠匿」であり、私たちの言葉でいえば「否定的なもの」である。そういうものとしてSeynは他の何ものにも根拠づけられないという意味で絶対的に無根拠なものであると同時に、ある後退の運動性として絶対的な無根拠化・深淵化の運動である。

 だが、そういうものとして唯一それだけが存在者を存在者として、現実を現実として根拠づけるSeinを初めて可能にするものでもある。ハイデガー曰く、「贈られたもの、つまり、Seiendeの根拠づけという視点におけるSeinが聴取できるために」、贈りの作用にして無根拠・深淵(Ab-grund)そのものであるEs gibt/Seynは自らを差し控えてくれる(GA14.13)。

 私たちが「形而上学」的にであれ何であれ―ハイデガーのいうところの「形而上学」とは、Seynという深淵から存在者に直ちに立ち返り、そこから出発すること、「存在者とは何か」という問いである―現実の現実性を確信することで、「不安」にならずに安心立命といくのは、この奥ゆかしき(?)Seynの慎み深さのおかげだというわけである。

 ところでこの「奥ゆかしい」という日本語はもともとその「奥」へと「心が惹かれる」という意味だが、ハイデガー曰く退去することによって私たちを惹きよせるSeynに奇妙にぴったりくる表現である。もちろん、私たちの視座からすれば、ここにあるハイデガー的なひねりは、Seynは奥深い何か、「奥深い存在」なのではなくして奥深さそのものであるということ、それゆえに、いつまでも差し控え、慎み深く、奥ゆかしいだけではなくて、そのように後ろに引き下がり続けることの極限において―少なくとも「存在の歴史」の構想からすれば―いつか、奥深さそのもの、深淵そのものとして激発し、自らの本質を露わにするということである。

 この激発が「存在の真理」としてのEreignisである。そこでは現実の現実性、現実を意味的に開示する地平としての世界の裏面、その絶対的な無根拠・深淵が自らを開示し、だが、その「無」、無の無化は同時に「ある!」ことの端的な感受として「存在の真理」であり、そこから新たな意味的な地平の開示、世界の開けそのものが再創設される2)ところで、ハイデガーの「存在」における、この絶えざる「退去」とその極限におけるEreignisへの反転の二面性が、ジジェクが絶えず批判するレヴィナス-デリダ的な「他者」への開けの倫理ないし政治と、ジジェク自身が擁護する世界・象徴秩序のラディカルな再創造としての「行為」の政治の二重性に反映されているようにも思われる。後者はまったき無根拠・深淵の開示であり、そこでは「決断」と呼ばれるべき何かのみが可能である(cf. Žižek [2006a:367-394], Žižek and Daly[2004:106])。。私たちは、もちろん、否定的なものの否定性から、革命的なものの革命性を、ラディカルなもののラディカルさを考えるから、これは私たちにとってある意味で革命そのもののもっとも純粋な規定である。

 さて、確かに以上の構図に、ポスト基礎づけ主義的立場と政治的差異の起源を見て取れる。「政治(politics/la politique)」は現実性の特定の規定、つまり特定の「存在」の地平の枠内で行われる、存在者に関わる営み、つまりオンティッシュな営みであるのに対して、「政治的なもの(the political/le politique)」は以上の三層構造でいえばSeynの次元に関連し、現実性を規定する枠組みたるSeinそのものの無根拠性の露呈と新たな枠組みへの「決断」を含む、というのも、この語が何を意味するかは更に探求されなければならないにせよ、絶対的な無根拠であるSeynのうちでなされることを名指しうる語はやはり「決断」のみだからである。

 これがハイデガーが「存在」に関して「決断」という言葉をよく用いる理由の一つだろう。この「存在の真理」の生起にあって、何が現実的なのかの基準が深淵のうちで決定される。こうして「政治的なもの」の契機の特権化は、ハイデガー的なEreignisと何がしかの繋がりを保っているといえるだろう―よく言えば、それを柔軟でより広範に使用可能なものにしたということになるだろうし、悪く言えば、その意味を拡散させ薄めてしまったということにもなるだろうが。

