目次
1、Das Unheimlicheの運動
フロイトは「不気味なもの」の本質を問う同名の論文の中で、「unheimlich:不気味な」がそこから派生した語である「heimlich」の二義性に注意を向けることから議論をはじめている。
heimlichの第一義は「Heim = 家」という語根からも明らかな通り、「慣れ親しんだ」であり、「不気味な」のまさしく対極をなすが、その第二義は「秘密の、隠された」であり、フロイトによると、これは既に「不気味な」への接近を示している。
フロイトはここでシェリングの「隠されたという意味でのheimlichなものが現れるとき、それはunheimlichなものとなる」といった趣旨の言葉を引用する。
さて、以上の議論から導きだされるのは、「慣れ親しんだもの」という意味でのheimlich(1)なものが、何らかの仕方で「隠された秘密のもの」という意味でのheimlich(2)なものになり、それが再び露わになるときにunheimlichなものとして現れるという、「不気味なもの」の運動である。
これをフロイトは自らの「抑圧」の理論と関連づけ、「不気味なもの」とは「慣れ親しんだもの」が抑圧され、「隠され秘密のもの」となった後に「回帰」してきたものであると結論づける。
ところで、ハイデガーのいう「存在」は似たようなheimlich(1)、heimlich(2)、unheimlichの運動によって特徴付けられている。ハイデガーによると人間は「世界内存在」であるが、その「世界」とは単に存在者をすべて集めたもの、ハイデガーならば「オンティッシュ = 存在者的」な世界概念と呼ぶだろうものではなく、存在者が存在者として、しかもある全体性において現れることを可能にし、そうすることによってさらに各々の存在者が特定の何かとして現れることを可能にしているような意味の地平を指している。
人間はこのような意味の地平を形成し、そうすることで(私たちが普通言う意味での)世界との関係に入るのである。そして、この「世界」の規定のうちにある「存在者が存在者として現れる」ということを可能にするものこそが「存在」である。
さて、ハイデガーにとって「世界」が以上のように「存在者が存在者として、さらに特定の何かとして現れうるような意味の地平」として「存在」から規定されている「オントローギッシュ = 存在論的」な概念である限りで、「存在」こそが究極的には人間の世界への慣れ親しみを可能にしている。
ハイデガーにとって「存在」が初めて人間にとって人間的な世界との関係、「世界内存在」を可能にし、世界との慣れ親しみを可能にする点で、さらにまた「存在」は人間的生にそもそものはじめから随伴しているという点で、heimlich(1)なもの、heimlichkeitそのものであると言えるだろう。
しかるに後期のハイデガーの概念化するところ、「存在」とは退去するものでもあり、このことを示すためにハイデガーが用いる言葉の一つが、例えば『真理の本質について』(GA91)Heidegger, Martin. Gesamtausgabe. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann. の第9巻のこと)で導入された「Geheimnis(秘密)」、すなわち、heimlich(2)である。
そしてハイデガーによれば、そのように退去し、隠されたものとなった「存在」が再びラディカルに開示される時には、「存在」は世界との慣れ親しみを解体するunheimlichなもの、「不気味なもの」として現れる。次節ではこのことを説明したい。
さて、そういうわけで、フロイトにとって「慣れ親しまれたもの」が「抑圧」によって「隠されたもの」となり、続いて「不気味なもの」として回帰してくるように、ハイデガーにとっての「存在」は人間的な生のはじめにあって世界との「慣れ親しみ」を作り出すものであり、そもそものはじめからあるものとして「慣れ親しまれたもの」でありつつ、「退去」によって「隠されたもの」となり、それが回帰してくる時にはさしあたり世界とのつながりを解体する「不気味なもの」として回帰してくるということになる。
