第二章 「否定的なもの」をめぐる思想小史

 前章では「否定的なもの/否定性」をめぐる問いとは何かを、既にして過去の諸思惟に依拠しつつも、主としては理論的視点を基本としてその中心的諸点に関して明らかにした。本章は思想史的観点からこの問いを問う過程で助けとなる思想史的伝統を発掘する試みの最初の素描を行う。それは範囲においても深さにおいても全く不十分な「最初の素描」に過ぎず、その対象選択と叙述のバランスは私たちの関心と知識との限界によって限定されている。

 にもかかわらず、それはここで二つの役割を果たすことが出来る。第一に、本章は私たちの問いの思想史的及び事柄的広がりを証示する。私たちの将来の研究の一つの大きな重点はこの思想史を広さと深さの点で豊かにしていくことに置かれるといえるかもしれない。だが第二に、こちらが本稿にとって決定的なことだが、本章はジジェクの思惟を歴史的に位置づけるための場所を開き、もって次章以降の展開の出発点となる。そのため私たちは本章の展開においていちいちジジェクへの連関を明示することになる。ここで対象として選ばれているのは主にジジェク自身の参照系なのである1)ここで取り扱われていないジジェクの主な参照先の一つとしてキリスト教神秘主義のある種の系譜があるが、このことの理由はひとえに私たちの準備不足であり、それは将来の課題の一つをなす。

 扱う事柄の性質上、本章では以後の章との重複、また詳細の以後の章への先送り、また議論自体の不十分さや一面性といった問題が含まれている。最後の点の解消に関しては将来の研究の進展に期されなければならない。

 本章はしばしば雑多であり、また私たち自身の理論の展開ではなく、様々な議論の簡単な紹介として創意と起伏を欠き、やや単調で平板である。ともあれ、具体的に見ていこう。

1、はじまり―「ダイモーンの声」

 初めに登場しなければならないのはヘーゲルによってもキルケゴールによっても、まさしく「否定性」と連関する形で名指された人物、懐疑の特権的な形象、つまり、ソクラテスである。そこで否定的なものの経験は「ダイモーンの声」として書き留められている。ソクラテスは自らが公の政治に積極的に参加せずに道端で論争ばかりしていることを弁明する。

その理由は、諸君がすでに幾度か、いたるところにおいて、私の口から聞いたところである。それはすなわち私には一種の神的で超自然的(ダイモニオン)な徴[声]が現れることがあるということである。(…)これはすでに私の幼年時代に始まったもので、うちに一種の声が聞こえてくるのである。そうしてそれが聞こえるときには、それはいつも私のなさんとするところを諌止するが、決して催進することをしない。これこそが私が政治に携わることに抗議するものなのである。(プラトン[1950:41])

 ダイモーンの声、ソクラテスのうちに響き渡るその神的なものの声は「諌止しかしない」ということが私たちにとっては決定的である。というのは、このことによってそれが「否定性」の形象として明らかになるからである。「ダイモーンの声」はソクラテスをアテナイ市民としての同一性、そこに含まれる諸規範、行為の規定根拠から切断する。だからソクラテスは政治に積極的に参与しない。

 こうして支えを失ったソクラテス、そのことで自らが「何をなすべきか」を知らないことを知ったソクラテスは、「無知の知」を得て懐疑の特権的な形象となる。この否定的なものとの関係、それによる共同的生活との切断、共同性に支えられたものとしての自分との切断によってのみ、懐疑が、「無知の知」が、そしてそれを自らの「可能性の条件」とする知の探求、「知への愛」、つまり、「哲学」が始まるのだと言えるだろう。

 この声がどこから来るのかを問わなければならない。これは第一部でさらに解明されることだが、この問うことは「問うことそのもの」の問い、問いの可能性の条件の問いとして権利上一切の問いに先行する。それが「否定的なもの」の問いである。

 さて、ジジェクとの関連でいうなら、ジジェクにあっても哲学そのもののの場所はソクラテスに象徴されるような共同性の外という「不可能な」場所であり、それをジジェクは共同性という支えを失い非実体的なものとなった主体、つまり「否定性」である主体に具現させている(Žižek [2009a:7-8])。

2、ヘーゲルとキルケゴール

 ヘーゲルとキルケゴールについては第一章で既に取り扱ったため、そしてヘーゲルについては第一部であくまでジジェクのヘーゲル理解という限定の下でではあるが詳細に取り扱うことになるために、ここでは前章で両者において否定性と主体との連関、主体を「自己意識/反省」から否定性として思惟することが中心的構想となっていたことを想起することにとどめておこう。

 ジジェクとの連関についていえば、ジジェクは自称するところヘーゲリアンであり、またジジェクによるとキルケゴールは「否定的なもの」への関わりによって「[ジジェク自身の立場を指す語である]厳密な意味での弁証法的唯物論」から「細い、ほとんど見えない線」によって隔てられているのみである(Žižek [2009a:75])。

3、ニーチェ―「力への意志」の肯定性とその否定的諸転倒、あるいは「ニヒリズム」とは何か

 次にニーチェのうちに私たちの問いに関連する問題系を探っておこう。ニーチェには「否定性」「否定」中心的な思惟に対する批判を見いだすことが出来るからである。本節は『道徳の系譜』(ニーチェ[1964])の議論を一瞥することによって、その議論の一側面を提示することを目的とする。

 『道徳の系譜』は三つの論文から成り立っており、第一論文では「善と悪」の生成が問われる。ここで既に生の能動的な力、「力への意志」の「積極的/肯定的」発露とその否定的な歪曲、ねじ曲がりとの対置が議論の根本を成す。

 ニーチェの見るところ、肯定的能動的な貴族的道徳においては、生の原理、力への意志の能動的な発露において自己が肯定され、自らが「よい」ものとして決定され、その反対として、その力の能動性に遠いものが「わるい」ものとして現れる。

 他方でニーチェが批判的に対している奴隷道徳は被支配状態のために力への意志の能動的な発露が奪われることから生ずる。力への意志は自分たちの敵を想像的に否定する「非能動的/反動的」な「ルサンチマン」へと変化し、敵をまず「悪」として規定し、その反対として自らを「善」とする。

 この奴隷道徳は能動的積極的な価値創造をせず、むしろそのような他者を否定し、その他者の虚構的な悪魔化とその否定を構成的な条件としており、その反対物として自己の受動性・消極性・反動性そのものが「善」へと祭り上げられることになる。

 貴族的道徳と奴隷道徳の対立は、ローマ貴族に対するユダヤ人の「道徳上の奴隷一揆」に始まり、ルネサンスと宗教改革、ナポレオンとフランス革命後の民主主義などと対立を繰り返しているが、歴史において基本的には奴隷道徳が優位であるというのがニーチェの診断だろう。

 第二論文、ここにおいて「生の自己否定」ともいうべき視座が導入されることでニーチェの議論は私たちの問いとの関わりを増してくるのだが、その第二論文では「良心の疚しさ」の起源が問われる。ニーチェはこれを単なる「負い目」とは区別している。

