ハイデガー後期哲学の「最小構成」—「形而上学」概念に注目して

1、私のこれまでの研究と、今後の展望

 私はこれまでの研究においては未だ存命中の哲学者スラヴォイ・ジジェクの思想を包括的に取り扱った。その独特の非直線的な議論の展開によって、一見したところ一貫性を欠くように見え、またそのかどでよく批判もされる彼だが、実際はそこには一貫した問題意識がある。それが「否定的なもの」あるいは「否定性」についての問いである。

 では「否定的なもの・否定性」とは何か。これを一言で言うことは出来ないし、そもそもそれは言うことが出来ない。というのも、後で説明するように、それは言語の領野に開いた穴、つまり、言いえなさ、言い尽くしえなさとして経験されるものであり、ジジェクがよく使う言い方を用いれば、それそのものは言うことが出来ず、様々な方向から繰り返しアプローチし取り囲むことで、その中心に浮かび上がる空虚としてのみ表現にもたらすことが出来るからである。この事柄の要請に従ったために(?)、私たちの論考は長大になり、また様々な方向から繰り返し同じものが目指されることで一見したところ混乱しているが、その実、それは事柄そのものに即した論述法なのである。

 そうはいうものの、やはりこの「否定的なもの・否定性」について最初の特徴付けを試みなければならない。それは一言で言えば「肯定的なもの」ではないものである。「肯定的なもの」とは「それは~(赤い、甘い、丸いもの…)である」と「肯定的」に語りうるもののことであり、私たちが普通経験するものは、私たち自身を含めて、基本的に全てこのように語りうる。

 だが、そのように容易にそれが何であるかを語り得ないもの、「否定的なもの」が存在する。一番分かりやすいのはトラウマ、フロイトなら反復強迫と呼ぶだろうトラウマ的記憶の反復的回帰だろう。トラウマがトラウマであるのは、それが十全に表象され語られないからであり、それを語ろうと試みるとき言葉は支離滅裂となり失敗してしまう。

 それは「何である」かを肯定的に言うことが出来ないものであり、それとの遭遇は私たちの現にあるあり方を一旦停止し、否定し、それに亀裂を入れるものであるから、「否定的なもの」と言うことが出来る。それを性質という側面から捉えるなら「否定性」という言葉が用いられる。

 以上から分かるように、「否定的なもの」は言語によって編まれた編み物である私たちの世界に開いた穴として現れ経験されるものであり、ジジェクはラカンに従う形で、これを「象徴的なもの」の領野に走る亀裂、象徴化に抗うものとして定義される「現実的なもの」とも呼ぶ。

 私たちがこのような「否定的なもの/現実的なもの」との関わりを持ってしまっているという事実は、人間の自己分裂という仕方でも表現することが出来る。というのも、私たちの同一性は「私は~(大学院生、日本人、男性…)である」などと表現される「肯定的なもの」であり、私たちは自らをこういった肯定的規定を通じて認識しているのであって、「否定的なもの」との遭遇は、この同一性の連続性を解体し、否定し、分裂させるからである。それは私たちの内に解消不可能な緊張関係をもたらす。

 さて、ここでジジェクの問題意識、あるいはジジェクを読む私たちの問題意識を定式化しよう。それを一言でいえば、一体全体どうして人間はこのようなものと関係を持っているのかという素朴な疑問であり、あるいは別様に言えば、なぜソクラテスは「ダイモーンの声」なる奇妙な声を聴いたのか、ということは、つまり、なぜ哲学があるのかという問いであり、あるいはまた別様に言えば、フロイトのいう反復強迫、つまり十全に語りえぬトラウマ的な記憶の反復的回帰がどこに由来するのか、ひいては人間に内在する自己破壊衝動としての「死の欲動」はどこに由来するのかという問い、以上を一言でいえば、私たちが「否定的なものの声」と呼ぶものがどこから響いてくるのかという問いである。

 この問いをより一般的かつ正確に規定すれば、人間における「否定的なもの」との関わりはどこに由来し、それが全体的にどのようなものであり、それが人間性にとってどのような帰結を持つかを問うこと、その「起源」「諸様態」「帰結」の問いだということが出来る。これが私たちの唯一的な問いである。

 さて、この問いにおけるジジェクの基本的な参照点は、先の「トラウマ」や「現実的なもの」という言葉遣いから明らかなように、一方ではフロイトとラカンの精神分析であり、他方ではヘーゲルの「否定性」の概念を中心とするドイツ観念論である。修士論文では、この両者のジジェク的な総合の論理が問われ、その基本的な諸点について説明されることとなった。

