目次
1、はじめに
本稿の目的はジジェクの議論に端緒をとって後期ハイデガーの哲学の基本的構造を「存在論的差異」に着目して明らかにし、さらにそこから翻ってジジェクの考えの中核を解明することである。
スラヴォイ・ジジェクは一般にフランス現代思想の末裔として(悪)名高く(?) 、自称するところラカン派でありヘーゲリアンだが、その出発点はハイデガー研究にあり、また現在でもある仕方でハイデゲリアンとも見ることができると思われる。
彼の中心的関心をハイデガーの用語から表現するなら、人間は存在論的差異がそこで展開する場所となることで独特の苦痛と享楽を背負うことになったということである。
ジジェクがラカンから引き継いだ「享楽(jouissance)」とは、彼の言うところ苦痛と一致するような特殊な快の経験だが、このような対立的な感情の一致は人間的本性の二重性を示していると見ることが出来る。つまり、このような相反する感情の一致は、人間の一方の本性には苦痛だが、他方の本性には快であるというような二重の本性を前提とする仕方でしか説明出来ないのである。
このような二重性、人間的な実存の根本的な二重性を思惟し、それに表現を与える一つの仕方が、人間が存在者と存在に同時に関わるということ、すなわち、存在論的差異なのだというのが本稿の主張である。
本稿はなぜ「存在論的差異」が、このような二重の感情を生み出すのかを説明しようと試みる。かくして本稿は存在論的差異という事態のいわば実存的な含意を追求するものともなる。今回はジジェク自身についてはさほど深入り出来ないが、この観点から、ジジェクの考えの中核の少なくとも一端を明らかにすることが出来る。
さて、ジジェクのハイデガーについての論究は不当な点もまま見られる一方、他方でハイデガーの哲学の特徴を簡潔に把握しうるような視点を提示してもいると思われる。本発表では明らかに「存在論的差異」が中心的テーマとなっている2006年の『パララックス・ヴュー』(原題The Parallax View)からいくつかの言明を取り出して、そこから後期ハイデガーの哲学の基本的構造を明らかにすることを試みたい。
ジジェクの著作は、思いつきを書き留めたメモを一貫性が生じるよう後から配列したものであり、断片的で根拠づけも弱く、そのスタイルはよく批判の的となる。この性質のため本発表でもジジェクの言明は出発点を提供することが出来るのみである。本発表はそれらをハイデガーのテクストに即して根拠づける。問題となる言明をまず掲げておく(番号は引用者が付したものである)。
(α)個別に見たときのハイデガーの最も偉大な功績は有限性を人間であることの肯定的な構成要素として十全に練り上げたことである。(…)[彼は]有限性が超越論的次元の鍵であることを明らかにしたのである。(Žižek 2009:273, 邦訳2010:487)
(β)〈存在〉は内側から存在者に切り込んでいる。(…)ハイデガーの存在論的差異(…)[では] (存在者的(ontic/ontisch)/存在論的(ontological/ontologisch)の)ギャップが存在者的な領域自身の「全て-ではない」に参照し返されなければならない。(Žižek 2009:24, 邦訳2010:48)
(γ)存在論的差異は、物理的なレベルと形而上(学)的レベルとの、[あるいは]経験的レベルと超越論的レベルとの、伝統的な哲学的差異を極端にまで持ちきたらすが、それは、伝統的差異を、(…)存在者と無との(…)差異に還元することによってである。形而上学を克服することは(…)物質的現実性と別の「より高い」現実性との差異を、この[物質的]現実性とそれ自身の空虚との内在的差異へと還元すること、つまり、物理的現実性をそれ自身から分離し、それを「全て-ではない」にする空虚を識別することを意味するのである (Žižek 2009:383, 邦訳2010:679)
これらの言明は結局全て同じことに帰着する。ここでは(α)の解明を目がけて議論をはじめたい。
2、「可能性の条件」への問いという意味での「超越論的」な問い
(α)の引用は問題領域として「超越論的次元」を掲げる。それは「経験」の「可能性の条件」となる次元である。ハイデガーがこの意味での「超越論的」な問いを最も先鋭化させたのは1929年のいわゆる形而上学三部作『カントと形而上学の問題』『形而上学とは何か』『根拠の本質について』(以下、それぞれカント書、WM、WGと略す)だろう。
だが、これらに直接移る前に、その前提となる『存在と時間』以降の歩みを可能なかぎり簡単に振り返りたい。『存在と時間』は冒頭でその意図として「存在の意味への問い」を掲げ、「一切の存在了解を可能にする地平として時間を解釈すること」をさしあたりの目標として提示する(GA2, 1)。
かくして本書のいう「存在の意味への問い」とは、「存在了解の可能性の条件」への問いであり、その答えをなす「存在への問いの超越論的地平」とは「時間性」であると言えるだろう。
そしてその具体的解明は、存在了解を持つという意味で「現存在」である人間に注目し、更にその「根本体制」とされる「世界内存在」を分析することで、そのような世界内存在の「可能性の条件」、すなわち現存在の「存在意味」として「時間性」を明らかにすることによって為される。
存在了解を持っているのは世界内存在であるところの現存在であり、その根本的なあり方が時間性によって可能になっているなら、存在了解も時間性によって可能になっているはずだという見通しが立てられたわけである。
しかるに、『存在と時間』既刊部分は、この見通しを述べるところ、つまり、「根源的な時間から存在の意味への道が通じているのだろうか?」(GA2, 577)という問いを投げかけるところで終わっている。
だがハイデガーは続く時期にやはりこの見通しの証示を試みている1)それが『存在と時間』の刊行当初の見立てと同じであるのか異なるのか、異なるとすれば、いかに異なり、またその理由は何かといった点がさらに解明されるべきである。と考えられる。それは1929年の夏学期講義で「超越そのものの内的可能性の条件の問い」(GA26, 252)として表現される方法においてである。