 さて、このようにして存在はSeinとして根拠づけるが、Seynとして無根拠化する。この二重性は最終的な根拠の不在と、それ故の部分的で複数的な根拠付けの存在を同時に主張するポスト基礎付け主義の二重性そのものである。Marchartは以上の図式を基礎にその様々なヴァリエーションを先のいくつかの固有名に即して分節しているが、私たちとしてはここにジジェクをも加えることができるだろう。以下で私たちはジジェクに話題を移すが、そこで、この「政治的差異/政治的なもの」を巡る議論はそのジジェク的な展開にくみ尽くされうるものではなく、この点まだまだ広い探求のための領野が広がっていることは当然に前提とされている。

 さて本節はSeynと「政治的なもの」の繋がりをMarchartに依拠することで明らかにしたが、Seynが私たちのいうところの「否定的なもの」が同じものである限りで、「否定的なもの」と「政治的なもの」の最初の関係づけが果たされたといえよう。「否定的なもの」の契機は一切の存在論的「構築物(edifice)」の最終的無根拠性を暴きだすこと、それが常にすでにある「決断」に依拠していたこと、ジジェクならこう言うだろうが、一切の肯定的秩序は絶対的否定性の肯定化にすぎないこと明らかにすることによって、新しい「決断」のための場を開く、その意味で優れた意味での「政治的なもの」と呼ばれるべきものなのである。

 ジジェクに話を移すにあたって、ジジェクの主著のひとつ”The Ticklish Subject”の副題に焦点をあわせておくのがよいだろう。Marchartは以上の(Seynとしての)「政治的なもの」という解釈から、すべての(Seinレベルの)存在論は最終的に偶然的で政治的な「政治的存在論」であり、その意味で政治哲学―明らかにこれは普通に言われるところのそれではないが―こそが第一哲学だという結論を引き出しているが、ジジェクの上掲書の副題は「政治的存在論の空虚な中心」となっている。その意味は、もちろん、「政治的存在論」の中心に座する「否定的なもの」とはジジェクにとってはまさしく「主体」であるということである。

2、「否定的なもの」と「政治的なもの」との連関のジジェク的構築

 さて、私たちは以上の解明を基礎として「政治的なもの」の概念のジジェク的な彫琢をより仔細に追跡していこう。ここで『「政治的なもの」の概念』といえば、「友」と「敵」への分割としての「敵対性(antagonism)」を政治特有の区別として、「政治的なもの」として解明するシュミットの解明がすぐに想起されるが、ジジェクもこの意味での「政治的なもの」を恐らくはムフとラクラウを経由する形で継承する。

 では、この二つの、いわばどこかしらハイデガーを継承している「政治的なもの」と、どこかしらシュミット由来の「政治的なもの」とはいかに関係しているのか。ジジェクの理論的挙措は、前者の「否定的なもの」としての「政治的なもの」を、後者、すなわち経験的な「敵対性」としての「政治的なもの」、つまり「敵対的な陣営へのパースペクティブの分割」を不可避なものとする「純粋」で「内在的」な敵対性と見なすことである(Žižek [2006a:249-254])。

 この構図をはっきりと描き出すためにジジェクがしばしば以上に用いる例―これはひょっとすると「世界の夜」に次いでジジェクによってしばしば引かれるものであるかもしれない―が、レヴィ=ストロースが『構造人類学』で語っているという、ある部族の例である。まず引用しよう。