次節では、この議論を支えるハイデガーの構図を簡単に取り扱っておこう。
2、後期ハイデガーの哲学の基本構図―存在論的差異と形而上学の批判
いわゆる後期ハイデガーの議論の構図を一応理解するために必要なのは(1)存在者と存在との存在論的差異、(2)「存在」の先行性、(3)「存在にさらに先行し、存在者と存在との差異を克服するとも言われるSeyn」という三点についての了解であると言っていいだろう。
まず、(1)存在者と存在との存在論的差異について確認しよう。「存在者」とは、私たちの目の前にあるペンや本やパソコンといった物から始まって、植物、動物、そして私たち自身といったものすべて、それについて「存在する(is/ist)」と私たちが感じ取っており、そう言うということが出来るものすべてである。
では「存在」とは何か。ここでは動物との比較が有用である。私たち人間が存在者と関わるのと同様に動物も存在者と関わっているように見える。だが、ここでのポイントは―少なくともハイデガーによれば―私たち人間から見れば動物も存在者と関係しているが、動物自身はそれらを「存在者」だとは思っていない、存在者を「存在者として」見ることは出来ていないということである。
人間だけが一切のものを「存在するもの」、「存在者」として見ることができる。そして諸事物を「存在者として」、「存在者を存在者として」理解することの内に働いているのが「存在」である。というのは、私たちが何らかの仕方で「存在」、「存在する」ということを知っているがゆえにのみ、私たちは諸事物のうちに、それが「存在している」ということを認め、それを「存在者」と見ることができるからである。
この意味で「存在」とは人間が持っている「存在する」「ある」という「感じ」であって、存在「了解」以外の何ものでもない。この「存在を了解している」という側面を際立たせるためにハイデガーが人間を指すのに用いた用語が「現存在」であり、ここからして有名な、「現存在」が実存するときにのみ「存在」が与えられているというテーゼが理解される。
実体的な「存在者」とは異なって、「存在」は人間による「存在了解」という形でのみある。この両者の違いが、さしあたり「存在論的差異」の意味するところである
続いて(2)の「存在」の先行性とは、ハイデガーにとって人間的な生のあり方に「存在(了解)」が徹底的に先行しており、「存在(了解)」こそが人間の人間的なあり方を可能にしていることを意味している。これについてはさしあたり人間は誰でも世界や自分が存在していることを知っているという事実を持ち出すことが出来る。
しかるに、このことを少々精密に考えるには、「テーブルをこのテーブルとかあのテーブルとして知覚する前に、現前するということのような何ごとかがあるということを、すでにあらかじめ認取しているはずです」(『ツォリコーン・ゼミナール』8ページ)という引用を出発点とするのがよいだろう。
ハイデガーは人間的な世界の特徴として諸物が特定の何か「として」分節されて現れてくることを挙げているが、これはハイデガーによると「存在(現前)」によってのみ可能となっている。以上の引用はこの点を指摘している。さて、この問題を考えるには恐らくカントとの関係を見るのがよいだろう。
ハイデガーは存在者と関わるものをオンティッシュ、存在と関わるものをオントローギッシュと名付け、それをカントの経験的と超越論的の差異に重ねあわせた。カントが超越論的ということで問題にしたのは、超越論的主観の能動的な構成作用によって、直観の無秩序な多様から自己同一的な対象が成立し、それがカテゴリーのネットワークにより一貫した経験へとまとめあげられるというプロセス、それによって私たちが現に経験しているような経験が確立するプロセスだが、ハイデガーに言わせるとこのプロセスの中心にあるのが「存在」である。