全集の編者の一人ゲルラントが「『存在と時間』において現存在は世界内存在「である」が、今や[引用者注:二八年夏学期講義]現存在は世界内存在に「なる」」(Görland 1989:8)と簡潔に表現しているように、ここで「超越」は世界内存在というあり方が生じる、それに「なる」プロセスという方向で考えられている。
このように「超越」を問うことのうちで、「時間性」を「超越」の「(内的)可能性の条件」として明らかにしうるなら、「時間性が超越を、超越が世界内存在を、世界内存在が存在者との関わりを可能にする」という仕方の連関によって当初の見通し、「時間性が存在者との関わりを、したがって存在了解を可能にする」が証示されうるというわけだろう。
ハイデガーは本講義録第十二節で「時間性」についての自らの教説、時間性の脱自性格と、その統一としての地平性格を要約的に繰り返し、この統一地平こそ世界であるとした上でこう述べる。「超越の起源は時間性そのものであり、時間性の発現(Zeitigung)によって既に超越も、つまり世界への歩み入りも起きている」(GA26, 272)。そしてこの世界の中で存在者との関わりが可能になる。
さて、この路線を継続するのが形而上学三部作である。カント書で確認すれば、本書でハイデガーは第一に、「経験」を可能にするカント的な超越論的認識に、存在者に関わるオンティッシュな認識を初めて可能にするオントローギッシュな認識、すなわち、存在了解を重ねあわせる2)ハイデガーは、カントの超越論的転回とは「全てがオンティッシュな認識なのではなく、(…)それはオントローギッシュな認識によってのみ可能である」(GA3, 12-13)ことを意味しているという。。
その上で第二に、カントが、経験の可能性の条件である「対象性」と「一貫した経験の領野」―これがハイデガーの改釈によれば「存在了解」なのだが―を形成する超越論的統覚の「綜合-統一」の活動の発端においた超越論的構想力を、「時間性」として殊更に解釈することで、存在了解の可能性の条件として「時間性」を解明しようとしており、ここで先に提示した証示のプロセスを明らかに反復している。
3、超越論的次元と「有限性」
ここまでで議論は、(1)「経験的なもの」、存在者との関わり、(2)それを可能にする「超越論的なもの」、「超越」「世界内存在」の次元、存在との関わり、(3)さらにそれを可能にするもの、超越の可能性の条件・存在の意味・時間性という三層構造、いわば二重の超越論的遡行をなしている。
ここで冒頭に引用した(α)のジジェクの引用に立ち返ると、そこでは「有限性が超越論的次元の鍵である」とされていた。これはつまり「有限性」は②にとっての鍵であり、したがって③の次元に関わるということである。
この点を見るためにまずカント書に定位しよう。そこではカントに即しつつ人間的直観の「有限性」がまず論じられている(GA3, 4-5節)。曰く、(神的な)根源的直観は直観することにおいて直観されるものをオンティッシュに創造するが、人間的直観は有限であり、すでにある存在者を受容するという仕方でのみ認識する。
そしてこのように受容しなければならないからこそ、私たちが現にしているような仕方で認識するためには、つまり直観におけるように単に個物を端的に知覚するのではなく、個物を何か「として」捉えるためには、先行的な「存在了解」を形成しなければならない。存在者を対象性へと包摂しなければならない。
こういう仕方でハイデガーは、有限的な直観から出発し構想力・悟性と続くカントの超越論的演繹における叙述を、人間はオンティッシュに有限な直観を持つが故に、構想力(=時間性)と悟性によって対象性・「存在了解」を作り出すというオントローギッシュな創造性を持つし、持たなければならないという議論として読もうとする。
こうして確かに「有限性」は、直観の有限性、すなわち人間的認識の必然的な受容性として、超越や存在了解に先立ち、その前提となる③の次元を占めているように見える。だがそれだけではない。ハイデガーは本書終盤で存在了解を持つこととの関連で「有限性」について以下のように述べているからである。
存在者の存在は一般に以下の時にのみ了解可能となる―そしてここに超越のもっとも深い有限性が存している―つまり、それは現存在がその本質の根底において自らを無のうちへと到らせその内に保つ(sich hineinhalten)時にのみ可能なのである。(GA3, 238)
かくしてハイデガーによれば、超越には先に見た、既にある存在者への依存性よりももっと深い、「もっとも深い有限性」が属しており、それは「無」の内に自らを保つことであるといわれる。
この意味を解明するにはWMとWGに向かう必要がある。この二つにおいて際立っているのは、三層構造・二重の遡行の構図そのものは変化していないが、その内容において強調点の変化が生じていることである。
これまでは(1)存在者との関わり、(2)世界・世界内存在、(3)時間性が基礎付けの連関の中心であり、中心的論点は例えば28年夏学期講義で観察されたように(2)世界内存在と(3)時間性であったのに3)とはいえ、二八年夏学期講義でも「時間は存在一般の了解への未だ暗い関連のうちに立っている」(GA26, 254)ことが認められており、ここにその後の展開が予示されていると見ることが出来ると思われる。ここで「存在一般の了解」が持ち出され、それと時間との関係がまだ不明確なものとして取り上げられているからである。、いまやこれらの用語で見据えられていた事態の中核として端的に「存在了解」そのものが前景へと押し出され、(1)存在者との関わり、(2)存在了解、「存在する」「ある」ということの了解、(3)更にそれを可能にするもの、この三つが基礎付け連関の中心となる。
この強調点の変化は、例えば「超越」を端的に「存在論的差異がその内で事実的になる[存在者と存在とを]区別できること」の「可能性の根」として名指すWGの議論に現れていると見ることができる(GA9, 135)。いまや「超越」として考えられているのは、端的に、存在者と存在を区別するプロセス、「ある」ということ、「存在」を経験し了解することで、存在者をも存在者として初めて経験し、かくして存在者との連関を初めて作り出すようなプロセスなのである。