 普通には責任感といってよい「負い目」は「債権者-債務者」関係から生じる。それは約束し責任を負うという自由で積極的な行為から生じるものであり、また単純に「債権者-債務者」関係、約束一般の無い人間相互の関係などないのだから、特に病理的なものではない。共同体の創始者、祖先などに対する「負い目」についてもニーチェの言及はとりわけて否定的ではない。

 ではこの「負い目」とニーチェが明らかに病的とみなしている「良心の疚しさ」の違いは何か。それは「負債 = 罪」の無限化である。「負い目」がある限定された「負債 = 罪」、約束や祖先への恩に基づくある限定された責任感覚であるのに対して、「良心の疚しさ」では罪は無限化されている。

 ニーチェが狙いをつけているのはもちろん「原罪」の観念である。「原罪」においては生そのものが罪であり、その罪は定義上贖いうるものではない。ではこの無限の罪、「良心の疚しさ」はどこから生じるのか。その「可能性の条件」は何か。

 ニーチェの見るところ、この事態、生そのものの罪化は、生の自己否定、すなわち、生の根本としての「力への意志」の自己否定による以外にありえない。ニーチェの仮説によれば、「良心の疚しさ」は、反動化した力への意志がルサンチマンとなって「他者」に向かい「善悪」を生み出した第一論文とは異なり、「〈反感〉(ルサンチマン)さえ抱かれない」ほどの徹底的な征服により、被支配民の力への意志が「自己」に内攻し自己否定を始めたことによる。

 この生の自己否定によって、生そのものが無価値なものとなり、「自然の悪魔化」が行われる。此岸的生が無価値なものとなる。このことによって初めて生そのものを罪とみなす「原罪」の観念とそれを贖うとされるキリスト教の愛の観念が可能になり、また同様に生の自己否定と「此岸/自然」の無価値化があってこそ「利他主義道徳/同情道徳」と彼岸的価値の顕揚とが可能になる。本論文で問われているのは、原罪、キリスト教的愛、利他主義道徳、彼岸的世界を憧憬する二世界論の起源、あるいはむしろその「可能性の条件」である。

 第三論文では「禁欲主義的理想」が問われる。出発点におかれるのは、さまざまな理由から生じる「生理的阻害感情」、生の疲弊、力の意志の弱体化である。禁欲主義的理想、それを司る禁欲主義的僧侶は、これに対処するひとつの方法である。

 「生理的阻害感情」、生の疲弊、「病気」において、ニーチェによると、主体はその原因を捜し求めようとする傾向がある。だからこれは容易に、他者、特に力への意志の観点から健康で幸福な人々に対するルサンチマンへと通じる。ルサンチマンは健康者に責任をなすりつけ、健康者がその幸福、その力への意志を疑い恥じるといった、ニーチェ的視座からすれば最悪の帰結に通じることすらありうる。

 禁欲主義的僧侶はこの病者たちを指導し看護するものであり、ニーチェの視点から見ても病者を健康者から切り離して先のような最悪の事態を防ぐという効用がある。ニーチェが彼ら禁欲主義的僧侶に反対するのは、その看護が対症療法、急場しのぎでしかなく、力への意志、生の能動性を回復させず、根本においてそれらの衰弱を更に重篤なものとすることにある。彼らは病者を看護することで生の肯定者、保存者であるが、それが単に保存でしかないところにニーチェの不満がある。

 それはさておき、ニーチェによる禁欲主義的僧侶の戦略の描写を見ていこう。ニーチェはその看護の手段として「罪のない」ものと「罪のある」ものとを分けており、前者についても様々な描写を行っているが、今回はより決定的な後者のみに的を絞ろう。重要なのはこの罪のあるなしというのを文字通り取ることである。すなわち、「罪のある」手段とは「罪」を使った手段なのである。

 禁欲主義的僧侶のなすことは根本的には第一論文で論じられた「ルサンチマン」から第二論文で論じられた「良心の疚しさ」への転換を行うことに他ならない。先に見たように「生理的阻害感情」により力への意志が弱体化し反動化している病者の場合、それはその責を他者に求める「ルサンチマン」となる傾向が存在するが、禁欲主義的僧侶はそれを病者自身に向け返す。悪いのは病者自身だというのである。かくして「良心の疚しさ」、生の自己否定の僧侶的解釈である「(原)罪」が生成する。

 禁欲主義的理想とは、この生の自己否定、無価値化、原罪化と相関して登場する彼岸的価値、ニーチェが第三論文後半で頻繁に用いる言葉でいえば「真理」であって、それは生を否定し(禁欲)、彼岸的な真理と価値を求めるのである。しかし、これは生の価値を否定し、そのことと相関的にのみ生じることが出来た彼岸的なものとして本来「無」に過ぎないものを求めしめるのだから、正確に「ニヒリズム」といわなければならない。

 「禁欲主義的理想」は何も欲しないよりはむしろ此岸的なものの否定の結晶たる「無」を欲するニヒリズムなのである。ニーチェの診断するところ、この「禁欲主義的理想/彼岸的真理」は今やその信用を失いつつあり、そのニヒリズムとしての本質があらわになりつつある。だからこそ「力への意志」の弱体化の弥縫策にすぎず、根本においてはそれを悪化させたに過ぎない禁欲主義的理想とは別の価値、別の生のあり方が展望されなければならない、ニーチェの見るところ事態はそのようになっている。

 私たちの視角からは、本書でニーチェは一貫して「力への意志」の「肯定性/能動性」をその自己否定、それによる此岸的なものの否定、「無」を欲すること、「否定性」に対置していることが重要である。

 ここでジジェクとの関連を際立たせるとすると、ニーチェはジジェクによって「力への意志」ないし「永遠回帰」の「肯定性」の哲学者と解されており、ジジェクは初期には欲望の彼方の謎めいた欲動の領域を肯定的なものの領野としてニーチェに依拠しつつ説明しようとしたこともあったのだが(eg. Žižek [2008d:40])、自らの立場の確立の後にはニーチェによる無の意欲としてのニヒリズムの否定的評価に、第一部でより詳細に解明される論点だが、「人間的欲望/欲動」が常に「無」に媒介されているという認識を対置している。

 曰く、「人間の欲望は(動物的本能とは対照的に)常に、構成的に、〈無〉への参照によって媒介されている。真の欲望の対象-原因は(私たちの欲求を満たす諸対象に対立するものとして)定義上「欠如の換喩」なのであり、〈無〉の代理なのである」(Žižek [2000a:107])。そして実際のところ「単なる自足的な満足に対する〈意志〉の過剰は常に〈無〉への「ニヒリスティック」な頑固な愛着によって媒介され」、それによって可能になっている。

 「[この無への頑固な愛着としての]死の欲動は単に一切の生を肯定する愛着にたいする、直接のニヒリスティックな反対なのではなく、むしろ、この〈無〉への参照の形式的構造こそが、愛であれ、芸術であれ、知であれ、政治であれ、私たちがそれのために一切を危険にさらす覚悟ができている何らかの〈大義〉に「情熱的に愛着する」ようになるために、馬鹿げた自足的な生のリズムを克服することを可能にしてくれるのである」(Žižek [2000a:108])。