 この問いの過程において浮かび上がってきたのはジジェクとハイデガーとの密接な関わりである。それゆえ今後の研究においては、ジジェクの参照点となっている諸源泉に立ち戻りつつ、以上の問いをより精密に問うという基本的な問題意識のもと、ハイデガーの思惟の歩みを、ジジェクにおいても重要だったドイツ哲学の伝統との関わりにおいて問う。

 私の考えるところ、この私たちの問い、「否定的なものへの問い」、より正確に言えば「否定的なものと人間との原初的関係性への問い」という視点により、後期ハイデガーの思惟はその一貫性において理解可能なものとなり、またハイデガーの思惟によって「否定的なもの」への対し方の一つを学び取ることが出来る。

 さて、以上の点について最低限の出発点となる説明を与えるため、以下ではハイデガーにおける「形而上学」の概念を取り扱う。それはハイデガー哲学のいわば「最小構成」を明らかにしようとするものとなる。このことを通じて本稿の終わりには私たちの現在の基本的態度、私たちがとる根本的な立場を明らかにできるはずである。

2、「存在論的差異」―「存在者」と「存在」とは何か

 私たちにとってハイデガーの思惟の比類のない点は、それが「否定的なものと人間の原初関係」と私たちが呼ぶものを問う上での一切の障害物と夾雑物とを取り除き、それをその全き純粋性と高貴さにおいて経験し言葉にもたらそうと試みた点にある。

 このことが彼の「形而上学」との批判的対決の核心であるというのが本稿の主張だが、この点に至るために、私たちはまず彼の思惟の基礎にある「存在者」と「存在」との「存在論的差異」を取り扱うことから始めなければならない。

 「存在者」とは、私たちの目の前にあるペンや本やパソコンといった物から始まって、植物、動物、そして人間としての私たち自身といったものすべて、それについて「存在する(is/ist)」と私たちが感じ取っており、そう言うことが出来るものすべてである。

 では「存在」とは何か。ここでは動物との比較が有用である。私たち人間が存在者と関わるのと同様に動物も存在者と関わっているように見える。だが、ここでのポイントは―少なくともハイデガーによれば―私たち人間から見れば動物も存在者と関係しているが、動物自身はそれらを「存在者」だとは思っていない、存在者を「存在者として」見ることは出来ていないということである。

 人間だけが一切のものを「存在するもの」、すなわち、「存在者」として見ることができる。そして諸事物を「存在者として」、つまり、「存在者を存在者として」理解することの内に働いているのが「存在」である。というのは、私たちが何らかの仕方で「存在」、「存在する」ということを知っているがゆえにのみ、私たちは諸事物のうちに、それらが「存在している」ということを認め、それらを「存在者」と見ることができるからである。

 この意味で「存在」とは人間が持っている「存在する」「ある」という「感じ」であって、存在「了解」以外の何ものでもない。この「存在を了解している」という側面を際立たせるためにハイデガーが人間を指すのに用いた用語が「現存在」であり、ここからして有名な、「現存在」が実存するときにのみ「存在」が与えられているというテーゼが理解される。人間による「存在了解」という形でのみ「存在」はある。

 ハイデガーの思惟とは、煎じ詰めて言えば、人間が世界や自分が「存在する」ことを知っており、従って「存在」を了解しているという事態に既に含まれている事柄を探求することでしかない。ここにハイデガーの問題意識の普遍性を見ることが出来るだろう。というのも、人間は人間であるかぎりで「存在」を理解しており、ここに動物との差異があるというのは確かに正しいように思われるからである。

3、「存在」の先行性

 ハイデガーの思惟の基本的傾向は「存在」の先行性の主張に基づく。人間的な生は「存在者を存在者として」了解すること、つまり「存在了解」に徹底的に依存しており、それに先行されている。「存在」を了解することによってのみ、私たちが現に知るような世界との関わりが生じてくる。このことはさしあたり、私たちは誰でもまずもって自分が存在することを知っているし、あらゆる対象につき「ある」ということ、つまり「存在」を感じ言明しているという事実を持ち出すことで理解できよう。

 だがこのことのハイデガー的な正当化を更に精密に理解するには、まず私たちの世界が決定的に言語によって構造化され、諸々の物が、たとえば「ペンとして」「机として」など、あらかじめ「~として」分節化されていることを見なければならない。

 そしてハイデガーによれば、このような「~として」は「存在」が可能にしている。曰く「テーブルをこのテーブルとかあのテーブルとして知覚する前に、現前する[=存在する]ということのような何ごとかがあるということを、すでにあらかじめ認取しているはずです」(ZS.71)Heidegger, Martin. Zollikoner Seminare. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann, 1987.の7ページのこと。、邦訳『ツォリコーン・ゼミナール』8ページ)。