では、この強調点の変化において(3)の地位を占めるものは何か。WMが直截に述べているように、それは「無」ないし、無が無として働くこととしての「無の無化」である。曰く「不安の無の明るい夜においてはじめて存在者の存在者としての根源的な開性、それは存在者であって―無ではないということが立ち上る」(GA9, 114)。全体としての存在者が滑り落ちる「無」の経験にあって初めて、「無」が自らの反対者として「存在者」を「指し示」し、それらが「無」いのではなく「ある!」「存在する!」ということが、つまり「存在」が端的に経験され、存在者が存在者として立ち現れ、それと関係することができるようになるというわけである。
こうして「無」は「現-存在」を「[存在者と存在の]区別」の前にもたらす(GA9, 114)。だから、いまやWGでこの区別の可能性が根ざすところとして名指された「超越」が、ここでは「先立って自らを無の内へと到らせその内に保つ」ことなのだと規定される(GA9, 115)。そして先のカント書の引用に立ち返るなら、これが「超越のもっとも深い有限性」である。
さて、こうして漸くジジェクの(α)「有限性が超越論的なものの鍵である」という文章を解釈できる。WMを読む上で決定的なのは、強調点は変化しつつも、ここでも問題となっているのは『存在と時間』以来の(1)(2)(3)の三層構造、二重の超越論的遡行だということである。ここでいまや(3)の場所を「無」、すなわち「もっとも深い有限性」が占めることになる。こうして「超越論的なもの」、「世界」という意味の領野、存在了解、これらの「可能性の条件」、すなわち「鍵」は「無/有限性」として明らかになる。
4、前期から後期へ、『形而上学とは何か』から『哲学への寄与』へ
さて、このように「無」なるものの経験という出来事を存在了解の可能性の条件と理解するなら、私たちは常に既に存在了解を持っており自分自身を含めた存在者が存在していることを知っている以上、最初の最初に、そしてつねに「無」と「不安」を経験しているはずである。これは常識に反するし、私たちがそのような根源的な不安を普通経験していないという事実にも反する。ハイデガーもこの点は自覚しており、大要以上のように述べた上で問う。「不安は恣意的な発明、それに帰された無は誇張なのではないか?」(GA9, 115-116)
だが、ハイデガーはこの疑義を否定する。無と不安は原初的にあったのだし、今もある。「無は間断なく無化する。私たちが日常的にそのうちで動いている知をもってしては、私たちはこの生起を知ることがないのだが」(GA9, 116)。ハイデガーは二重の超越論的遡行による「無」の先行性と、「無」と「不安」が稀にしか経験されないという矛盾した事態を前にして、前者の議論を放棄するのではなく、それは単に「遮蔽」されているだけであるとする。
私たちの見るところ、超越論的遡行とその結果として示された「無」の先行性を放棄しないという決定が後期のハイデガーの立場の基礎にある。というのは、後期ハイデガーの思惟の主要部分は、超越論的な遡行によって「あったはずだ」とされる「無」と、私たちの「さしあたりたいてい」の現実におけるその不在との落差を説明するために必要とされたものとして捉えるとき理にかなったものとして立ち現れるからである。
十分な解明とテクスト上の根拠づけは紙幅の制約上不可能だが、後期哲学の諸契機はここから大要以下のように説明される。ハイデガーは二重の超越論的遡行の歩みにより、常に既にある「存在了解」に更に先行するものとして、「無」との接触としての「超越」を取り出すが、他方で経験的には「無」が経験される「不安」のさしあたりの不在、稀さ、従って人間から見た場合の非随意性が認められる4)このことを表現するためにハイデガーは有限性概念を二重化して、最も深い有限性への有限性を語る。「私たちは自らの決意と意志によって自らを根源的に無の前のもたらすことが出来ないほどに有限である。有限化は現存在のうちに、もっとも固有でもっとも深い有限性そのものが私たちの自由に対しては与えられていないというほどに、それほどに深淵的に刻み込まれているのである」(GA9, 118)。このように錯綜するいわゆる形而上学期の有限性概念をおそらく私たちは三つに分節することで理解できる。有限性(1)はカント書で出発点とされている有限性、人間的直観がオンティッシュに創造的でなく、つねにすでに所与の存在者(のもととなるもの)に依存しているということを意味する。この有限性(1)が、存在者と関わるにあたっての先行的な存在了解の必要性を生じさせるが、存在了解が「無」との関わりによってのみ可能であるかぎりで、そこには有限性(2)が存する。有限性(2)とは「無」との、ということは「死」との、不可避的な関わりである。しかるに有限性(3)とは、この「無」ないし「死」の経験の非随意性を意味する。これが『形而上学とは何か』と『根拠の本質について』の末尾近くで認められた有限性であり、「無」こそが「存在」そのものの経験であり「存在了解」を可能にするものであるかぎりで、この有限性③こそが、ハイデガーに「存在了解」の生成にかかわる非随意性の承認、ということはつまり、「存在の生起」への移行を強いたのである。。
この矛盾的な関係においてハイデガーは、しかし、超越論的遡行の帰結を放棄しない。とすれば、「無」のうちに自らを保つこととしての「超越」は、人間の遂行することではなく、また「無」は存在者を規定する因果連関とは関わりがないから、存在者的な「因果性 = 根拠の連関」なしに無根拠的に生起する「無 = 存在の生起」として考えられざるを得ない。
ここに(ⅰ)人間が意志的に為すという含意の強い存在「了解」から、その含意の弱い存在の「生起」への重点の移行、つまり人間のイニシアティブの格下げ、(ⅱ)前節で確認された、ハイデガーの思惟の焦点の、「存在の意味」と「時間性」の組から、「ある!」ということの端的な経験としての「存在の真理(隠れなさ)」への移行(といっても、両者とも存在了解一般を可能にするものという地位は共通している)、という二つの契機がそろい、ここにハイデガーの後期が始まると見ることができる。