 つまり、ジジェクに言わせるとニーチェが肯定しようとする肯定的意志の過剰、そして一般に人間における良きものも、絶対的に否定的なものへの先行的な参照、動物的な生の絶対的自己否定によってのみ可能となる。『道徳の系譜』になぞらえて言えば、力への意志の肯定性の過剰そのものが此岸的なものを否定する先行的な否定性によってのみ可能となるというわけである。

4、ハイデガー―「有限性」の諸相へ

 ここからはOliver Marchartの’The Absence at the Heart of Presence. Radical Democracy and the “Ontology of Lack”’(Marchart [2005])に依拠しつつ話を進めることが出来る。本論文は” Radical Democracy: Politics Between Abundance and Lack”という論文集に収められた論文である。

 本論文集は近年多義性をはらみつつ存在感を高めている「ラディカル・デモクラシー」なる政治理論上の立場は二つの相異なる世界観、つまり、世界が如何にあるかをめぐる根本的諸想定、本論文が使っている言葉で言えば「存在論」に支えられているのではないかと見る。それがつまり「豊富さ(Abundance)の存在論」と「欠如(Lack)の存在論」である。

 Marchartの論文は巻頭に配されており、「欠如の存在論」の簡単な歴史を追っている。すぐに明らかになることだが、この「欠如の存在論」なる語は私たちなら「否定性の存在論」とでも呼びたいものである。何はともあれ本論文が展開している”an incomplete history of ‘lack’”(論文中の一節のタイトル)を追いかけていこう。全て引用すると少々長くなるので自由に叙述をなぞっていく形をとる(Marchart [2005:17-21])。

 この思想史的叙述において発端に置かれているのがハイデガーである。次章以降で詳論されるがジジェクももともとハイデガーから出発した人であって、実際「否定性」を考える上でハイデガーはヘーゲルと並ぶ最重要人物の一人であることは疑いがない。私たちの立場からするハイデガーの実質的な検討は第一部第三章まで待つとして、ここでは私たちからすると様々不満はあるが、さしあたりMarchartの議論を忠実に追いかけておく。

 Marchartが注目するのはハイデガーの「有限性(finitude/Endlichkeit)」の概念であって、曰く「存在の中の構成的欠如の後に続く理論化の源泉の一つとしてより大きな重要性を持ったのは、初期のハイデガーの有限性の概念である」 。

 そして『存在と時間』について以下のように述べる。「人間の現存在は有限であるが故に、現存在の存在は死への存在であるが故に、本質的に時間的である。死は直接に経験されることは出来ないが、それは非常にリアルな現前性を持つ不在として私たちの生のうちで感じ取られる。それゆえ有限な存在は全く中立的でも無関心なものでもない無の中で保たれている(be held out)」。私たちとしては、有限性と「無/否定性」のハイデガー的連関についての検討、Marchartの整理には尽くされない有限性の複雑な諸相についての論及を第一部第三章で遂行する。

5、コジェーヴ/サルトル/ラカン

 次に登場するのがアレクサンドル・コジェーヴで、Marchartによれば『精神現象学』講義においてコジェーヴが成し遂げたのはハイデガーの有限性の概念をヘーゲル的弁証法へと「折り戻し入れる(fold back into)」ことであり、それによって「後に続く欠如の諸存在論の出発点となる」「否定性と欠如と欲望の「人間学的」理論を作り上げる」ということだった。つまり人間は「有限性」として否定性に貫かれているが故に自らの存在のうちに特別な欠如を抱えており、それゆえにこそ動物的欲求とは異なる欲望を持つという議論である。

 Marchartの見方によると、コジェーヴはヘーゲルを存在論の中に否定性という根本的カテゴリーを導入したことで賞賛したのだが、その賞賛は同時に否定性をハイデガーの有限性へと同化させることだったとされる。

 だが他方でコジェーヴはヘーゲルが主奴論で述べたところを取り入れて否定性を「有限性/死」のもとで自由に歴史を作る人間の建設的な行為、労働の源泉としても定義し、それによってハイデガーの思弁的なアプローチを避け、ヘーゲルの歴史性の概念をラディカル化しもしたのである。

 コジェーヴは主人と奴隷の弁証法に歴史の根本動因を見る。はじめの承認をめぐる闘争においては死/有限性を完全に引き受けた主体が勝利し主人となり、途中で死に恐れをなした主体は奴隷となる。しかるに奴隷の主人に対する承認は主人が奴隷を対等の主体と見なさない以上完全なものではない。しかも主人は奴隷に任せきりで安楽な生活を送るので歴史の動因たりえない。他方で奴隷は主人のもとで恒常的に死の恐怖のもとにあり、有限なものすべてを解体する否定性に貫かれ、Marchartの言い方を借りれば、自らの有限性を受け入れる。しかも、奴隷はそこで引き受けた否定性、否定の力能を用いて労働し歴史を作り上げる。

 コジェーヴの歴史哲学によれば歴史とはこの奴隷の主人に対する反対運動であり、これが成功して相互承認が達成された暁には(そしてそれは近代国家によって本質的には達成されているのだが)、欠如と否定性は解消あるいは「止揚」されるだろうとする。ここに至って人間と否定性との関係の終わりによる歴史の終わりをめぐる議論、人間が人間的欲望を支える「欠如/否定性」との連関を失って動物化するという議論が提出される。

 続く登場人物はサルトルである。サルトルはコジェーヴ流の「否定性の終わり」のようなことは認めない。サルトルによると自然は即自存在として純粋な肯定性の領域である。他方で「人間-意識」は対自存在と呼ばれ、無に貫かれ、有名なフレーズを使えば、常に「それがそうでないところのものであり、それがそうであるところのものではない」。

 Marchartを補っていえば、意識は常に明示的にみずからを振り返らずとも、常にすでに自己意識であって、そうであるがゆえに自己自身の否定、つまり、否定性である。サルトルは「自己意識 = 否定性」のヘーゲル的観念を継承する。かくして対自存在は存在の欠如という存在であり、自然とも自ら自身とも決して一致しえない。だから人間において「本質に実存が先立つ」。人間が自己意識として「否定性/存在の欠如」であることが「実存主義」の、サルトルの自由の哲学の基礎にある。

 Marchartの叙述の最後を飾るのがラカンである。

ここまでその概要を描いてきた存在論的な軌跡との関係で、今やジャック・ラカンの仕事をフロイトの思想とコジェーヴ的弁証法および存在の欠如のサルトル的概念との特殊な節合(articulation)として描き出すことが可能になる。サルトルに関していえば、ラカンにとって、主体における解消不可能な存在の欠如が、主体の存在への欲望の存在論的根拠を構成している。主体の存在の欠如の前提の上で―そしてラカンにとって「主体」とはまさにこの欠如の名前なのだが―欲望の弁証法が動き出すのである。この弁証法自体はコジェーヴ的な承認の弁証法に負うところが大である。