 なぜだろうか。ここで「オンティッシュ(=存在者と関わる)/オントローギッシュ(存在と関わる)」の存在論的差異と、カントの「経験的/超越論的」の差異の重なり合いがヒントとなる。

 カントは現にある経験的認識につき、それが経験に先行する超越論的な主体の側の能動的な作業によって構成されていると考えた。認識のはじめはスナップショット的な瞬間瞬間の直観であり、そこには自己同一的な対象はまだ存在しないし、経験の領野の一貫性もない。超越論的な主体がそれを作り出さなければならない。

 では、何によって?ハイデガーの答えは「存在」である。というのも、対象が持続的で自己同一的なものとして立ち現れることを可能にするのは、「A ist A」の同一律が示すように、「存在(ist)」だからであり(GA11.352)Heidegger, Martin. Gesamtausgabe. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann. の第11巻の35ページのこと。)、またそのように可能になった対象がいかなるカテゴリーにより構造化され、それについていかなる述定が可能であるか、それがどのような本質を持ちうるかを規定するのもコプラとしての「存在(ist)」だからである。カントが私たちの経験の領野をアプリオリに可能にしているカテゴリーを判断表から、すなわちコプラから導き出したことを想起しよう。

 かくしてハイデガーからすれば、あるものが「机として」など特定の何かとして現れること、陳述の形にすれば「A ist B」となるこのことを可能にしているのは、Aが自己同一的なものとして現れることを可能にする「A ist A」の同一律のistであり、またAにいかなるカテゴリーが妥当し、いかなる述定が可能かを規定するコプラとしてのistである。「として」の前に「存在」がなければならない。私たち自身この説明に必ずしも完全に納得したという感じを持たないが、さしあたりこのように言うことは出来るだろう。

 かくして「存在」が先行的に理解されることで初めて、諸物が特定の何か「として」意味を持って立ち現れてくるような世界との人間的連関が可能になる。ハイデガーの構想によると、経験的諸学問はこのように「存在」が可能にした人間的な世界との関わりに基づいて「存在者」について研究するが、哲学の仕事はそれに先行する「存在」を問うことなのである。こうしてハイデガーの中で経験的諸学問に対する哲学の先行性が確保される3)『存在と時間』の時期のハイデガーは、明らかに「存在」が「カテゴリー」を規定するという構想のもと、哲学が経験的諸学問を基礎付けうると考えていた。というのも、ハイデガーの想定からすれば、哲学が「存在了解」一般をその根源たる時間性から展開することを通じて、「存在了解」の様々なあり方を原理的な仕方で相互に区別し厳密に規定することによって、お互いに異なるカテゴリーに依拠している経験的諸学問の対象領域の区別を原理的に解明し、その各々の対象領域の性質を厳密に規定することが可能になるからである。

4、存在了解の可能性の条件への問い―『存在と時間』から『哲学への寄与』へ

 以上の二つのこと、「存在者」と「存在」の存在論的差異と「存在の先行性」は、本来のハイデガーの問いの前段階にすぎない。本来の問いはこの先行的な「存在」にさらに先行する問い、「存在了解」の可能性の条件への問い、存在了解がどこからどのようにして可能になるかの問い、存在の様々なる了解がそこから生じる「そこ」への問いである。この問いをハイデガーは『存在と時間』では「存在の意味」への問い、『哲学への寄与』では「存在の真理」への問いと呼ぶ4)本稿では、この両者の差異については立ち入らず、どちらも存在了解一般を可能にするものの地位を持っていることに着目して、両者を基本的には「同じもの」として取り扱う。両者の差異としてさしあたり銘記しておきたいのは、「意味」は人間がなす「了解」と強く連関することで、人間が持つ強いイニシアティブを示唆するのに対し、「真理」ではそのような含意が後退していること、その代わり「真理 = 隠れていないこと」の語が用いられることで、存在が自らをはっきりと現す出来事という含意を強めている点である。

 『存在と時間』の時点でのハイデガーのこの問いへの答えは「時間」であり、人間のうちで時間なるものが生じ、大雑把な言い方をすれば、現在の未来と過去への分化・展開が起きることで初めて存在了解が可能になったとする。ハイデガーは存在了解のあり方と時間のあり方が連関しているという論点を終生放棄しなかったといってよいだろうが、他方でこの存在了解の可能性の条件への問いを問う過程でより重要になってきたのはハイデガーが「無」と呼ぶものである。

 1929年の講演『形而上学とは何か』(GA9)が述べているところに従えば、人間が「無」と呼ばれるものと接触し、存在者たちから引き離されることによってのみ、存在了解は可能になる。なぜなら、私たちは、「無」と対照することによってのみ、つまり、「無」の反対物としてのみ、存在者が「存在する」ということ、すなわち、「存在」を端的に経験し理解出来るからである。