次に、「超越」は、それはいまや「存在の生起」として考え直されるわけだが、存在了解の可能性の条件の地位にあるものとして何よりも先に、原初的に起きていたのでなければならない。つまり「元初(Anfang)」として。ハイデガーにとっての元初とは、存在の開示とそれに応答する語りが初めて大々的に生じたとされる古代ギリシアである。
更に、原初的に超越、つまり「存在の真理」の経験があったのにもかかわらず、それが私たちのさしあたりの日常には無いという落差がいまやイニシアティブを持っていない人間の側からではなく、「存在」の側から説明されなければならない。すなわち、「存在の退去(Entzug des Seins)」である。
そしてこの「元初」における「存在の生起」とその後の「存在の退去」を組み合わせ、それを人間の随意によるものではないものと把握することで、「第一の元初」は「存在の退去」の歴史として「形而上学」の歴史であるという「存在の歴史」の教説、存在が一種自律的に運動して自らの歴史を作るという教説が可能になる。
そしてこの「退去」が何らかの仕方で打開されうるとすれば、これまた「存在」の側の動きにより、人間が存在を端的に経験することで存在に殊更に関係づけられること、すなわち「Ereignis」が生じること、そうして「第二の元初」への移行が生じることによってのみであるということになる。
さて、ここからが重要な点だが、ハイデガーはこれを多少なりとも差し迫ったものとして把握することができた。なぜだろうか。ここで存在と無との同一性、もっと正確に言えば、存在が存在者と無との間でのみ経験されるという意味で無によるものであるという彼の把握が決定的である。
この理解からすれば、いまや「形而上学」の完成に向けて「存在」が「退去」し「無」になるというハイデガー的に把握された「ニヒリズム」が極限にむかいつつあるが(GA5, 264-267)、この退去による「無」、そこに孕まれた存在者との極限の距離だけが、「存在」を人間に経験させしめ、両者を根源的に関係づけることができるということになるからである。
かくして『哲学への寄与』(以下『寄与』と略す)にあって最初に配されるのは存在の「鳴り響き」だが、それは存在が退去していること、存在の「拒絶」の「鳴り響き」である(GA65, 9)。『寄与』でハイデガーは「無」を存在に属する「純粋な拒絶の過剰」(GA65, 245)として捉え直している。
かくして「鳴り響き」は「存在の退去」の極限化の帰結としての「拒絶」の響きであり、「無」の経験を予告するものなのだが、「無」だけが存在を根源的に経験させるものであるが故に、それこそが「第二の元初」への橋渡しとなるとされるである。ハイデガーは「拒絶」「退去」の極限からの「Er-eignung」への反転を示唆している5)こういう理屈がハイデガーのなかで成り立っているがゆえに、更に後年の言葉を引けば、「存在忘却の亢進過程」の「極限的」な形態である「Ge-stell」は「ヤヌスの頭」であり、「Ereignis」の「先行形態」でもあるということができたのだろう(GA14, 62-63)。(GA65, 8)。
かくして後期ハイデガーの理論化をまとめれば、「存在」は、「存在者」と「無」との間として、「無の無化」という後退運動によるものであるがために、「元初」における原初的な開示の後には退去して私たちの視界から隠れてしまうのだが、まさにそもそも「存在」が存在者との距離のうちにのみ経験されるものであるが故に、この隠れと退去という後退運動の極限、つまりハイデガー流に言えばニヒリズムの歴史である、形而上学の歴史の完成において、「存在」のラディカルな開示、つまり「Ereignis」ないし「第二の元初」への移行が準備されるというわけである。
5、「存在論的差異」、Lichtung、「形而上学の克服」
こうして後期の地平が一定程度明らかになったことでジジェクの残りの引用も解明出来る。 (β)の引用は存在論的差異の本質として、存在者と存在の差異が存在者の領域の「全て-ではない」に送り返される、つまり存在者の直中には、これで全てだとは決して言えなくなるような「欠け」、つまり「無」があって、その「無」に存在者と存在の差異は送り返されるということを挙げている。再掲しておこう。
(β)〈存在〉は内側から存在者に切り込んでいる。(…)ハイデガーの存在論的差異(…)[では] (存在者的(ontic/ontisch)/存在論的(ontological/ontologisch)の)ギャップが存在者的な領域自身の「全て-ではない」に参照し返されなければならない。(Žižek 2009:24, 邦訳2010:48)
第3節で話題にした(1)(2)(3)の三層構造に厳密に対応する、この引用の「存在者、存在、無」の三項構造は、先に見たようにWMで既に明確だが、『哲学への寄与』はこれを「存在者(das Seiende)」「存在(者性)(Sein(Seiendheit))」「Seyn」の三項を導入することでよりはっきりと表現していると見ることが出来る。
だが、この点は次段落にゆずり、ここでは後期にあって決定的な地位を占めることになる「Lichtung」という特徴的な形象を挙げておこう。存在が開示される場所である「Lichtung」は、「森の中の空き地」を意味しており、明らかに木々(=存在者)の直中にぽっかりと開いた穴、「欠け」、ある「無」を指示している。『寄与』の時期の「Lichtung」の特徴づけを具体的に挙げておけば、「Lichtung」は「根源的な空虚」(GA65, 380)であり、存在者の「直中」でありながら、存在者に囲まれるというよりも、むしろ「無のように全ての存在者を取り囲む」(GA5, 39-40)とされているのである。
最後にジジェクの(γ)の引用は、「存在論的差異」が「物理的なレベルと形而上(学)的レベルとの、[あるいは]経験的レベルと超越論的レベルとの、伝統的な哲学的差異」を「存在者」と「無」との差異に還元すると(β)と並行する形で述べ、それを続く箇所で「形而上学の克服」として提示している。