 私たちは本章でジジェクを位置づけるための歴史的な場所を開くことを目的として掲げておいたので、ここでジジェク自身が本節で論じた系譜に自覚的であることを示しておくことも有用だろう。ジジェクはラカン派としてラカンの影響を認めていることは当然として、他方でサルトルやコジェーヴには基本的に肯定的には言及しないのだが、一応の親近性を認めていることは確かである。

 ジジェクはコジェーブについては「否定性、無、現実の肯定性の中の穴などなどとして主体についての、コジェーヴ流の擬似ヘーゲル的な否定的存在論」(Žižek [2005:33])などと語るし、サルトルについても、「動物」「自然」の「肯定性」と「人間」「文化」の「否定性」のもっとも「鋭い(astute)」定式化としてサルトルの「即自」「対自」をあげ、この議論の布置に完全に収まるものとして「50~60年代のラカンの標準的なテーマ」である「想像的な囚われの動物的世界と象徴的な否定性の人間的世界との乗り越え不可能な対立」を語り、それは結局のところヘーゲルから始まった思想のラインであるとしている(Žižek [2007:218])。

 ここでジジェクは「否定性」の次元を指し示す象徴的な言葉としてヘーゲルの「死ぬまで病んでいる自然」という人間の規定を引き合いに出している。この語はジジェクが『イデオロギーの崇高な対象』の序文において「死の欲動」について語る中でも引き合いに出していた語である。かくして次節は「死の欲動」の観念を取り扱う。

6、精神分析における「死の欲動」

 この分野全体は当然私たちの力量を超えているので、ここでも記述はごく基本的なところに留まる。まずはジジェクの指摘から始めよう。ジジェクはドイツ観念論の「否定性」と「死の欲動」を連接することが「私が一般に行なっていることのまさに中核にある」とする文脈で「死の欲動」の概念の発端について以下のように解説する。

人間精神の働きを快原理、現実原理などなどの観点から説明しようと試みるなかで、フロイトはますます説明不能な根源的な非-機能的要素、基本的な破壊性、否定性の過剰を意識するようになりました。それがフロイトが死の欲動の仮説を提示した理由なのです。(Žižek, Daly[2004:42])

6-1、「死の欲動」の起源―フロイト

 さて、フロイトが「死の欲動」の仮説をさしあたり「思弁」と留保をはさみつつ初めて提示したのが「快原理の彼岸」という1920年の文章である。「思弁」であるとはいえ、それは一定の経験的観察を支えとしており、仮説の提示に至るまでのフロイトの議論運びもこれまた一定の慎重さを持っている。

 フロイトは心の出来事を統御している「快原理」という自らの仮説から出発する。心の出来事は「不快を回避し快を産出するように、舵取られ経過してゆく」(55)2)以下の()内の数字は邦訳『フロイト全集17』のページ数である。。フロイト曰く不快とは「興奮」「緊張」だから、「快原理」は「興奮の量をできる限り低く抑えておく、あるいは少なくとも恒常に保っておくというのが、心の装置の志向である」(57)と表現することも出来る。

 続いてフロイトはこの「快原理」に反するように見える諸事実を取り上げ、それが「快原理」によって説明できるのではないかという検討を繰り返し行う。

 例えば、一般に不快の経験が多いことは「快原理」の反論にならない、なぜならそれらは外的環境に強いられたものであり、また「快原理」は外的環境に適応するにあたって長期的な快のためにより小さい不快を耐え忍ぶ「現実原理」に変化するからである。「現実原理」が容認する不快はあくまで見込まれる大きな快、「快原理」のためのものなのである…とか、また有名なfort-daの遊びに即して言えば、子どもはfortといっておもちゃを見えないところに繰り返し投げることで、一見「母の不在」という不快を反復しているだけに見えるが、受動的に耐え忍ぶしかなかった「母の不在」を積極的に作り出すことで状況を支配し「制圧欲動」を満足させているのだし、あるいはまた母親を自ら追い払う身振りをすることで不在に対する「復讐欲動」を満足させているのかもしれない…といった具合である。

 だが、フロイト曰く、「抑圧されたもの」が執拗に回帰し再び体験されるという「反復強迫」には「快のいかなる可能性も含まない過去の体験」に関するものがある。

 確かに、抑圧されたものの回帰とて快原理で説明出来るものも多い。例えば自我の統一性にそぐわないために抑圧された欲動が回帰してくる例である。その場合なら回帰自身は自我にとって不快であるにせよ、もともとは欲動として快だったのであって、それは「快として感じることのできない快なのである」(59)ということになるだろう。それは「快原理」の枠内にある。

 だが、やはり「快のいかなる可能性も含まない過去の体験」の「反復強迫」もある。フロイトの考えるところ「災害夢の場合が一番疑念の余地がない」(74)。災害や戦争などの外傷的な突発事に由来する「外傷性神経症」にあっては「夢」が「患者を再三再四その災害情況に連れ戻し、患者はそこから新たな驚愕とともに目覚める」ことになる。ここにはいかなる快もありえないままに強迫的な反復が行われ続ける。

 思うに、私たちの多くは戦争や災害というほどのものではなくても不快な記憶の執拗な反復的回帰を経験しているだろう。フロイトが訴えかけるのはそういう経験である。さて、ここまで来てフロイトは奇妙に強い調子で以下のように断言する。「反復強迫」は「それによって脇に押しやられる快原理以上に、根源的で、基本的で、欲動的なものとして現れてくる」(74)―要するに、ラカン風に言えばもっと〈現実的なもの〉として現れてくるということである。それは一種「魔的(dämonisch)」(88)なものである。

 ここからがフロイトが明示的に「思弁」と名指す領域だが、フロイトは「快原理」が支配を確立するために必要な強すぎる外的刺激の遮断につき、「反復強迫」が外的刺激に対する一種の緩衝剤として働いて、その「遮断」による快原理の支配の確立を助けるものとしても機能するといった側面も指摘しつつも、最終的に「欲動的」なものたる「反復強迫」から欲動一般のある本性を取り出す。欲動は反復的である、従ってこう言える。

 「欲動とは、より以前の状態を再興しようとする、生命ある有機体に内属する衝迫である」(90)。ところで、「無生命が生命あるものより先に存在していた」のだから、より以前を目指す欲動を抱える「あらゆる生命の目標は死である」(92)。つまり、欲動の反復から欲動の守旧的性格が推論され、それに加えて「無生物/死」の先行性が根拠となって欲動は死を目指す「死の欲動」として解明されるのである。

 こうして欲動における死の欲動と「生/性」の欲動の二元論が生成する。フロイトの概念化するところ、「生/性」の欲動は融合し、より大きな統一を求め、生命維持的であり、他方で死の欲動は破壊的で死を目指す。フロイトの観察によると、対象への愛そのものが「愛/優しさ」と「憎しみ/攻撃性」の双極構造によってこの対立を示している(111)。この理論的地平にあっては、快原理そのものが「緊張/興奮」の「低下」を目指すものとして「無機的世界の休息」へ向かう「涅槃原理」として再解釈され、死の欲動の「最強の証拠」とされる(114, 123)。