クロード・レヴィ=ストロースが『構造人類学』で行った、五大湖周辺の部族のひとつであるウィネバゴ族の建物の空間的配置に関する研究がここで何かの助けになるかもしれない。この部族は二つの下位集団(「半族」)、「上から来たもの」と「下から来たもの」に分たれている。紙か砂の上に村の平面図(小屋の空間的配置)を描き出すように頼むと、私たちは依頼した相手がどちらの下位集団に属しているかによって二つのまったく異なった答えを得る。どちらも村を円として知覚しているが、一方の下位集団にとっては、この円のなかに中心的な家々が織り成すもう一つの円があるのであって、結果として私たちは二つの同心円を得る。他方でもう一方の下位集団にとっては、円が明確な分割線によって二つに分割されている。言い換えると、最初の下位集団(「保守的コーポラティスト」と呼ぼう)のメンバーは村の平面図を中心にある寺院の周囲に多かれ少なかれ対称的に配置された家々の輪として知覚するのに対して、二つ目の(「革命的-敵対的な」)下位集団は村を不可視の境界線によって分離された二つの別個の家々の集団と知覚する。

 ジジェクが引用の最初で「ここで」と言っているのは、究極的には「実体」的な〈物〉ではなく否定的なものとして〈現実界〉を解釈する試みにおいてという意味である。この例から否定的なものとしての〈現実界〉の地位が、そして今問題になっている「純粋」な敵対性という事態が鮮明に浮かび上がるとジジェクは考えている。引用を続けよう。

レヴィ=ストロースが作り出そうとしている論点は、この例によって文化相対主義へと誘い込まれるべきではないということである。文化相対主義にいわせると[この例からは]社会空間の知覚は観察者の帰属集団次第だという[帰結を引き出すべきだという]ことになる。[しかるに、ここでなぜそのような複数化が生じ(う)るのかを考えるべきで、そうしてみると、]だが、二つの「相対的」な知覚への分割そのものはある不変のものへの隠された参照を含意する。その不変のものは客観的な「実際の」建物の配置ではなく、村の住人が象徴化し、説明し、「内在化」し、折り合いをつけることが出来なかったトラウマ的核、共同体が自らを調和した全体へと安定化させることを妨げる社会関係における不均衡である。平面図の二つの知覚は単に、均衡のとれた象徴的構造を押し付けることによって、このトラウマ的な敵対性に対処し、その傷をいやそうとする二つの相互に排他的な試みなのである。ここでこそどんな正確な意味で〈現実界〉が歪像(anamorphosis)を通じて介入するのかを見て取ることが出来る。最初にあるのは家々の「実際の」「客観的な」配列であり、続いて二つの異なる象徴化が歪像的な仕方で実際の配列を歪曲する。しかし、ここで〈現実界〉は実際の配置ではなく、村の家々の実際の配置への部族の成員の見方を歪曲する何らかの社会的敵対性のトラウマ的な核である。(Žižek [2009a:25-26])

 どんな存在論的・象徴的構築物も、自らを不完全で「全て-ではない」にする「否定的なもの」に取り憑かれているということは、つねに現にあるパースペクティブとは別のパースペクティブが存在することを示している。その実、この「否定的なもの」が初めにあって、どんな完全に客観的な認識、Marchart流にいえば最終的根拠をも不可能にし3)恐らくもっとも困難であり私たちが本稿で扱うことの出来ない課題は、この最終的根拠づけの不可能性、私たちの言葉でいえば、否定的なものの不可避性を認めつつ、肯定的な政治体制を評価する何らかの理にかなった基準を作り出すという課題である。、視座の不可避的な複数性を生み出す。

 なぜこのことが不可避なのか。このことは第一部全体が述べてきたことであり、また前節でもハイデガーを通じて論じられたのだが、ここで第一部で強調されたジジェクの考え方の一つを改めて取り出しておこう。それは人間の「有限性」だけが世界の意味的な開示、すなわち象徴化を可能にするということである。

 その中心論点は第一に、そうでなければ認識は物自体に到達して複数的な象徴化のための余地が無くなってしまうということであり、そして第二に、直観が有限であればこそ、その領野は全て-ではなく、「無」があり、それのみが「存在」の開示を可能にするという、かなりの程度ハイデガー的な論点である。