これもハイデガーの思惟に即していると思われる。というのも、『寄与』によれば、「これまでの西洋の歴史」(=形而上学)とは、人間がSeynに自らを投げるという原初的な企投に孕まれる「深淵的なもの」、つまり原初的な「無」から6)ハイデガー曰く、「無」は「Seyn」の内なる「深淵性」を指し示す(GA65, 245)。、「直ちに[存在者に]立ち返る」ことから生じたものであり(GA65, 263節)、「存在者」から出発して、存在者一般に共通するものとして「存在(者性)」を問うことだからである。
だから、そこでは「存在」は「存在者」から、その共通性質として抽象されたものとしてまさしく「存在者性」であり、そういうものとして「存在者」に対する「後付けの追加物(Nachtrag)」にすぎない(GA65, 259節他多数)。ここでのハイデガーの把握によれば、いわゆる超越論的哲学もその亜種であり、存在者から出発して、そのアプリオリな可能性の条件を問う超越論的な問い方にしても、それは存在者から出発している以上、そこでいわれる「アプリオリ」、つまり「先行性」とは形而上学にとって「存在(者性)」が後付けでしかないことの「隠蔽」にすぎない(GA65, 1837)この超越論的哲学への批判は、ハイデガーの後期の立場への移行が超越論的な遡行の帰結によっていると解する私たちにとっては問題的なものとなる。つまり、ハイデガーが超越論的な哲学を批判しているなら、そのハイデガーがとっている立場が超越論的な遡行の帰結であるはずが無いのではないかという疑問が生じるのである。だが、ここでハイデガーの批判が「存在者」から「存在者性」という順序と、超越論的哲学が含意しがちな超越論的自我による構成という問題系に向かっていることを考えれば、この矛盾はさしあたり解消する。ハイデガーは超越論的遡行によって「存在者」から「存在者性」へ遡行し、そこからさらに遡行して「Seyn」を見出したが、いまやここからすべてを始めようとしているのであって、そうするにあたって、第4節で示したように、主体のイニシアティブを低く見積もらざるをえない理由をも見つけていたのである。だからハイデガーは超越論的な哲学の順序と主体中心性を批判しているのである。)。
しかるに「拒絶こそSeynの最初にして最高の贈り物であり、それどころかその原初的な本質活動それ自身である」(GA65, 241)とする『寄与』は、無化と後退の運動として深淵そのものである「Seyn」を、「Nachtrag」でもアプリオリでもなく、存在者と存在者性の「同時的(gleichzeitig)」(GA65, 13-148)参照先の箇所では「存在者」と(存在者性ではなく)「Seyn」との「同時性」と述べられているが、同じ14ページで「Seyn(Seiendheit = 存在者性)」という表現が見られるので、ここはまだ用語法が未整備なだけであって、ハイデガーの意図は存在者と存在者性との同時性として「Seyn = Ereignis」を位置づけることにあると考えてよいと思われる。これは次の「Seyn」を存在者と存在との「単一性」とする引用によっても支持されよう。)な区別にして現出作用として思惟するのであって、それは「存在者」と「存在(者性)」との存在論的差異に先行するものとして、「存在者」と「存在」との「単一性(das Einfache)」なのであり(GA9, 159)、そうであることで「存在と存在者の間を統べる区別」(GA9, 201)なのである。それは存在を初めて開示するものとして、存在と存在者とを初めて区別するものであり、従って存在者から出発して「存在(者性)」を問う形而上学が必ず前提しているものなのだというわけである。
ここで(γ)の引用に戻って「物理的なレベルと形而上(学)的レベル」の差異に関して言えば、ハイデガーはこれを「形而上学」における「存在(者性)」の「最高の存在者」への転化として理解するし、「経験的レベルと超越論的レベル」の差異については、今見た通り「形而上学」の問い方の派生体とみなす9)二つの「形而上学的」差異の存在論的差異への還元について、ハイデガーはアナクシマンドロス論の中で両者、すなわち「超越論的超越と超越的超越」を、明らかに「存在論的差異」を指し示す「二重襞」の派生体と見なすことで明確に指示している(GA5, 344)。ハイデガーは、この「存在論的差異」の根源を問うことによって、これらの「形而上学的」な差異を克服するのだ、ということができるだろう。。
これらに対して『寄与』の立場からすれば、存在者と、そこから見られた存在である存在者性は、その区別と現出を初めて可能にする「Seyn」の後退運動、すなわち「無の無化」の運動へと差し戻されなければならないのであって、ハイデガーに言わせれば、「形而上学」は自らの基礎にあるこの経験、存在のありありとした顕現として存在と存在者を初めて区別し「存在論的差異」を創設する「存在の真理」の経験にして、同時に後退運動であるがゆえに、ある隠れの、自己隠匿の、退去の運動でもある「Seyn」、『寄与』に特徴的な言い方でいえば、「Lichtung für das Sichverbergen」を経験し思惟することができなかったのである。
だからこそ、ハイデガーは『省察』において「無が「Seyn」の最初にして最高の贈り物」であると述べた上で、「人が形而上学にとどまるかぎり」、「無は何ものにも値しないものにとどまり」、また逆に「無の蔑視が説得力を持つかぎり」「人間は存在忘却に留まる」と述べることができた。ハイデガーに言わせると、むしろ私たちは「否定性という贈り物を正しく評価する(würdigen)」ようになるべきなのである(GA66, 295)。
6、おわりに―ジジェクと「存在論的差異」の実存的な一帰結
最後にジジェクについて紙幅の許すかぎりで述べることにしたい。冒頭、ジジェクをある仕方でハイデゲリアンと見なしうると述べたのは、彼の議論が、かなり異なる問題関心と用語系のうちにおいてではあるが、以上で明らかにした三層構造、「存在者、存在(者性)、Seyn」の三層構造と同一の構造を維持しており、しかも恐らくジジェクはそのことに自覚的だからである。