 この出来事があらゆる「存在了解」を可能にするのであり、従って人間的なあり方一切に先行している(GA9.114-115)。そして、ここに生じる端的な「存在」の経験、「ある!」ということの純粋な衝撃の経験、「存在」の現れの経験が、ハイデガーにとって「真理」とは「隠れていないこと」「はっきり現れていること」を意味する以上、「存在の真理」だということになるだろう。この「存在の真理」の出来事が一切の存在了解を可能にする。

 さて、後期哲学の最初のまとまった提示と見なされている断想集『哲学への寄与』(GA65)は、この立場を少々展開したものである。まずハイデガーはこの「存在の真理」の出来事を人間の意志からかなりの程度独立した、人間にとって非随意的な存在自身の動き、「存在の生起」(GA40.218)と捉える5)このことも『形而上学とは何か』の一つの帰結である。いわゆる「形而上学三部作」における有限性概念を私たちは三つに分節することで理解できる。有限性(1)はカント書で出発点とされている有限性、人間的直観がオンティッシュに創造的でなく、つねにすでに所与の存在者(のもととなるもの)に依存しているということを意味する。これは「被投性」の契機とみてよいだろう。この有限性(1)が、存在者と関わるにあたっての先行的な存在了解の必要性を生じさせるが、存在了解が「無」との関わりによってのみ可能であるかぎりで、そこには有限性(2)が存する。有限性(2)とは「無」との、ということは「死」との、不可避的な関わりである。しかるに有限性(3)とは、この「無」ないし「死」の経験の非随意性を意味する。これが『形而上学とは何か』と『根拠の本質について』の末尾近くで認められた有限性であり、「無」こそが「存在」そのものの経験であり「存在了解」を可能にするものであるかぎりで、この有限性(3)こそが、ハイデガーに「存在了解」の生成にかかわる非随意性の承認、ということはつまり、「存在の生起」への移行を強いたのである。『哲学への寄与』では「被投性」は、この有限性(3)に引きつけられている。この「被投性」概念における有限性(1)から(3)への移行は、おそらく『哲学への寄与』でハイデガーの思惟が、有限性(1)の焦点たる存在の開示以前の存在者を問い、論じ、それに言及することを禁止する方向に動いていることと連関している。ハイデガーが「超越」概念に批判的になった一つの理由は、それが超越の出発点として、「超越 = 存在了解」以前の存在者と人間主体を原初的に想定してしまうからである(GA65, §199)。本文第4節が明確にしようと試みるように、『寄与』の焦点たる「Seyn」は存在者と存在との同時性であり、それはメタ存在論が含意する「存在者」の「存在」に対する先行性に真っ向対立しているのである。 いま、「被投性」概念における有限性(1)から(3)への移行ということで、私たちは「メタ存在論の流産」とでも呼ぶことが出来るような仮説を提起したい気になっている(あくまで仮説である)。この仮説においてハイデガーの前期から後期への移行は以下のように把握される。まず、『存在と時間』では、現存在の開示性に関して、「了解-企投」と「情状性-被投性」との等根源性という把握があるが、その後、超越の可能性の条件の問い、世界内存在の可能性の条件の問い、これはハイデガーにとって結局は存在了解の可能性の条件の問いなのだが、そのような問いが追求されるのにしたがって、ハイデガーは存在「了解」を可能にする根源的な「企投」を問題化する。そこで先の「等根源性」のなかで一旦は「了解」-「企投」の次元が優先されるように見えるが、根源的な企投を問えば問うほど、そこに潜む「被投性」の次元も見えてくる。私たちの仮説では、これこそが彼がメタ存在論の導入の必然性を語る際に引き合いに出した、基礎的存在論の深化が引き起こすメタ存在論への「転化」である。ハイデガーは存在「了解」の根源にある「企投」を問うが、存在了解がある特別な「存在者」、つまり、人間にあってのみ可能な点で、「存在了解-企投」より根源的な存在者(現存在)、さらにいえばその「存在者 = 現存在」がその他の存在者の間に投げられていることを見なければならないのである。現存在の事実的実存、ひいては自然の事実的実存が前提とされているのだとハイデガーは言う。ここで興味深いのは、存在者の先行的地位についての見解が『存在と時間』とは変化していることである。『存在と時間』43節末尾の把握では、存在は現存在に依存しているが、存在者はそうではない。では、存在と現存在以前にも存在者は「ある」のか?もちろん、そこに「存在」がない以上、「ある」かどうかなど語り得ない。これがそこでのハイデガーの立場だが、一方で彼は「存在」了解の「オンティッシュな可能性」としての現存在、人間的現存在が存在者として現にいることを語る。とすれば、やはり人間的現存在とひいてはそれを支えるもろもろの存在者の先行性が前提とされているのではないか。