というのも、第一に、ハイデガーが「同一律」(GA11)で述べているところによれば、「A ist A」の同一律が示すように、諸物が自己同一的な対象として立ち現れること、諸物の自己同一性を支えているのはistだからであり、また第二に、カントがカテゴリーを判断表から導き出したことにも示されるように、「A ist B」の中のコプラとしてのistこそが、ある対象についていかなる述定が可能なのかを規定し、あらかじめ対象を特定の「あり方」を与えることを通じて、述定一般の可能性を支えるからである。私たち自身、以上のことに完全に納得したとは言えないが、さしあたりこの様に述べることが出来るだろう。
さて、以上をまとめよう。諸物を特定の何か「として」現れせしめることを陳述の形で表現すれば、「A ist B」となるが、ここにおいて第一に、まずもってAが自己同一的なものとして立ち現れるために、同一律のistが働いており、また第二に、個別的な述定(A ist B、C、D…)が可能になるために、コプラとしてのistが、カテゴリーによってAを特定の規定可能性に向けてあらかじめ規定しているというわけである。この後者の点を捉えて、『存在と時間』の頃のハイデガーは、諸対象の「存在」がいかに理解されているかに応じて(いかなるカテゴリーが適用されるかによって区別されるところの)諸学問の対象領域の差異を相互に厳密に区別し、各々の対象領域の性格を精密に規定できると考えた。
さて、こういうわけでハイデガーにとって「存在」は諸物が特定の何かとして現れることに先行的である。言い換えれば、特定の何か「として」というオンティッシュな「として構造」は「存在者としての存在者」というオントローギッシュな「として構造」に先立たれている。ところで、ハイデガーにとって「言語」とは、諸物が特定の何か「として」現れ出ているという事態を指しているから、「存在」こそが「言語」を支え、また逆に「言葉は存在の家である」ということにもなる。「存在」は世界が意味を持つことを可能にするものである。
さて、つづいて③「存在にさらに先行し、存在者と存在との差異を克服するとも言われるSeyn」を取り扱おう。以上の二つのこと、「存在者」と「存在」の差異と「存在の先行性」は本来のハイデガーの問いの前段階にすぎない。
本来の問いはこの「存在」あるいは「存在了解」の可能性の条件への問い、存在了解がどこからどのようにして可能になるかの問いであり、その意味でハイデガーの思惟は、煎じ詰めて言えば、人間が世界や自分が「存在する」ことを知っており、従って「存在」を了解しているという事態に既に含まれている事柄を探求することでしかない。
この本来の問いをハイデガーは『存在と時間』では「存在の意味」への問い、いわゆる後期哲学の中心的著作と見なされる『哲学への寄与』では「存在の真理」への問いと呼ぶ 。
このことにしたがってハイデガーの議論は三項構造をなす。すなわち、「存在者」「存在(者性)」「存在の意味/真理」であり、「Seyn」という存在の古い書き方はこの第三項を指し示すためにハイデガーによって用いられた語である。
このSeynの次元のハイデガー的な構想を捉えるにあたってまず重要なのは『形而上学とは何か』(GA9)である。
本講演でハイデガーは「存在了解」の「可能性の条件」を問うというプロセスの一つの終着点に到着したのだが、そこでこの「可能性の条件」として与えられるのは、ハイデガーが「無」、本質的な「不安」が開示する「無」と呼ぶものである。曰く、人間が「無」と呼ばれるものと接触することによってのみ、「無」の反対物として、存在者が「存在する」ということ、すなわち、「存在」が端的に経験され理解されるのであって、この出来事があらゆる「存在了解」を可能にするものであり、従って人間的なあり方一切に先行しているというのである。
そして、ここに生じる端的な「存在」の経験、「ある!」ということの純粋な衝撃の経験、「存在」の現れの経験が、ハイデガーにとって「真理」とは「隠れていないこと」「はっきり現れていること」を意味する以上、「存在の真理」だということになる。この「存在の真理」が一切の存在了解を可能にする。
さて、後期哲学の最初のまとまった提示と見なされている断想集『哲学への寄与』(GA65)は、この立場を少々展開したものである。まずハイデガーはこの「存在の真理」の出来事に関して、例えば「了解」や「意味」という語が示唆する「人間が行うことだ」といった含意を削ぎ落とし、それを存在自身の動き、「存在の生起」と捉える。