 続いて「死の欲動」概念の更なる展開にして「文明論的/社会思想的」応用でもある『文化における居心地の悪さ』を概観しておこう。それは引き続くラカンにおける「死の欲動」のごく簡単な検討への橋渡しにもなる。

 この論考の中心的展開の端緒となるのは「幸福」の困難という問題である。フロイト曰く、「幸福になるというのは、快原理がわれわれに押し付けるプログラムである」(90)3)以下の()内の数字は邦訳『フロイト全集20』のページ数である。。そういうものとして幸福になるという努力は放棄してはならないし、そもそも放棄することも出来ない。

 だが、幸福は困難である。不幸の、苦しみの、強力な源泉があるからだ。すなわち、「自然の威力、われわれ自身の身体のはかなさ、家族や国家、社会の中での人間関係を律する制度の不備がそれである」(93)。このうち先の二つについては進歩による改善の見込みがあるが、フロイトの考えるところ、第三の源泉、人間関係から、人間関係を律する制度から来る苦しみはそうではない。そういった制度が苦しみを減らしてきたということ、そして減らす見込みがあるということは明らかではない。

 むしろ、見方によれば、人間関係とそれを律する制度は苦しみを増やしてきすらしたのかもしれない。だから、「文化」に対する敵意が生じるのである。「自然から人間を守り、人間相互の関係を律するという二つの目的に資するある種の活動や制度」の「総体」としての「文化」の「幸福価値」が「今」「疑われている」(97)。

 フロイトとしては第一と第二の苦しみの源泉から私たちを守りうるものといえば「文化」であり、「文化」以外あり得ない以上、文化から自然への回帰という立場には与さないのだが、このような反「文化」的思考の隆盛という状況に面して「文化というものの本質についてわれわれも思いをめぐらすべき時である」(97)と判定する。

 この論究においてとりわけ問題になるのは、もちろん、苦しみの第三の源泉としての文化であり、タイトルが示す通り「文化における居心地の悪さ」である。さて、この点、「苦しみ」の源泉として「文化」を把握することを目がけるフロイトの文化論は「快」と「幸福」との源たる「欲動」と「文化」の関係を中核とするものとなり、そこで「もっとも重要な点」として以下のように指摘する。

文化とはそもそも欲動断念の上に打ち立てられており、様々な強力な欲動に満足を与えないこと(抑え込み、抑圧、あるいは他にも何かあるかもしれない)こそがまさに文化の前提である(107)。

 フロイトの考えるところ、文化とは「社会関係を律する試み」とともに生じるが、その律する試み以前のいわば万人の万人に対する闘争状態では「個々人は欲動の満足について何の制限も知らない」という「自由」があったのに対し(ただフロイトが直ちに付け加えるところ、その自由は自らを守る手段がないがゆえに無価値である、フロイトは文化に対し自然を称揚するわけではない)、「法」のもとでの「共同生活」にあっては「共同体の成員は欲動の満足を自ら制限する」。この「制限/抑圧」された欲動のエネルギーがより高尚な事柄に向かうのがフロイトの言う「昇華」であり、それは文化発展の大きな原動力にして、文化によって強いられた「欲動の運命」とも言える。

 さてフロイトにとって中心的な欲動の一つは性的なものであるから、ここで文化による抑圧を云々するに際しても、フロイトは性の抑圧を引き合いに出している。フロイトの見るところ「文化」は「性生活を制限しようとする傾向」を持つ。

 フロイトは「近親相姦の禁止」にはじまり、「性的に成熟した個人の対象選択は異性に限定され、性器外の満足はたいてい倒錯として禁じられる」といった事態にその不当性を強調しつつ論究し、「異性間の性器による愛といえども、合法性や単婚性といった制限」を科せられている事態、つづめて言えば「文化人間の性生活ははなはだしく損なわれて」(115)いるという事態を見据える。

 なぜこんなことが必要なのか。フロイトは、先の「昇華」論とほぼ同じ形で、性的エネルギーを「文化/経済」の発展に転化すること、あるいはまた狭い範囲に縮こまる私的な性愛を、その目標から切り離して目標に関して制止された愛と呼ばれるものに転化し、それを広い共同体の統合に役立つ友情へと転用することという文化の側からの要求を語る。ここまで語ったあとフロイトは、しかし、こう問題を提起する。

われわれには、どうして文化がこうした方途[私的な性愛を制限して目標制止されたリビードを共同体の統合へと転用すること]を取らざるをえないのか、性の営みに敵対せざるをえないのか、その必然性が納得できない。そこには、われわれがまだ発見していない何らかの阻害要因が絡んでいるのに違いない。(119)

 ここで登場と相成るのが「死の欲動」である。以上の事態全ての背後には「あまり認めたくない一片の事実が潜んでいる」(122)。つまり、「人間とは、誰からも愛されることを求める温和な生き物などではなく、生まれ持った欲動の相当部分が攻撃傾向だと見て間違いない存在なのだ」(123)。

 そういうものとして人間は「相互に敵意を抱いており、そのせいで文化社会は絶えず崩壊の危機に瀕している」(123)。だから、「攻撃欲動/死の欲動」を制限するのは当然として、さらに性愛の欲動を制限して、そのリビードを共同体の紐帯を為す友情的結合へと流し込まなければならないのである。「死の欲動」を防ぐために「性/生の欲動」は制限され転化されなければならない。こうして文化は人間の主要な欲動たる死の欲動と生の欲動を制限する必然性をもち、文化の中では人間は「容易に幸福と感じられない」(127)わけである。

 だが、ここからフロイトは更に一歩、歩みを進める。フロイトは「生・性の欲動/エロース」と「死の欲動/タナトス」との二元論から議論を仕切り直す。フロイトは、かつて「ただ試みに主張していたに過ぎない」「死の欲動」を「今ではもはやそれ以外には考えることができない」(131)とまで言うが、ここで「死の欲動」の見えづらさを強調してもいる。

 それは生命体の内部で原初の無機的状態への回帰へ向けて「自己破壊」を黙々と行っているのであり、それが外界に向かう時に「攻撃や破壊への欲動」としてはじめて目立って目に入ってくる。この外向が制限されるなら自己破壊がますます加速することになる。前者の顕著な例がサディズムであり、後者はマゾヒズムである。

 そして、「見えにくさ」にさらに論点を付け加えるなら、この「性的」な例からしても分かるように死の欲動は性の欲動と「混晶化」してはじめて見えてくるとフロイトは言う。「死の欲動」は「エロースの背後にその存在を推定するほかない」(133)。