『存在と時間』でのハイデガーはこのような自らの立場、つまり、存在了解以前の存在者を全く語らないのと同時に存在了解のオンティッシュな条件について語ることに矛盾を感じていないようだが、メタ存在論の導入は、彼が存在了解の可能性の根源への問いを深めていくにしたがって、この「オンティッシュな可能性」の問題、存在了解に先立つ存在者の地位の問題が不可避になったことを表現している。さて、このメタ存在論の導入の議論はカント書の発端である直観の有限性、すなわち、人間がオンティッシュには創造的ではなく、存在者の事実的実存を前提せざるを得ないという論点とも一致している。さて、このままいけばメタ存在論が正常に生まれでそうである。だが、私たちが語りたいのは、あくまでその「流産」である。これが意味しようとしているのは、「メタ存在論」が語られる際の議論の配置は、「存在了解」=「企投」の根源にある「存在者」への「被投性」というものだったのに、ハイデガーは『根拠の本質について』と『形而上学とは何か』において、「被投性」の契機を存在了解以前の「存在者」というメタ存在論的な契機から引き剥がし、存在を了解する「企投」が同時に「投げられたもの」であるという仕方で捉え返す方向に舵をきるのである。これは存在者とのあらゆる関係、メタ存在論にあっては存在了解に先立つとされた「自然」とのあらゆる関係を「超越 = 存在了解」へと基づけた上で(GA9.159)、この「超越」そのものの非随意性を論じるという構えに見いだされる。もはや「被投性」とは、「存在者」のただ中に投げられていること、「存在了解」が生じる前に、あるいは生じた後に、「存在者」へと投げられていることを意味しているのではなく、「存在了解」を為す根源的な「企投」そのものの非随意性、その「投げられていること」を表現するものになる。何によって「投げられている」のか?「存在者」ではない以上は、「存在」でしかあり得ないだろう。この存在の「企投」が同時に「存在」によって投げられるということでもあるということを全面展開したのが『寄与』以後の後期哲学であり、例えば「存在の歴史」の教説であって、それに対して後期にあっては「存在了解」以前の「存在者」については語り得ないという『存在と時間』の考えが復活するのである(例えばツォリコーン・ゼミナール)。そこにおいて最も根本的なもの、つまり、存在を企投する現存在を、その企投において投げているSeynは、存在者と存在との同時性なのである。この被投性の「場所」の変化、これが「メタ存在論の流産」の言わんとしたことだが、これとともに存在者に対する存在の圧倒的優位が確立されることになる。このような巨大な「変化」がさらりとなされているように見える。おそらくこの何気なさに注目することのうちに、ハイデガーの後期哲学を批判的に問うことの一つの道が開かれていると言えるだろう。この変化こそが、「存在」が一種自律的な仕方で存在者と人間との関係を規定しているという後期の立場を可能としているからである。最後に注記しておけば、私たちは「メタ存在論の流産」について語るけれども、この言葉で考えられようとしていた問題系すべてが放棄されたとまで言うつもりはない。「メタ存在論」が自然という、何がしか存在者全体に該当するようなものを論じることを意図している限りで、その問題は、形而上学の二重構造の一方に位置づけられ、全体としての存在者を扱うものされる「神学」の問題系や、存在のもとに可能になる存在者の秩序を指すと目される更に後期の概念である「Geviert」に受け継がれてはいるのだろうが、しかし、それは存在了解の根源を問うという基礎存在論の深化の過程で、存在了解のオンティッシュな基礎、先行的な存在者への問いへの「メタ」ボレーが必然的に起きる結果という意味での「メタ」存在論ではないのである。実際、最後に私たちの立場を支える論拠をひとつ加えるなら、このように「メタ存在論」概念に一種の失敗を見出さないとすれば、彼が後期において決してメタ存在論という用語を使わなかったことの説明がつかないだろう。。このことに従って、存在の開示の動きがそれ自身の内的論理によって動く一種独特の歴史を為し、ギリシア以来の西洋の歴史のもっとも根本的な次元を支配しているという「存在の歴史」という発想が可能になる。

 だが本稿でより重要な本書での「存在」の内的運動構造に関して言えば、決定的なのは先に言及された「無」と「存在の真理」とのほとんど同一ということが出来る関係である。「存在」が経験され了解されるのは人間が「存在者」と「無」の間に立つことによってのみであり、言い換えれば、人間が存在者とは別のものへと引っ張られ、存在者から極限まで引き剥がされることによってのみである(vgl. ZS.230、邦訳251-252ページ)。ということは、「存在の真理 = 無」は存在者から離れ去る運動性として把握できる。