 つまり、まずあるのは「有限性」であり、それが(これもまた別の意味で有限性であるが)「否定的なもの」の不可避性を含意し、しかるのち象徴化がある。「有限性」と「否定的なもの」が象徴的領野を可能にしており、従って完全に客観的な視座は存在しえない。「有限性」と「否定的なもの」が初めにあるために複数的な視座が不可避なのである。

 かくしてジジェクは「世界の夜」という「人間に構成的なギャップは三つの次元で現れる」として、その一つに「敵対性という〈現実界〉」を挙げ、以下のように正確に規定している。

それは敵対性という〈現実界〉として現れる。これは二項間の差異なのだが、逆説的にそれがその差異であるところのものに先行する。二項はというと差異への反動、そのトラウマに対処する二つの方法なのである。(Žižek 2009:44)

 以上からジジェクが二つの「政治的なもの」、仮に第一節との繋がりから両者をハイデガー的なそれとシュミット的なそれと名指すとすれば、その両者をいかに構造化しているかはもはや明らかだろう。初めにあるのは「否定的なもの」ないし〈現実的なもの〉であり、それがどんな完全に客観的な立場も不可能にしている。

 どんな立場から出発しても、自らのパースペクティブへの統合しえなさが残存するのであって、ということは、別のパースペクティブ、自らとは他なるそれが存在するということになる。「否定的なもの」がパースペクティブの不可避的な複数性を生み出す。このハイデガー風の「否定的なもの」が「純粋」で「内在的」な敵対性であり、友と敵との経験的なシュミット的「敵対性」の可能性を回避不可能なものにする。

 さて、以上の事が認められたなら、次にそこで産出された複数的なパースペクティブの質的差異の評価の最小規定へと話を移していこう。これがジジェクの政治的立場どりに対するもっとも基礎的な規定、もっとも広い規定を与えることを可能にする。

 それは政治的立場の根源分割、右翼と左翼の差異に関係する。いまだ私たちの手元にあるのは「否定的なもの」ないし〈現実的なもの〉と不可避的なパースペクティブの複数性だけだから、このパースペクティブの質的差異を規定し評価するとして、その基準がどこから来るかといえば、それは各々のパースペクティブがパースペクティブの複数性に関わる仕方、もっと根本的には純粋で内在的な敵対性に関わる仕方からのみである。

 すでにウィネバゴ族の二つの部族について提案された呼称に現れているように、ジジェクにとって「右翼」とは、この純粋な敵対性を否認して社会を統一的な全体として表象する立場であって、それに典型的な操作は敵対性の外在化、もともと調和的な全体である社会とそれを脅かしている外敵という構図を打ち立てることである。だから右翼は、しばしば敵対的なパースペクティブを持つ左翼を外国人などの外敵と結託しているかのように表象するのである。それが右翼的な視線特有の歪みを表現する。

 他方で「左翼」とは、この純粋で内在的な敵対性、「否定的なもの」を否認したり外在化したりするのではなく、その社会への不可避的な内在性、更には―少なくともジジェク的には―人間存在への不可避的な内在性を承認するところから出発する。

 こう概念化することでジジェクは明確に「右翼」に対して「左翼」という立場を特権化する。ここでジジェクが先のレヴィ=ストロースの例に依拠する形で「真理」の一つの意味を定式化していることに触れておくべきだろう。

全てが現象・見かけの相互作用にすぎないのではなく、〈現実界〉が存在する―しかし、この〈現実界〉はアクセス不可能な〈物〉ではなく、私たちの〈物〉へのアクセスを妨げるギャップであり、部分的なパースペクティブを通じて私たちの知覚対象への見方を歪曲する敵対性という「岩」である。「真理」は物事の「現実の」状態、パースペクティブの歪みなしに「直接」対象を見ることではなく、まさにパースペクティブの歪みを引き起こす敵対性という〈現実界〉である。(Žižek [2009a:281])