 ここには何か難しい問題が孕まれていそうだが、それはそれとして先に進むと、フロイトはこの二元論からして文化の問題を再定式化する。「文化」は個々人をより大きなまとまりへと統合していく「エロース」の、つまり、「生/性」の欲動による過程であり、「死の欲動」がそれに反抗している、「文化」とは「生の欲動と破壊の欲動とのあいだのの闘い」(135)の場なのである、と。

 では、「文化」はいかに「死の欲動」と戦うのか、その方法として先に性愛への欲動を抑圧し、それを共同体の紐帯へと転化することが語られたわけだが、「最も重要とおぼしきものにはまだ出会っていない」。それは、ニーチェの影響を見て取るべきだろうが、「攻撃性を内に取り込み、内面化する」ことである。

 要するに、外に向かう攻撃性が自我自身に向けられ、「超自我」が形成され、「厳格な超自我とそれに服属する自我との間の緊張」が生じること、その帰結としての「罪の意識」「懲罰欲求」である。「文化は個人を弱体化、武装解除し、占領した町で占領軍にさせるように、内部の一つの審級に監視させることによって、個人の危険な攻撃欲を取り押さえるのである」(136)。

 こうしてフロイトは「罪の意識」の論究に入り込んでいく。この議論は興味深く、私たちの続くラカンについての簡単な紹介に不可欠なので追いかけておこう。フロイト曰く、罪の意識の起源は、「愛の喪失に対する不安」であり、要するに自分が依存している他者、父などの愛を失うのではないかという危惧である。そういうことを引き起こす行為が子供にとって悪として感受され、断念される。欲動断念である。

 ただ、このレベルなら「見つからなければよい」という事になるだろう。だが、外的な審級はやがて内面化され「超自我」となる。ここでは見つからなければよいという考え方は通用しない。内面的な審級としての超自我の目を逃れうるものは存在しないからである。これが良心と罪の意識の起源である。

 ここでフロイトは超自我的な罪の意識のパラドクスを提示する。その第一が「有徳の人であればあるほど、良心はいよいよ厳格で疑い深くなり、挙げ句の果てには聖徳の極みに達した人に限って、自分のことを全く下劣な罪深い人間と責めさいなむことになる」(138)ことであり、第二が、私たちの誰もが経験することのように思われるが、「運に恵まれない、つまり外的に事がうまく運ばず断念に追い込まれると、超自我における良心の威力が大いに促進・増強されることである」(139)。ひとはうまくいかない時ほど自分を厳しく攻め立てどんどんと内へ閉じこもってしまうのである。二つの現象に共通しているのは本来欲動断念は良心を満足させるはずであるのに、欲動断念こそが良心を逆に強化するように見える点である。

 この事態をいかにして説明するか。先に他者の愛の喪失の不安、それが内面化された「超自我/良心」の不安からする欲動断念として罪の意識の現象が説明された。超自我のパラドクスがいまや提示しているのは逆に欲動断念が良心を強化することである。ここでは良心から断念へという因果関係が、断念から良心へという因果関係へと逆転しているように見える。

当初は確かに良心(より正確には、後に良心となる不安)が欲動断念の原因であったが、後に関係が逆転する、と見るのだ。そうなると、欲動がひとつ断念されるごとに、良心は厳しさと不寛容をつのらせる…。(142)

 フロイトはこの事実を最後まで引き受けて理論をブラッシュアップする。良心の不安の源泉、超自我と罪の意識の厳格さの源泉は愛をもはや与えてくれないかもしれない他者だけではない。それは自分自身の攻撃性からも力を得る。フロイトの考えるところ、他者を前にしての欲動断念は他者への攻撃性を惹起するが、他者のほうが強大である以上、私たちは実際に攻撃に移ることはできない。

 では、どうするか。「攻撃しようにも歯が立たないこの権威を自分と一心同体とみなし、自分の中に取り込む。こうして権威は超自我となり、子供がこの権威に向けたかったはずの攻撃性をすべて所有することになる」(143)。だから、欲動を断念すればするほど私たちは罪の意識によって自らを攻撃し苛むことへと誘われるというわけである。

 こうしてフロイトは「本編の考察の最終的な結論」として「文化の進歩には罪責感の増大による幸福の減失という代償が払われねばならない」という「命題」(148)を提示する。

 本稿の主要契機を振り返っておこう。出発点は生の欲動と死の欲動の二元論である。生の欲動は個人をより大きな統一へともたらそうとする生命維持的な力であり、「文化」の源泉である。他方、「死の欲動」は(自己)破壊衝動として「文化」の運動、共同性の形成に抗い続けるやっかいな力動である。この両者の闘争の場、「愛と死の追求との永遠の争い」(147)の場が文化である。この後者の力に抗うために「文化」は生の欲動を可能な限り動員しなければならず、私的な性愛その他の欲動は抑圧され、昇華へと、そして目標制止された欲動として共同体の紐帯となる友情へと流し込まれなければならない。この抑圧の必要性に文化の居心地の悪さがある。

 だがフロイトはこれに「罪の意識」を媒介とする議論をさらに付け加えた。つまり、抑圧は単なる「生/性」の欲動の抑圧と昇華にとどまるのではなく、死の欲動を自らへと向け返すことでもあり、文化による抑圧は、死の欲動を折り返すことによって、超自我を厳格かつ自己破壊的にし、人を自我と超自我との極限の分裂によって苦しめるのである。超自我が欲動を断念させ、断念が超自我を強化し、超自我が再び断念を要求する…。

 この悪循環、ますます人間を萎縮させ、自己破壊的にし、袋小路のじり貧状態へと追い込む悪循環、この否定性の過剰が、フロイトの名指す「文化における居心地の悪さ」の正体である。人間に「死の欲動/破壊衝動」が備わっており、それゆえ抑圧が必然的であり、その帰結として「居心地の悪さ」が招来するということ全体が文化の問題性なのであって、それがフロイトの幸福に関する、進歩に関する、そして社会改革に対するペシミズムを支えている。これが「死の欲動」の更なる展開にして、その「文明論的/社会思想的」応用である。

6-2、「死の欲動」の社会学化―フロイト左派

 フロイトの後継における主流派であるアメリカ中心の自我心理学は一般に「死の欲動」の観念を退けたと言われるから、ここで扱うことは出来ない。「死の欲動」の観念に対する一つの有意義な反応はいわゆるフロイト左派の潮流に発見することが出来るだろう。その理論的挙措を一言で要約するなら、フロイトが生物学的所与と見なした「死の欲動」をある特定の社会関係のあり方の帰結として捉えるという意味での「死の欲動」の社会学化である。

 「死の欲動」を生物学的所与と捉えるフロイトの発想では、一種のペシミズムが不可避である。フロイトが先の文化論の注でいうところ、もちろんフロイトとて「若い時分に貧しさの悲惨を舐め、持てる者の冷淡や傲慢を経験させられた身である以上」、所有の不平等やその帰結の是正の努力に好意的でないわけはないのだが(125)、そういった努力、コミュニズムといったことで「死の欲動」が無くなるわけでもなく、従ってその帰結としての「文化における居心地の悪さ」の解決もあり得ないということになる。