ハイデガーにあって「存在(者性)」は、存在者が存在者として、更に特定の何かとして現れることを可能にする意味の地平だが、ジジェクにあってこれに該当するのは、人間的世界が言語的に分節されていることを意味する、彼がラカンから受け継いだ〈象徴界〉という言葉である。
そしてハイデガーにあって「存在(者性)」が現にあるということのうちには、無化・否定・後退の運動性として汲み尽くしえなさそのものである「Seyn」がすでに統べていることが含意されているが、ジジェクにあっても、これもラカンを継承する形で、〈象徴界〉の直中には、象徴化に抗いつづける、つまり肯定的に記述出来ない、その意味で否定的なものである〈現実的なもの〉が存するとされる。
それは言語的に構造化された私たちの通常の現実よりも、もっと現実的なものであるというわけである。この〈現実的なもの〉を、ジジェクは、それをヘーゲルと関係づける時には「否定的なもの/否定性」とも呼ぶ。まさにこの場所におけるドイツ観念論と精神分析との絡み合いにこそ、ジジェクの哲学の唯一的な主題がある。
さて、この象徴化に抗い続けるものとしての〈現実的なもの〉については、それが精神分析の特権的な対象であるトラウマに関わっていることを考えれば理解しやすいだろう。トラウマ的な記憶はたびたび回帰して私たちの日常的な生の通常の進行を否定し妨げるが、その回帰は必ず十全な想起ではないという仕方で生じる。というのも、トラウマ的な記憶が十全に想起され、全て語られてしまったら、つまり全て象徴化されてしまったら、それはトラウマという地位を失うからである。
このように十全に語りえないものとして私たちの日常的な世界を否定し揺るがすトラウマが持っている地位を名指すのが〈現実的なもの〉という概念である。それは日常的な生に強引に介入してくるものとして、明らかに通常の現実性よりも、もっと〈現実的〉なものなのである。しかるにハイデガーの「Seyn」も「拒絶」という否定的な仕方で経験され、私たちの日常的な生を揺るがすものにして、徹底的に退去するものとして語りきれなさそのものである。そしてそれはハイデガーにとって明らかに、存在者よりももっと現実的なものである。
さて、冒頭に述べたようにジジェクは「人間は存在論的差異がそこで展開する場所となることで独特の苦痛と享楽を背負うことになった」という仕方で、いわば「存在論的差異」の実存的な一帰結を思考するのだが、それはまさにこのような連関においてのことである。
つまり、それは〈現実的なもの〉の次元の経験を、ハイデガーでいうならSeynの次元の経験を指し示している。〈現実的なもの〉の経験は、たしかに私たちの通常の現実性、私たちが関わるもろもろの存在者を否定し、私たちをそれらとの関わりから切断するものであり、私たちの生を決して安定しない不安静の内におく苦痛の経験であるのだが、同時に苦痛と一致するような快の経験、享楽の経験であるとされる10)この点、ジジェクはカントの道徳感情論と崇高論における苦痛と快の二重性、そこで感性にとって苦痛だが理性にとって快であるような経験が記述されていることに注意を向けるのが常である。またフロイトが抑圧された欲動を快とは感じられない快として特徴付けていることも想起するべきだろう。自我にそぐわないが故に抑圧された欲動は、もともとは快の源泉だが、いまや不快なものとなる。それは不快と一致する快である。。
というのも、ハイデガーとの関わりを見て来た私たちにはいまや明らかなことだが、この否定的な経験は、その極限において、存在のありありとした顕現の経験、「存在の真理」の経験、「ある!」という純然たる意味作用、意味そのもの、絶対的な肯定性の経験に転化するからである。だから、〈現実的なもの〉は欲望の究極の対象、「原抑圧」された〈もの〉の場所としても把握されることになる。それは欲望の究極の対象として、ある快の場所であると同時に、それに触れると象徴的な世界が崩壊してしまうような、致命的で破壊的な場所でもある。
〈現実的なもの〉についてのこの把握から、ジジェクとハイデガーの差異も把握することが出来る。ジジェクにとって〈象徴界〉に走る〈現実的なもの〉という裂開は、欲望の対象の場所であり、私たちのそのときどきの欲望の対象は、この場所を埋めることで欲望の対象となる。〈現実的なもの〉は欲望の究極の対象として破壊的であると同時に魅惑的である。
ハイデガーがおそらくはSeynの経験、「存在の真理」の経験を何より重視したのと同様、ジジェクも〈現実的なもの〉という場所に触れることを何よりも重視するのだが、後期のハイデガーが「Seyn」との関係について人間のイニシアティブを低く見積もって古代ギリシア以来いわば自律的に展開している「存在の歴史」を語るのに対して、ジジェクは欲望の対象が占めている〈現実的なもの〉の場所に触れることに対する人間のイニシアティブをある程度認め、ハイデガーの主体性批判に、主体性のある仕方での肯定を対置することになる。
これらのことを表現するのが、ジジェクがラカンから受け継いだ倫理的命法、「欲望に関して譲歩するな」「欲望を諦めるな」という命法である。「欲望を諦めず」、一切の帰結を顧みずにその果てにまで行き、そこにおいて全き支えなさを経験するとき、人間は欲望の対象が埋めている〈現実的なもの〉の場所、その空虚に触れる事が出来る(かもしれない)というわけである。
私たちは、正しい規範や合理的な利益計算などではなく、ただ単に欲するから欲するという理由で行為することの果てでのみ、どんな外的な正当性にも支えられない、全くの底無しの場、立つことの絶対に不可能な場所に自分だけで立つこと、あるいは立とうと試みることが出来るのであり、そこでのみ、ただ自分からして自分であること、自己の自己に対する一貫性、極限の「Authenticity/Eigentlichkeit」を経験できるのである。