このことに従って、存在の開示の動きがそれ自身の内的論理によって動く一種独特の歴史を為しているという発想が可能になり、存在が初めて大々的に開示され語られたギリシアという「第一の元初」から、様々な存在の了解のされ方の編纂が生じた「西洋の(形而上学の)歴史」を経て、来るべき「第二の元初」を見据えるという、おそらくはニーチェの「ヨーロッパの歴史としてのニヒリズム」という考え方に影響された図式が出現する。
それはそれとして、本書での「存在」の内的構成についての構想の中核を為すのが、先に言及された「無」と「存在の真理」とのほとんど同一ということが出来る関係である。「存在」が経験され了解されるのは人間が「存在者」と「無」の間に立つことによってのみであり、言い換えれば、人間が存在者とは別のものへと引っ張られ、存在者から極限まで引き剥がされることによってのみである。
ということは、「無 = Seyn」は存在者から離れ去る運動性として把握できる。一言でいってしまえば、ハイデガーの基本的発想は、「存在の真理」が、かくしてある退き去りの運動性であるがゆえに、まずもってギリシアという「第一の元初」の後に存在は退去してしまうが、しかるに、この退去の極限化によって存在者との極限の距離の経験が準備されることによって、再び存在が端的に経験されるという「第二の元初」を展望できるというものである。
かくして、本書は存在が立ち去ってしまっているということの「鳴り響き」を聴くことから始まり、「第一の元初」との「投げ合い」によって、このことが「西洋の歴史」の一貫した運動であることが確認され、そうこうするうちに、この存在の立ち去り、存在の「拒絶」、「無」、存在者からの極限の離れへの「跳躍」の可能性が生じる。
そして、この「無」だけが「存在の真理」として際立った「存在了解」、さらには「存在了解」一般を可能にするものであるが故に、引き続いて、存在の中に存在者が「確かに存在するもの」として根拠づけられることとしての「根拠づけ」が生じる。
この「根拠づけ」は、人間から見られるなら、ある退き去りの運動の経験であるがゆえに、それは無根拠な深淵そのものの経験でもある。それは無根拠な深淵から一切を根拠づける「元初」であり、新たな歴史の絶対的な始まりであるというわけである。「存在の真理」の出来事は、その本質において「無」であり「深淵」であるがゆえに以前のものから説明されえない絶対の切断であり絶対の始まりなのである。
さて、こうして「存在」の開示の出来事がその内的運動構造に即して語られるのだが、それはある退去し隠れる動きそのものにより開示を行うものであり、以上で述べたような厳密な意味において隠れと現れの二重性、本書の言葉で言えば、VerbergungとLichtungの二重性、その極限的な緊張関係である。
だからこそ「存在の真理」によって「存在者」が「根拠づけ」られ回復された後には、この立ち去りゆく「存在の真理」を「存在者」のただ中に「匿う(bergen)」ことが試みられなければならない。その活動の一つが『芸術作品の根源』で論じられた「芸術」である。
以上のように言うことによって、ハイデガーが本書で構想した「存在の真理」の出来事、「Ereignis」、あるいは「Seyn」の運動といった本質的には同一の事柄についての基本的な枠組みが提示されたことになる。
さて、(3)「存在にさらに先行し、存在者と存在との差異を克服するとも言われるSeyn」という点をここから説明してみよう。それは、Seyn、すなわち、「存在の真理」こそが、「ある!」を端的に経験させて「存在」を人間に了解させ、そうすることで同時に存在者が存在者として初めて現出してくるような契機として、存在と存在者とを初めて区別し差異化することで両者を同時的に可能ならしめる運動だということである。
そこでは存在と存在者との差異は前提とされず、むしろそこで初めてその差異が作り出されるという意味で存在論的差異が克服されている。
このあたりの事情をもう少し詳しく見るには、ハイデガーの「形而上学」の批判、といって言い過ぎであれば、ハイデガーが自らと「形而上学」との差異をいかに構想したかを見るとよいだろう。