 だが、死の欲動そのものを特定の社会関係の帰結と考えるならば、そのようなペシミズムは回避出来る。フロイトと左派的な革新性、典型的にはマルクス主義を明確に結びつけるフロイト左派はこのことを目がけている。

 フロムの『自由からの逃走』の第一章を取り上げよう。そこでフロムはフロイトに対する立場取りをはっきりさせている。問題はフロイトの生物学主義である。フロイトの個人は生物学的に所与な欲動をたっぷり与えられてあらかじめ存在し、それが後に他者との、社会との関係に入るとされている。

 従って個人と社会との関係は静的なものであり、社会がより多く個人の所与の欲動を抑圧し昇華して文化を発展させるのか、個人の欲動により満足を与えるのかだけが問題である。だが、フロムの見るところ人間はそういう風には出来ていない。

たしかに人間がだれしももっている、飢えとか渇きとか性とかいう欲求は存在する。しかし、人間の性格の個人差を作る、愛と憎しみ、権力に対する欲望と服従へのあこがれ、官能的な喜びの享楽とその恐怖、といった種類の衝動は、すべて社会過程の産物である。人間の最も美しい傾向は、最も醜い傾向と同じように、固定した生物学的な人間性の一部分ではなく、人間を作り出す社会過程の産物である。(フロム [1965:19])

 そういうわけで「死の欲動」と名指されたような(自己)破壊衝動も社会過程の産物である。有名な本書の論理をごく簡単に要約しておけば、人間は成長するにつれ、また人類は進歩するにつれ、集団から自律し個性化する。だが、ここに生じる自由は両義的である。それは統合された自我の発展でもありうると同時に、孤独になった個人が不安と無力に苛まれることでもある。

 ここで問題は自由な人間による自然や他者との自発的な関係―フロムの決め台詞でいえば「愛情と生産的な仕事」!―が育まれ統合的な自我の力がすくすくと成長するのか、それともそうではなくして孤独による不安と無力を逃れるために闇雲な「隷属/服従」への要求がうまれるのかということである。「死の欲動」として名指されたものも前者の方向性が実現しなかったことの一帰結であり、人間の孤独と不安と無力から、自己破壊的性向と世界への敵意としての破壊性向、サド・マゾ的な性格類型が生じるのである。

 ところで、個人を個性化しつつ自然や他者との自発的関係を妨げるもの、愛情と生産的な仕事という営みを妨害するもの、個人を敵対的な巨大の力の前に孤独で無力な状態で放置するものといえば、資本主義である。1941年に刊行された本書は1932年にようやく出版されたマルクスの『経哲草稿』の疎外論の影響をすでに十全に受けている。

 こうした資本主義を集団的な意思決定によってコントロールして愛情と生産的な仕事を可能にする必要がある。そうすれば「死の欲動」は解消され、統合的な自我を発展させた自由な人々の間の麗しい恊働/共同がうまれるだろう。こうしてフロムはフロイトよりもポジティブに社会主義的改革を主張することが出来たわけである。

6-3、欲望としての「死の欲動」と欲望の倫理―ラカン

 さて、Rauol Moatiがフランスにおける恐らく唯一のジジェクに関する論文集の序文で適切に指摘しているように、ジジェクは精神分析とマルクス主義を結びあわせるところにおいてフランクフルト学派的なフロイト-マルクス主義と類似しているが、両者の決定的な違いは「フロイトの「死の欲動」に与えられたメタ心理学的-存在論的地位」(Moati [2010:8])にある。

 Moatiがそこで挙げている例はマルクーゼであって、マルクーゼからすれば「死の欲動」は「過剰抑圧の破壊的帰結」である。そして私たちが前項で見たようにフロムにとっては個人の「自立化/個性化」に自然や他者との自発的関係に支えられた自我の強化が追いついていないことの帰結である。つまり、何かしらの社会的過程の帰結である。

 対してジジェクは、Moatiの把握するところ「ラカンから出発して死の欲動を主体と同一視しつつ価値づけ高く評価する(valoriser)」。私たちの立場から言えば、ジジェクの挙措は「死の欲動」の「生物学化」(フロイト)でも「社会学化」(フロム)でもなく「哲学化」と言えるだろう。

 そこで「死の欲動」は、このことの十全な展開は第一部を待つ必要があるが、私たちの経験の領野そのものを可能ならしめる「アプリオリなもの/超越論的なもの」の地位、より正確には超越論的次元そのものを可能ならしめるものという意味で超-超越論的地位を獲得するからである。そういうわけでジジェクは実質的なデビュー作である『イデオロギーの崇高な対象』の序文ですでにして以下のように述べている。ここに生物学化と社会学化の拒否を読み取ることが出来る。

フロイトの「死の欲動」の概念を取り上げてみよう。もちろん、フロイトの生物学主義は取り除く必要がある。「死の欲動」は生物学的事実ではなく、人間の精神の装置が、快の追求、自己保存、人間とその環境世界との一致を超えた、反復の盲目的な自動運動に従属していることを示す概念である。人間は―ヘーゲルは語りき―「死ぬまで病んでいる動物」であり、満足することのない寄生虫(理性、ロゴス、言語)にたかられている動物である。この視点からすると、「死の欲動」、この根源的否定性の次元は疎外された社会的条件の表現に還元され得ない。それは人間の条件そのものを定義しているのである。解決も逃げ道も存在しない。為すべきことは、それを「克服」することでも、「廃棄」することでもなく、それと折り合いをつけ、それをその恐ろしい次元において承認することであって、しかる後に、この根本的な承認に基づいて、それとともに生きる様式を編み出すことである(Žižek [2008a:xxvii])。

 さて、このことの意味を十全に明らかにすることは先に述べた通り第一部の課題である。ここではジジェクにとって基礎となっているラカンにおける「死の欲動」の概念化を、ほんの一端ではあれ、見ておくこととしよう。

 セミネール7『精神分析の倫理』とそれに密接に関連する「カントとサド」に定位しよう。「倫理」を取り扱う本セミネールの決定的な参照点はラカン自身明言しているように『文化における居心地の悪さ』である。その議論はフロイトに対する幾つかの差異を導入しつつも、その根本テーゼにおいて『居心地の悪さ』に忠実である。この差異と忠実さをそれぞれ見ていくことにしよう。

 まず差異の方から見るなら、私たちが差異として銘記したいことは二つある。第一は「死の欲動」が「無機物への回帰」「涅槃原理」という意味を剥ぎ取られて「(自己)破壊欲動」として純化されることであり、第二は「死の欲動」と「生/性の欲動」のフロイト的二元論が解体されて「死の欲動」が(性的でもある)「欲望」そのものと同一視されることである。

 第一の点から簡単に確認していこう。ラカン曰く「欲動そのもの、そして破壊欲動というものは、無生物への回帰の傾向の彼岸にあるべきものです。それは(…)直接的破壊の意志なのです」(Lacan [1986:251=2002:下71])。