 確かに客観的な物事の状態という意味での「真理」は不可能だが、全てが単に主観的であるわけではない。「真理」は様々に相異なる主観的パースペクティブを生み出す「否定的なもの」であり、この「否定的なもの」として諸々の状況の「真理」が存在する。そしてこのような「真理」は当然ある偏ったパースペクティブからしかアクセス出来ない―偏っていないパースペクティブなど存在しないのだから。

 そして「左翼」の立場の特権化に話を戻すなら、この純粋な「敵対性」をそのものとして認める偏ったパースペクティブにジジェクは「左翼」という言葉を割り当てている。少々我田引水的(?)な議論展開かもしれないが、「左翼」であるとは「否定的なもの」へと開かれた態度、どんな集団的絆をも分割し、一切の秩序の「無根拠」を露わにし、それを新たな決定へと開くもの、状況の全き開け、「一切が可能である」かのような奇跡的な瞬間を作り出す「否定的なもの」の生起―これは先に述べたように私たちの考えるところ革命そのもののもっとも純粋な規定だが―に開かれてあることを意味するのである 。

 さて、ここでやはりジジェクの印象的な記述を引いておくのがよいだろう。

近年の政治的動乱の内で出現したもっとも崇高なイメージは―ここで「崇高」という言葉は厳密にカント的な意味で考えられなければならない―疑いなく、ルーマニアでのチャウシェスク政権の暴力的な転覆に際しての一枚のユニークな写真だった。反逆者が国旗を振りかざしているのだが、そこから赤い星、コミュニストの象徴が切り落とされており、結果として、国民生活の組織原理を現す象徴の変わりに、旗の中心にはただ穴があるだけという具合になっているのである。「その生成のうちにある」(…)歴史的状況の「開かれた」性質を示すこれ以上に顕著な印を想像することは難しい。(…)本当に重要なことはブカレストの道という道になだれ込んだ群衆が状況を「開かれた」ものとして「経験」したということであり、彼らが一つの言説(社会的つながり)から別の言説への移行の中間的な状態に参加したということ。その状態の中で、短くすぐに過ぎ去ってしまう一瞬間、大文字の〈他者〉、象徴秩序の中の穴が可視的になったのである。群衆を惹きつけていた熱狂は文字通りこの穴、どんな肯定的なイデオロギー的プロジェクトによっての未だヘゲモナイズされていないこの穴をめぐる熱狂だったのである。(Žižek [1993:1])

 この意味で「左翼」的であることは、ジジェクの哲学、「否定的なもの」の存在論とでもいうべきものに適合的なものであり、ジジェクの様々な政治的言明のもっとも基礎にある立場取りである。以下の諸章では、この枠内で試みられたいくつかの立場取り、ジジェクによる自らの哲学の政治への応用の試みが追跡されることになる。

補節 ハイデガー的全体主義批判(?)

 私たちは本章をMarchartが左翼ハイデガー主義と呼ぶものから議論を始め、そこにハイデガーの「存在の思惟」を転用した政治的差異ないし「政治的なもの」の概念の彫琢を見て取った。

 それは最終的な閉域化を不可能にするものとして、ある仕方において反全体主義的なものであり、ジジェク的な全体主義批判もこの線に沿うものだが、これはあくまで「転用」であり、ハイデガー自身には関係のないものなのだろうか。思うにハイデガーにもこの政治的転用とも言うべきものの萌芽となるような議論が存在する。この補節ではそのことを見ておこう。

 注目するべきは、ハイデガーが1936年から1938年にかけて書いた『哲学への寄与』の冒頭近くで以下のように述べていることである。「世界観についてのどんなスコラ学(Weltanschauungsscholastik)も哲学の外部に立っている。なぜなら、それはSeynの「問いに値する」という性格を否認することに基づいてのみ成り立つからである」(GA65.5)。