そのいわゆる「形而上学」を、そのもっとも根源的な規定に即して一言でいえば、それはこのSeynを見ないことであり、この深淵そのものから「存在者」へとそそくさと立ち返った上で、そこから「存在者」を「超えてmeta」「存在」を問うことである。
ハイデガーにとっての「形而上学」とは、彼がアリストテレスの『形而上学(Metaphysika)』に見いだした問い、「存在者とは何か」「存在者としての存在者とは何か」という問いから徹底的に規定されている。
そこでは「存在者」が見据えられ、そこから出発して、それを「超えて(meta)」、「存在者としての存在者」とは何か、つまり、存在者を存在者たらしめるものは何かが問われている。ところで「存在者を存在者たらしめるもの」とは「存在」だが、このとき「存在」は存在者の方から、その共通性質として捉えられているために「存在者性」と呼ばれることになる。
ハイデガーがいささか強引な仕方で言おうとしているのは、自分以外の「形而上学」の歴史は、例えば「エネルゲイア」や「絶対精神」から現代の技術社会の「計算的な対象化可能性」にいたるまで、様々な仕方で、このような「存在者性」を問い、表現していただけであり、「存在」「ある!」の純粋な衝撃、すなわち「存在の真理」にして、「存在」と「存在者」を初めて区別しつつ現出せしめ、かくして存在者から存在へと問うこととしての形而上学をも可能にしているようなSeynの運動、Ereignisを捉ええなかったということである。
このことをハイデガーは、「形而上学」は「存在論的差異を」前提とするだけで差異そのもの、「差異としての差異」を問わなかったとも表現する。ハイデガーによれば「形而上学」は自らが必ず前提しているはずの、このSeynの運動を期せずして飛び越してしまっているのであって、このことにしたがって後期のハイデガーは自らの方法を、飛び越えられてしまったものへの「歩み戻り(Schritt zurück)」(例えば、GA11所収「形而上学の存在-神-論的体制」)として特徴付ける。
ところで「存在者性」として捉えられたとき「存在」は基本的に「現前性」となり、従って「存在者性」を取り扱う「形而上学の歴史」は基本的に「現前性のあり方の変遷」(GA14所収「時間と存在」)となる一方、Seynは見てきたように後退と隠れの運動性であるから、それへの問いは非現前的なものへの問いとなる。かくして確かにハイデガーの立場を「現前性の形而上学」の批判と見なすことには正当性があることになる 。
以上をまた別の側面から図式的に整理し、「存在者」「存在(者性)」「Seyn」の三項構造と知の種類を対応させるならば、ハイデガーにとって経験的な諸学問、諸科学は諸々の「存在者」を取り扱うだけであり、他方で伝統的な形而上学としての哲学は「存在(者性)」を問うのだが、やはりもっとも根本的な「Seyn」を問うのは自らの「存在の思惟」だけであるということになる。
最後にこの「存在の思惟」の性格を示す一節を引用しておこう。
私たちがその自らを退去させるものに関係付けられているとき、私たちは自らを退去させるものへの道筋の上に、その要求の謎に満ちそれ故に移ろいやすい近さへの道筋の上にいる。ある人がことさらにこの道筋の上に居るとき、そのとき人は、自らを退去させるものからどれほど遠く離れていようとも、退去がいつものように覆われたままでいようとも、やはり思惟しているのである。ソクラテスは生涯を通じて死に至るまで自らをこの道筋の隙間風の中へと立て、自らをその内に保つということ以外の何もしなかった。だから彼は西洋で最も純粋な思想家である。それゆえ彼は何も書かなかったのである。というのも、思惟からして書くことをはじめる者は、強すぎる隙間風を前にして風のあたらない側へ避難する人々と拒みようもなく似てしまうからである。ソクラテス以後の全ての西洋の思想家が、彼らの偉大さにもかかわらず、そのような避難者でなければならなかったということは未だ隠匿された歴史の秘密に留まっている。(GA8.19-20)