もちろん、この議論を支えている諸連関と、この差異の帰結についてはまた別途検討しなければならないが、以上でジジェクから出発して後期ハイデガー哲学の基本的構成を明らかにしつつ、そこから翻ってジジェクの考えの根本を解明するという本稿の目的は一応果たされたとみなし、ひとまず筆を置くこととしたい。
補遺:この文章の残された問題について
この文章の焦点は、『形而上学とは何か』の行き詰まり、すなわち、ハイデガー流の超越論的遡行の果てに見出される「無」の必然性と、そのさしあたりの経験的不在とのズレから、彼のいわゆる後期哲学の主要諸契機、つまり「存在の生起」「存在の退去」「元初」「第二の元初」…といった契機を論理的に導出し、そうすることでハイデガーがそう考えざるを得なかった理由を説明するというものである。
もし私たちのこの読みが正しいとすれば―この「正しい」ということを私たちは、この読みがハイデガーの後期思惟の主要諸契機を、まったく完璧にではないにせよ、今のところもっとも合理的かつ一貫性を持った形で読解可能にしているという点に求めたいのだが―後期ハイデガーの道行きを批判的に問うという試みは、先の「行き詰まり」にいたる超越論的遡行と、その行き詰まりの処理の正当性の問題へと局限化されることとなる。
そしてここには何かしら問うべき事柄が確かにある。そもそも「超越論的な問い」がいかなる問いであるのか、それは何を問うているのか、それが問いとして正当になる条件とは何か、それをハイデガーの問いは満たしているのか、そしてその問いによって問いだされたものは、ハイデガーがその「行き詰まり」の処理でそうしているように、経験の反対にあっても堅持しうるようなものなのか…等々。
これらの問いは、ハイデガーによって超越論的な問いが、超越論的な次元そのものの可能性の条件への問い、超越論的な次元そのものの産出への問い、一言でいえば超越論的なものの超越論的な条件への問いになることによって急迫したものとなっている。
おそらく、この超越論的な問いへの問い、超越論的なものの存在性格への問いを問うことによって、私たちはハイデガーの道筋を批判的に問うことにおいて決定的であるような問題次元に触れることができるのだが、残念ながら、私たち自身はまだそれを問う術を知らないのである。ここでは、このことを試行するために、しばらく前に、この文章の注として書いた文章を掲載しておくことにしよう。
だが、私たちの考えるところハイデガーの超越論的な思惟への態度はいささか訝しい。その疑念は多層的だが、ここでそれを分節化してみたい。以下の疑念は本文における議論が妥当であることを前提にしている。そうでない場合には、これらの疑念も有効性を失う。
(1)何かの「可能性の条件」を問うに際しては一般に、その「何か」の非自明性の認識が必要であり、さらに、その「何か」より自明ないわば「出発点」が必要になると思われることである。その自明の「出発点」と比較することで初めて、非自明な「何か」が現に可能であるためには、「可能性の条件」としてこれこれが必要であると論じることが出来るのではないだろうか。
実際に、ハイデガーにあって、「非自明性」や「出発点」の問題は存在了解以前にある存在者と個別的直観の想定(GA3)、そして非現存在としての動物を巡る議論(GA29/30)として出現していると見ることが出来ると思われる。「存在了解」をしている人間の現にあるあり方よりも、これらのほうが「自明」であるから、それを出発点として「存在了解」のために何が必要なのかを特定できるというわけである。
こういう仕方以外に、この問いを把握する方法はあるのだろうか?私たちの超越論的な問いへの見方は全く間違えているのか?だが、さしあたりこの段階で確認したいのは超越論的な問いそのものが、各種の条件にその可能性を依存していることである。だからやはりこの問いの正当性が問われうる。この問題は(3)で確認するように、後のハイデガー自身がこの諸条件を否定することによって差し迫ったものとなる。
(2)第4節でみた「決断」、超越論的な思惟の成果と経験との矛盾において、超越論的思惟の成果を放棄しないことの正当性は問われうるものであると思われる。
(3)ハイデガーが明らかに超越論的思惟によって獲得された「無」を巡る認識に依拠しつつ、超越論的思惟を批判し、それを自らの道としては消去しようと試みることである。WMとWGの超越論的思惟の基本的論理は、存在了解の「可能性の条件」を問うに際して、存在者にべったりのあり方を「出発点」とし、そこからして存在了解の「可能性の条件」を「無の無化」として特定するものである。
しかるに『寄与』のハイデガーは、この超越論的思惟の成果である「無 = Seyn」から絶対的に初めることを主張することで、超越を巡る思惟を批判する。曰く、超越の思惟は、「超越 = 存在了解」以前、『寄与』のいう「Seyn」以前の主体と存在者を想定する点で不徹底だというのである(GA65, §199)。
かくして晩年のハイデガーは、例えば『ツォリコーン・ゼミナール』で幾度か示されているように、存在了解以前の存在者について語ることを禁じ、直観から出発することを否定する。まさしく(1)で確認された超越論的思惟の諸条件を否定するのである。
だが訝しいのは、この新たな立場の出発点が、私たちの理解によればさしあたり超越論的思惟の成果であるとしか考えられない点である。つまり、ここでハイデガーはある道を歩んだ結果辿り着いた場所から、その自らが通った道、そこを通ることによってのみ現在の場所へと到達できたような、そういう道を消去しようと試みているように見える。すくなくとも超越論的な問いが(1)で考えられたような仕方で把握されてよいならば、そういうことになるだろう。このようなことが可能なのかどうかは問うに値するだろう。
文献リスト
ハイデガー全集からの引用は(GA巻数, ページ数あるいは節番号)で示した。引用はすべて新たに訳出しているが、それに際し創文社の邦訳版全集に加え、『存在と時間』については原佑・渡邊二郎訳をも参照した。
Heidegger, Martin. Gesamtausgabe. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann.