 ラカンの把握するところ、「死の欲動」は無機的自然の単調なリズムへの回帰とは反対に、そのようなリズムに穿たれた切断、「無」であり、そういうものとして両義的なことに、一方で自己破壊への意志として「実存/存在することの苦痛」(Lacan [1966:777])そのものでありながら、他方で「ご破算にして再開する」「無からの創造の意志」でもある―この「否定的なもの」の完全な両義性は銘記されるに値する。結局本稿のテーマは否定的なものが一方で苦痛、悪しきものでありつつ、他方で人間にとって、ある意味では最高のものでもあるという両義性をいかに把握するかということである。

 続いて第二の「死の欲動」と「欲望」の同一視に移ろう。ここで〈物〉という重要な観念が導入される。それはあらかじめ失われた対象として再発見されなければならない対象、例えば性的対象としての母などとして表現される欲望の究極の対象であり、主体の絶対的外部であり、主体が住む象徴的な世界の外部として優れた意味で〈現実的〉なものである。

 「欲望」はこの絶対的に外部的、〈現実的〉な〈物〉への固着として「死の欲動」、端的な破壊の欲動であるというわけである。このフロイト的な「死の欲動」と「生/性の欲動」の二元論を一つの「欲望」へと解体する身振りと、ラカンが性と死の繋がりを強調すること(eg. Lacan [1966:773])は恐らく密接に連関している。

 ここで話題をフロイトに対する差異からラカンの『文化における居心地の悪さ』への忠実さと私たちが呼んだものに移していこう。決定的なことはフロイトが超自我について提示したパラドクス、欲動を断念すればするほど欲動を断念せしめる「超自我/罪の意識」が強力になるというパラドクスである。ラカンは「倫理」を問題にすることを宣言する初回のセミネールで優れて倫理的な問題として「罪責感/罪の意識」の問題を提示しつつ以下のように言う。

分析は欲望そのものの豊かな機能を最も高く評価し直した経験であることに変わりはありません。結局のところフロイトの理論的解明にあって道徳的次元の起源が欲望自身以外のものには根ざしていないと言いうるほどに分析は欲望の機能を高く評価しているのです。欲望の最終局面で検閲として現れてくる審級は、まさに欲望のエネルギーから生じるのです。(Lacan [1986:11=2002:上4改訳])

 ラカンにおける「欲望」と「死の欲動」との同一性を想起すれば、この一節がまさにフロイトの超自我のパラドクスを指していることは明らかだろう。フロイトにあって断念され抑圧された(死の)欲動が欲動を抑圧する道徳的次元、超自我という「検閲」し「罪の意識」を生み出す「審級」のエネルギーの源泉となっていたことを引き継いで、ラカンはここで欲望を押さえつけ罪の意識を生み出す道徳的次元のエネルギーは断念された欲望そのもののエネルギーであることを指摘するのである。

 この理論的パースペクティブからしてラカンがセミネールの末尾で提示する精神分析の倫理的命法は了解しうる。欲望を抑圧ないし断念することが道徳的次元たる超自我、欲望を更に抑圧して罪の意識を生み出す超自我のエネルギーの源泉なのだとすれば、私たちが罪無くあるためにはどうすればいいのだろうか―答え、欲望を断念しないこと、死の欲動を最後まで引き受けること。

 こうしてラカン曰く、「結局、罪のあることをしたとして、自分に罪があると実際に感じるのは、根本的にはつねに自身の欲望に関して譲歩した限りでのことです」。だから「罪があると言いうる唯一のこととは、少なくとも分析的見地からすると、自らの欲望に関して譲歩したことです」(Lacan [1986:368=2002:下231改訳])。

 このことをめがけて、アンティゴネーの読解では欲望に関して譲歩せずに象徴秩序の彼方にある〈物〉への致死的な接近を遂行したアンティゴネーが称賛されることとなる。この議論が『居心地の悪さ』でのフロイトの議論の中核、つまり超自我のパラドクスへのある種の忠実さを保ち、その更なる展開であることは今や明らかになったと言えるだろう。

 以上を手繰り直し議論の内的連関をはっきりさせておこう。セミネール7では欲望の究極の対象としての〈物〉が導入される。それは主体の絶対的外部、主体が住む象徴的世界の絶対的外部として〈現実的〉なものである。そういうものに紐づけられたものとして欲望は「死の欲動」、「(自己)破壊欲動」である。

 「欲望/死の欲動」は自己破壊欲動として「実存することの苦痛」そのものだが、この自己破壊の亢進、その典型が強力な罪の意識、罪責感だが、それはそもそも欲望に譲歩した結果なのである。かくして、この自己破壊に抗する方法、そして罪無くあるために従うべき命法、そういうものこそまさしく倫理的命法だが、それは「欲望について譲歩するな」、死の欲動を、〈物〉への衝迫を最後まで引き受けよということである。

 そうするときには、その果てにおいて〈物〉への致命的な衝迫たる「死の欲動」のもう一つの側面、その「ご破算にして再出発する」「無からの創造の意志」という側面が輝き出で、また欲動の昇華による創造的な充足が可能になる。というのも、ラカンは昇華を「対象を〈物〉の尊厳にまで引き上げること」(上167)として、対象に〈物〉の場所を占めさせることとして定義しているからである。ここに確かに「死の欲動」の概念についての独自の展開、「欲望としての死の欲動と欲望の倫理」とでも呼ぶべき展開が存在する。

 さて本章を簡潔にまとめておけば、ジジェクの問題構成は「否定的なもの」―「肯定的なもの」への否定的関係―の問いとして、以上で取り扱われた諸々の流れの(現時点での)終着点であるということができる。

 すなわち、哲学そのものの起源としてのソクラテスと「否定的なもの」との原初関係から始まって、ヘーゲルを中心とするドイツ観念論、更にそれを色濃く引き継ぐキルケゴール、そしてハイデガーからコジェーヴ、サルトル、ラカンへと至る思想の系譜、そしてフロイトからラカンへの続く精神分析の伝統という相互に絡み合う流れの合流点に、ジジェクは位置しているということができる。

 そういうわけで、「否定的なもの」の問いに定位することがジジェクに対してもっとも適切な歴史的位置を与えることを可能にすると言えるだろう。次章ではまずジジェクについての周辺情報を提示した上で本章の延長線上でジジェクの問題構成の根本を提示することとしたい。

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第一章 「否定的なもの」の問いとは何か―ドストエフスキーとキルケゴールからヘーゲルへ
第三章 ジジェクへの導入―伝記・スタイル・問題構成

スラヴォイ・ジジェク研究—「否定的なもの・否定性」について(目次・論文要旨)

References   [ + ]

1. ここで取り扱われていないジジェクの主な参照先の一つとしてキリスト教神秘主義のある種の系譜があるが、このことの理由はひとえに私たちの準備不足であり、それは将来の課題の一つをなす。
2. 以下の()内の数字は邦訳『フロイト全集17』のページ数である。
3. 以下の()内の数字は邦訳『フロイト全集20』のページ数である。
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