後期ハイデガーの思惟は、このような仕方で、かく退き去りゆくもの、ここでハイデガーが印象的に「隙間風」と表現しているもの、一言でいえばSeynの声、それが「退き去りゆくことによって私たちを惹きつける」(GA8.11)という意味での呼び声、つまり退き去る運動性により私たちの欲望の対象になるという意味での呼び声に純粋に耳を澄ませるということだけを追求しようとしたと、おそらくはまとめることが出来るだろう。
さて、以上によって本節の本来の目的、ハイデガーにおける「不気味なもの」の運動の規定を根底で支えている図式を明らかにすることが出来たといえるだろう。すなわち、「存在者」-「存在者性」の対で見る時には、「存在(者性)」は存在者を存在者として根拠づけ、世界が確かに「ある」という感じを支えてくれるもの、私たちの世界との「慣れ親しみ」を可能にするもの、heimlich(1)なものである。ところが、「存在者」-「存在者性」の対の根源であるSeynに目を移すとき、それはある隠れの、Geheimnisの運動であり、heimlich(2)である。
そしてこの隠れの後退運動がラディカルに経験されるとき、それは存在者からの、つまり日常性からの切断の経験、ある「無」の経験であり、世界の「慣れ親しみ」が完全に解体する経験、すなわちunheimlichなものの経験だということになる。実際、ハイデガーがunheimlichについて盛んに論じたのは、「無」を開示するものとしての「不安」の経験との関わりにおいてである。
ところで後期のハイデガーがあるところで述べているところによると―私たちとしてはここにハイデガーの思弁の一つの頂点、すなわち、その思惟の枠組みの中でもっとも滅茶苦茶なことが言われる点を認めたいのだが―存在のこの「不気味な」側面、その「深淵」という側面は、「存在者の根拠づけへと視座をとった場合の存在の認取可能性のために」(GA14.13)、つまり、私たちが世界に「慣れ親し」むことが出来るために、「自らのもとにとどまる/差し控える(An-sich-halten)」ということをしてくれているのである。
ハイデガー曰く—ここは私にはほとんどネタにしか見えないが—このAn-sich-haltenこそ、ギリシア的な意味での「エポケー」であり、すなわち、「エポック」である。「形而上学」としての「存在の歴史」とは、かくして、かく慎しみ深い「存在」が、その深淵としての激発を「差し控え」ていてくれたがために、人間が存在によって根拠づけられた存在者たちのもとで、慣れ親しんで生活することができた時代の連なりなのである。
3、フロイトの「不安・不気味なもの・抑圧」をハイデガーから解釈すること
こうしてハイデガーにおける「存在」「不気味なもの」「不安」の連関を一応捉えることが出来たので、続いてフロイトに戻って、その「抑圧」「不気味なもの」「不安」の連関を捉えることとしたい。「不安」と「抑圧」の連関を見てみると、フロイトははじめ現実の危険から生じる現実不安とは区別される神経症的不安につき、抑圧された表象に付着する情動が、抑圧によって不安に転化することで発生するのだと考えていたが、後期の「制止、症状、不安」などでは、抑圧と不安との順序関係をひっくり返し、不安によって抑圧が生じるという順番で考えるようになった。
現実不安は現実の危険状況への対応、神経症的不安は過去の危険状況への対応であり、過去に危険をもたらし抑圧されたのと同じ欲動の動きが危険なものとして不安を引き起こす。他方でフロイトはいうところの現勢神経症に関しては、欲動の不満足が不安を引き起こすという、「抑圧→不安」という順序関係に準ずる考えを維持してもいる。
この二つは一見したところ矛盾しているが、欲動の不満足をこそ根源的な危険状況なのだと捉えれば、この矛盾は解消される。かくしてフロイトは出産という分離によって生じる欲動刺激の急激な増大とその不満足に危険と不安の根本的な範型を見る。
それは続いて母の不在による欲動不満足の危険と不安となり、さらに母を明確に対象として認識した後には、対象喪失の不安となる。これは男児の場合には去勢不安として、女児の場合には愛の喪失の不安として現れるのだという。おそらく「抑圧」を云々しうるのは、危険な事態の招来に関して自己が関与しているという意識が存在し始めるようになってから、従って自我が原初的な仕方であれ確立してからだろう。