 世界観が「Seynの「問いに値する」という性格を否認する」ということの意味を、より詳しく解明しているのと見なしうるのが断章14であり、ハイデガーはそこで「全体(total)」であることを標榜するがゆえに、必然的に閉じたものとなる「世界観」なるものとと、Seynに関わるが故に「深淵的なもの」に触れる「哲学」を対比させている(GA65.40-41)。

 この対比の意味は以上の検討を経た私たちにはもはや明らかだろう。ハイデガー曰く「世界観」は閉じた「全体」を作り上げるが、「哲学」は存在者に内在する「裂け目」ないし「無」として「深淵的なもの」であるSeynに関わるが故に、必然的にどんな「全体」をも破壊してしまう。

 私たちの第一部での解明に従えば『哲学への寄与』がなした移行のうちで決定的なものの一つは「無の無化」概念の拡張による「存在の退去」あるいは「退去である存在」への移行だが、以上の「全体」的「世界観」への批判的言明は、この根本的移行と完全に一致する形で行われている。

 そしてここでジジェクがヘーゲルの「和解」について述べていることが、以上のハイデガーの対置と完全に並行しているとしても、私たちは既にヘーゲルの否定性とハイデガーのSeynの類似性、そしてジジェクがハイデゲリアンとも読めることを明らかにしておいたのだから驚くにはあたらないだろう。

ヘーゲル哲学では、「和解」は(…)[否定性としての]主体性の次元が〈実体〉が完全な自己同一性を達成することを永遠に妨げる還元不可能な欠如の形において〈実体〉の核心に書き込まれていることの承認を指し示す。「主体としての〈実体〉」が究極的に意味するのは、一種の存在論的「割れ目」が一切の「世界観」、宇宙を「存在の大いなる連鎖」の全体性として捉える一切の概念を見せかけとして永遠に告発するということである。(Žižek [1993:26])

 「否定性」ないし「存在そのもの」がそもそもの初めから全体を不可能にしているであって、全体主義は、一つには、この不可能性の隠蔽である。かくしてハイデガーや、ジジェクから読まれたヘーゲルは、それぞれこの初めの不可能性に固執することで、あらゆる「全体化」の試みの最終的失敗を暴きだしたと見ることも、ある仕方で可能になるわけである。

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第二部 ジジェクの政治:緒論「否定的なもの」から「政治的なもの」へ
第二章「行為」の政治―ジジェクにおける「哲学的/精神分析的」政治とその挫折

スラヴォイ・ジジェク研究—「否定的なもの・否定性」について(目次・論文要旨)

References   [ + ]

1. ハイデガー理解におけるMarchartに対するもう一つの異議は、ここで詳細に展開する準備は無いが、ハイデガーにとって存在のもっとも根本的な次元が、存在者と存在の存在論的差異のうちの一つの項としての存在ではなく、むしろ、存在論的差異そのもの、差異としての差異であるということについての、Marchartの解釈が誤っているように思われることである。
2. ところで、ハイデガーの「存在」における、この絶えざる「退去」とその極限におけるEreignisへの反転の二面性が、ジジェクが絶えず批判するレヴィナス-デリダ的な「他者」への開けの倫理ないし政治と、ジジェク自身が擁護する世界・象徴秩序のラディカルな再創造としての「行為」の政治の二重性に反映されているようにも思われる。後者はまったき無根拠・深淵の開示であり、そこでは「決断」と呼ばれるべき何かのみが可能である(cf. Žižek [2006a:367-394], Žižek and Daly[2004:106])。
3. 恐らくもっとも困難であり私たちが本稿で扱うことの出来ない課題は、この最終的根拠づけの不可能性、私たちの言葉でいえば、否定的なものの不可避性を認めつつ、肯定的な政治体制を評価する何らかの理にかなった基準を作り出すという課題である。
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