 かくして『寄与』におけるハイデガーの基本的発想は、「存在の真理」がそのようにある退き去りの運動性であるがゆえに、初めて存在の大々的な開示と語りが生じたギリシアという「第一の元初」の後に存在は退去してしまうが、しかるに、この退去の極限化によって存在者との極限の距離の経験が準備されることによって、再び「存在の真理」が端的に経験されるという「第二の元初」を展望できるというものである。「存在の真理」は極限の距離、極限の分裂、極限の「遠さ」の経験なのである。

 かくして、本書は存在が立ち去ってしまっているということの「鳴り響き」を聴くことから始まり、「第一の元初」との「投げ合い」によって、このことが「西洋の歴史」の一貫した運動であることが確認され、そうこうするうちに、この存在の立ち去り、存在の「拒絶」、「無」、存在者からの極限の離れへの「跳躍」の可能性が生じる。本書はこの「跳躍」の準備として位置づけられている。

 そして、この「無」だけが「存在の真理」として際立った「存在了解」、さらに「存在了解」一般を可能にするものであるが故に、引き続いて、存在の中に存在者が「確かに存在するもの」として根拠づけられることとしての「根拠づけ」が生じる。

 この「根拠づけ」は、人間から見られるなら、ある退き去りの運動をもっともラディカルに耐え抜くことの経験であるがゆえに、それは無根拠な深淵そのものの経験でもある。それは無根拠な深淵から一切を根拠づける「元初」であり、新たな歴史の絶対的な始まりであるというわけである。「存在の真理」の出来事は、その本質において「無」であり「深淵」であるがゆえに、以前のものから説明されえない絶対の切断であり絶対の始まりなのである。

 さて、こうして「存在」の開示の出来事がその内的運動構造に即して語られるのだが、それはある退去し隠れる動きそのものにより開示を行うものであり、以上で述べたような厳密な意味において、隠れと現れの二重性、本書の言葉で言えば、VerbergungとLichtungの二重性、その極限的な緊張関係である。

 だからこそ「存在の真理」によって「存在者」が「根拠づけ」られ回復された後には、この立ち去りゆく「存在の真理」を「存在者」のただ中に「匿う(bergen)」ことが試みられなければならない。その活動の一つが『芸術作品の根源』で論じられた「芸術」である6)この点を少々確認しておこう。ハイデガーにとって「芸術」とは「真理が作品のうちに据えられること」であるが、「真理」とは、もちろん「存在の真理」であり、「存在」のありありとした顕現である。だから、それはまずもって「無」から生じるものであり(GA5. 59, 64)、かくして「決して既存のものから証明されたり導出されたりしない」絶対的な「過剰」「贈与(Schenkung)」(GA5. 63)であって、この「贈与」が芸術の第一の本質を形成する。だが「芸術」は「芸術」であるために作品でなければならず、つまり、ある「存在者」へと形象化されなければならない。それゆえ「贈与」は同時に、存在者の上に「地盤を得る(Gründen)」(ebd.)ことでもある。これが芸術の第二の本質である。この二つによって第三の本質である「始めること(Anfangen)」が成り立つ。さて、かくして成立する芸術作品は「存在者」のただ中である「衝撃(Stoß)」を一身に体現する。すなわち、「そのような芸術作品があったのだ(ist)」(GA5.53)という衝撃、「存在の真理」の衝撃である。要するに、芸術作品とは、私たちの予期を突き破り、そこに穴をこじ開ける無化的な力であって、そうすることによって「存在」の衝撃、こんなものが「ありえたのだ!」という衝撃を自らのうちに凝集させ得たような特権的な存在者なのであり(「存在」とはこの「こじ開け」以外の何ものでもない)、その出現とともに、私たちの世界は解体され再構成される、つまり「始めること(Anfangen)」が生じるような存在者なのである。ハイデガーに言わせれば、真に芸術を鑑賞することは、作品において「平凡なもの」「通例のもの」を「打ち倒す」「途方もなく」「尋常でない」この衝撃を経験し引き受けることで、作品を卓越した意味で作品たらしめることであり、ハイデガーはそれを「保ち守り(Bewahrung)」と呼ぶ(GA5.54)。これに対応する形で芸術の「創造」の行為を私たちなりに語るとすれば、それは、「こじ開け」として一切の形象を爆破してしまう「存在」、形象の爆破そのものである「存在」を形象へと具現化させようとする不可能な努力であり、この相反する二重の動勢のうちで引き裂かれつつ、その両者をつなぎ止めること、そこに生じる絶対的な振動に拮抗しようとする努力である。ハイデガーの立場からすれば、「肯定的なもの」は、それが否定した否定の分しか価値がない。芸術家は、みずからの作品創造を不可能にする存在の否定的な力を否定し返し、それを作品という存在者へと凝縮しなければならない。そして、かく「存在者」のただ中で「存在の真理」の衝撃を自らのうちに保つ芸術作品は、ハイデガーにとって「世界」とは「存在者が存在者として」立ち現れる意味的な地平のことであり、したがって「存在の真理」によってのみ可能になるものであるかぎりで、それによって「世界」が新たな際立った仕方で開かれるような特別な「存在者」である。かくして「芸術作品」は世界を開示すると言われるのである。しかるにハイデガーによれば芸術作品は単に「世界」を「開く」だけではなく、先の「地盤を得る」という仕方で述べられたように、自らを「閉鎖する」ような存在者的・物的な基盤、すなわち「大地」へと根ざさなければならない。芸術作品は開く世界と閉じる大地との闘争である。そうでなければならないのは、芸術作品が「Seyn」に内的な現れと隠れとの二重性を「間接的に」(GA65.471)表現するためである。「間接的に」というのは、「大地」は存在者的な契機として「Seyn」そのものとは徹頭徹尾異なるものであり、「大地」は閉鎖的なものとして現出することを通じて、絶対に現出しない「Seyn」、もっと的確に言えば、現出しなさそのものである「Seyn」の隠れの運動性を、単に間接的に表現するだけのものだからである。。以上のように言うことによって、ハイデガーが本書で構想した「存在の真理」の出来事、「Ereignis」、あるいは「Seyn」の運動といった本質的には同一の事柄についての基本的な枠組みが提示されたことになる。