それが恐らくこの時期なのであり、この後の経過を簡単に整理すれば、この対象喪失の不安、男児なら去勢不安との関係で、エディプス的な母への欲望の「抑圧」、おそらく「原抑圧」と呼んでよい「抑圧」が生じることで「無意識/エス」と「自我」の区別、さらには喪失したものの内面化による「超自我」の確立も生じてくることになる。
ここで話を「不気味なもの」に戻すとすれば、フロイトにおいて「不安」が「抑圧」を生み出す以上、「不気味なもの」も、何か慣れ親しんだものが、ある危険状況と不安の喚起によって「抑圧」され、それがしかる後「不気味なもの」として回帰するということになるだろう。
ところで、「不気味なもの」に即してフロイトとハイデガーにある種の並行関係を見いだした私たちとしては、これを媒介としてフロイトの不安と抑圧をめぐる議論を(さしあたり哲学的にはより厳密に基礎付けられているように見える)ハイデガー的な構図から解釈するということはそれなりに魅力的に見えてくる。
つまり、それによって「原抑圧」が生じるような根本的な「不安」を、ハイデガー風に、それによって世界が初めて意味を持って立ち現れてくるような「存在」の開示の出来事に必然的に伴う「無」と「不安」の契機、すなわち、「死の不安」と解釈し(フロイトは「制止、症状、不安」では「死の不安」を派生的なものと見なしているが)、だが、「存在」が退去し「Geheimnis」となり「忘却」されるように、この不安を引き起こすものも「抑圧」され隠されたものとなり無意識が生成するという風に。
これをさらに続けるなら、だが「抑圧」されたものは反復強迫的に回帰しようとする。これに対応するのはハイデガーが「存在の声」と呼ぶものだろう。さらに「不気味なもの」「抑圧されたもの」の決定的な回帰の経験は「抑圧」のもととなった「不安」の根本的な再経験として、ハイデガーなら「存在の真理」と呼ぶものから解釈されることになるだろう。それは旧来の「世界」、意味的な世界が一旦解体されるような新しい始まりという意味で「元初」である。
恐らく、このようにハイデガーからフロイトないし精神分析を読解するということは、ジジェクが一般的にやっていることを表現するのに使える一つの方法である。もちろんジジェクがハイデガーの名を完全に肯定的に引き合いに出すことなどはないにしても。ジジェクのつもりとしては、こういった理論構成をラカンのセミネール7『精神分析の倫理』から引き出していると思われる。
すなわち、そこでは母的な「もの」が原抑圧された対象としてあり、そこへ向けて「欲望」「死の欲動」が組織される。このことがハイデガーの言葉をつかって「死への存在」とも呼ばれている。そして「死の欲動」は端的な自己破壊衝動であると同時に、ある絶対的なはじまりへの意志でもあるとされる。
ということは、「もの」は抑圧され隠されたものとなってしまうけれども、そこへむけて「欲望」ないし「死への存在」が組織され、その極限において「もの」の場所が再び到達される時には、何らかの意味で「絶対的な始まり」が生じるというわけだろう。
ハイデガーの「存在」が根本的に「元初Anfang」であるのと同じように。ラカン自身がハイデガーを意識している面があるので当然だが、ここに現れている立場は確かにフロイト自身よりもハイデガーの思惟と馴染むところが大きいように思われる。
文献リスト
Heidegger, Martin. Gesamtausgabe. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann.
『フロイト全集』(岩波書店).
前後のページへのリンク
ハイデガー後期哲学の「最小構成」—「形而上学」概念に注目して
ハイデガー『技術への問い』を巡って
References
1. | ↑ | Heidegger, Martin. Gesamtausgabe. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann. の第9巻のこと |