Görland, Ingtraud. Transzendenz und Selbst : eine Phase in Heideggers Denken.
Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann, 1989.
Žižek, Slavoj. The Parallax View (paperback edition). Massachusetts: MIT Press, 2009.
= 山本耕一(訳)『パララックス・ヴュー』(作品社、2010年)
関連記事
ジジェクについての論文は以下を参照してください。こちらの第1部第3章と第4章に、ハイデガーの本稿より詳細な読解が収録されています。
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ハイデガー『技術への問い』を巡って
おわりに―「学」から「愛」への還帰としての「形而上学の克服」
References
1. | ↑ | それが『存在と時間』の刊行当初の見立てと同じであるのか異なるのか、異なるとすれば、いかに異なり、またその理由は何かといった点がさらに解明されるべきである。 |
2. | ↑ | ハイデガーは、カントの超越論的転回とは「全てがオンティッシュな認識なのではなく、(…)それはオントローギッシュな認識によってのみ可能である」(GA3, 12-13)ことを意味しているという。 |
3. | ↑ | とはいえ、二八年夏学期講義でも「時間は存在一般の了解への未だ暗い関連のうちに立っている」(GA26, 254)ことが認められており、ここにその後の展開が予示されていると見ることが出来ると思われる。ここで「存在一般の了解」が持ち出され、それと時間との関係がまだ不明確なものとして取り上げられているからである。 |
4. | ↑ | このことを表現するためにハイデガーは有限性概念を二重化して、最も深い有限性への有限性を語る。「私たちは自らの決意と意志によって自らを根源的に無の前のもたらすことが出来ないほどに有限である。有限化は現存在のうちに、もっとも固有でもっとも深い有限性そのものが私たちの自由に対しては与えられていないというほどに、それほどに深淵的に刻み込まれているのである」(GA9, 118)。このように錯綜するいわゆる形而上学期の有限性概念をおそらく私たちは三つに分節することで理解できる。有限性(1)はカント書で出発点とされている有限性、人間的直観がオンティッシュに創造的でなく、つねにすでに所与の存在者(のもととなるもの)に依存しているということを意味する。この有限性(1)が、存在者と関わるにあたっての先行的な存在了解の必要性を生じさせるが、存在了解が「無」との関わりによってのみ可能であるかぎりで、そこには有限性(2)が存する。有限性(2)とは「無」との、ということは「死」との、不可避的な関わりである。しかるに有限性(3)とは、この「無」ないし「死」の経験の非随意性を意味する。これが『形而上学とは何か』と『根拠の本質について』の末尾近くで認められた有限性であり、「無」こそが「存在」そのものの経験であり「存在了解」を可能にするものであるかぎりで、この有限性③こそが、ハイデガーに「存在了解」の生成にかかわる非随意性の承認、ということはつまり、「存在の生起」への移行を強いたのである。 |
5. | ↑ | こういう理屈がハイデガーのなかで成り立っているがゆえに、更に後年の言葉を引けば、「存在忘却の亢進過程」の「極限的」な形態である「Ge-stell」は「ヤヌスの頭」であり、「Ereignis」の「先行形態」でもあるということができたのだろう(GA14, 62-63)。 |
6. | ↑ | ハイデガー曰く、「無」は「Seyn」の内なる「深淵性」を指し示す(GA65, 245)。 |
7. | ↑ | この超越論的哲学への批判は、ハイデガーの後期の立場への移行が超越論的な遡行の帰結によっていると解する私たちにとっては問題的なものとなる。つまり、ハイデガーが超越論的な哲学を批判しているなら、そのハイデガーがとっている立場が超越論的な遡行の帰結であるはずが無いのではないかという疑問が生じるのである。だが、ここでハイデガーの批判が「存在者」から「存在者性」という順序と、超越論的哲学が含意しがちな超越論的自我による構成という問題系に向かっていることを考えれば、この矛盾はさしあたり解消する。ハイデガーは超越論的遡行によって「存在者」から「存在者性」へ遡行し、そこからさらに遡行して「Seyn」を見出したが、いまやここからすべてを始めようとしているのであって、そうするにあたって、第4節で示したように、主体のイニシアティブを低く見積もらざるをえない理由をも見つけていたのである。だからハイデガーは超越論的な哲学の順序と主体中心性を批判しているのである。 |
8. | ↑ | 参照先の箇所では「存在者」と(存在者性ではなく)「Seyn」との「同時性」と述べられているが、同じ14ページで「Seyn(Seiendheit = 存在者性)」という表現が見られるので、ここはまだ用語法が未整備なだけであって、ハイデガーの意図は存在者と存在者性との同時性として「Seyn = Ereignis」を位置づけることにあると考えてよいと思われる。これは次の「Seyn」を存在者と存在との「単一性」とする引用によっても支持されよう。 |
9. | ↑ | 二つの「形而上学的」差異の存在論的差異への還元について、ハイデガーはアナクシマンドロス論の中で両者、すなわち「超越論的超越と超越的超越」を、明らかに「存在論的差異」を指し示す「二重襞」の派生体と見なすことで明確に指示している(GA5, 344)。ハイデガーは、この「存在論的差異」の根源を問うことによって、これらの「形而上学的」な差異を克服するのだ、ということができるだろう。 |
10. | ↑ | この点、ジジェクはカントの道徳感情論と崇高論における苦痛と快の二重性、そこで感性にとって苦痛だが理性にとって快であるような経験が記述されていることに注意を向けるのが常である。またフロイトが抑圧された欲動を快とは感じられない快として特徴付けていることも想起するべきだろう。自我にそぐわないが故に抑圧された欲動は、もともとは快の源泉だが、いまや不快なものとなる。それは不快と一致する快である。 |