5、ハイデガーにおける「形而上学」と「存在の思惟」―「存在(者性)」と「Seyn」

 さて、後期の立場の確立とともに批判的な含みを持つ「形而上学」の概念もまた練り上げられる。これを把握するにはまず先ほど出てきた「Seyn」という言い方に着目する必要がある。ハイデガーはこのころ、彼が「形而上学」と一括するこれまでの哲学が問うてきた「存在」と自らの「存在の思惟」が問う「存在」をはっきり区別するために、(1)前者を「存在(者性)(Sein/Seiendheit)」、(2)後者をSeinの古い書き方である「Seyn」と名指す7)ハイデガーは後にこの次元を「Seyn」と名指すことは放棄するが、その点についてはここでは触れない。

 (1)「存在者性」=「形而上学」から見ていこう。ハイデガーはその「形而上学」の規定をアリストテレスの『形而上学(Metaphysika)』に彼が見いだした問い、「存在者とは何か」「存在者としての存在者とは何か」という問いから汲み取っている。

 この問いにおいては、その文言から明らかな通り、まずもって「存在者」が見据えられ、その「存在者」を「超えて(meta)」、存在者を存在者たらしめているものは何かが問われている。「存在者を存在者たらしめるもの」とはまさしく「存在」だが、ここで「存在」は「存在者」の共通性質として「存在者」から抽象されることになる。

 「存在」は「存在者」から出発して、その後になってから見いだされる。ハイデガーはこのとき存在が存在者の共通性質として捉えられている点に着目し、これを「存在者性」と呼ぶ。彼のいささか強引な主張によれば、西洋の偉大な形而上学の伝統は、アリストテレスのエネルゲイアからニーチェの力への意志に到るまで、この「存在者性」を表現するものだったのである。

 (2)続いて「Seyn」を見ていこう。「形而上学」において「存在(者性)」は「存在者」に対する「後付けの追加物(Nachtrag)」となってしまっていたが、ハイデガーからすれば、私たちが第3節の「存在の先行性」で見たように、「存在」が了解されているがゆえにのみ「(存在者としての)存在者」との関わりがあり、「存在者としての存在者とは何か」と問うことも出来る。「存在」は存在者が存在者として現れることの可能性の条件である。

 そしてハイデガーの本来の問いは、さらにこの「存在」の可能性の条件を問うことであり、その答えとなる「存在の真理」は、「ある!」ということの純粋な衝撃、「存在」の端的な現れとして、「無化」の運動、ある後退の運動性であり、それが極限的に経験されるときには深淵的で決定的な切断の出来事であった。この次元がSeynと呼ばれる。

 「存在者性」が「ist」という時に了解されている一種の内容を名指すとすれば、Seynはそのような了解一切を可能にする「ist」の純粋な衝撃そのものである。このSeynは、人間に「存在」を初めて理解させることで、同時に「存在者を存在者として」はじめて現れせしめるものであり、形而上学的な「存在者」-「存在(者性)」の対との関係で見るならば、両者を区別することで同時的に可能にするものであって、両者の間の「存在論的差異」に先行する8)この先行性は、ハイデガーが自らの方法を名指す仕方に現れている。ハイデガーは自らの「形而上学」への関係を形而上学によって「既に飛び越えられてしまったものへの」「歩み戻り(Schritt zurück)」(GA11.58)と名指すのである。これはハイデガーが自らの問うものが「形而上学」に先行するものだと考えていたことを明確に示している。「形而上学」は知らぬ間に自らの基礎にあるものを飛び越えてしまっていたのであり、ハイデガーの思惟はそこに帰っていくというわけである。そしてその帰り先は「差異としての差異」である(GA11.59)。ハイデガーに言わせれば、「形而上学」は「存在論的差異」の中を動くが、その根源、「差異そのもの」「差異としての差異」を問うことはせず、それを常に飛び越えてしまっていたのであって、その常に前提とされていたものへとハイデガーの思惟は帰っていくのである。この「差異としての差異」については本文の続く部分も参照。

 それは「存在者」と「存在」との区別に先立つもの、つまり「存在」と「存在者」との「二重襞(Zwiefalt)」に先立つ、両者の「単一性(das Einfache)」(GA9.159)なのであり、またそうであることで両者の間を「統べる区別」(GA9.201)でもある。

 こういうわけでハイデガーは自らの試みを「存在論的差異の超克」(GA81.348)と名指すことにもなるのだろう。とはいえ、それは差異を無くしてしまうことではなく、差異そのもの、「差異としての差異」、原初的な差異化作用、一言でいえば、差異の根源を問い、そこに立ち戻り、差異の起源を経験することを意味する。

 この「差異としての差異」への問い、すなわち原初的な差異化作用としての「Seyn」への問いこそハイデガーが自らの立場として名指す「存在の思惟」である。以上からハイデガーが「差異としての差異」について、それには本質的に隠れて忘却されるということが属するとしばしば述べる(vgl. GA11.59)理由も明らかだろう。

 「差異としての差異」、「Seyn」は後退し隠れるという運動そのもの、その運動性以外のなにものでもなく、何らの実体的内容ももたないのである。

 『形而上学とは何か』においては、未だこの動性を存在者(のもとになるもの)に対する否定として考えることが出来たのだが、いまやこの動性は「存在者」と「存在」の同時性として両者に先行するものとされている以上、この把握は不可能である。存在の開示以前の存在者については何も思考されえないし、それを前提とすることも出来ない。

 「無」の否定の動性が先行する存在者を否定するのではなく、その否定運動によって、否定されるものが初めて立ち現れるのであって、原初的なのは否定されるものを前提としない否定、否定するものとされるものがそれによって同時産出される純粋な否定の動性なのであり、このことがそこで展開する場所が「現存在」なのである。

 「存在の真理」は、ある分裂の生起であるのだが、その「分け裂き」は、「分け裂かれたもの(存在者と存在)」に先行するという意味で絶対的な「分け裂き」であり、この「分け裂き」における「分け裂かれ」が「現存在」、つまり人間としての人間なのである。

6、「形而上学の超克」とは何か

 以上の「形而上学」と「存在の思惟」の区別から「形而上学の超克」が意味するところを引き出すことが出来る。「存在者」「存在(者性)」「Seyn」の三項関係から出発しよう。

 「形而上学」は「存在者」と「存在(者性)」の「存在論的差異」の中を動く。それは「存在者」から出発し、それを「超えて」、その共通性質としての「存在(者性)」を問い、その「存在」によって「存在者」を確かに存在するものとして根拠づける。

 ハイデガーによると「存在者性」としての存在は、立ち現れてきている存在者から出発することで、究極のところ「現前性」であり、「存在者性」を絶えず表現にもたらしてきた「形而上学の歴史」としての「存在の歴史」は「現前性」の様々なあり方の変遷の歴史である9)ハイデガーはギリシアという「第一の元初」の後、存在了解が存在の側の動きにより様々に変化するという「存在の歴史」として西洋の歴史の根本が展開し、いずれ「第二の元初」が来るという構想を立ち上げるが、ここで二つの元初に挟まれた「存在の歴史」はあくまで「形而上学の歴史」であり、そこで生じているのは「存在者性 = 現前性」の理解のされ方の変化でしかないという点は重要である。この時期にあっては「存在の真理」は退去し、「存在者の真理(=存在者性)」が幅を利かせるのである(vgl. GA5.154, 155, 192)。それどころか「存在の真理」は「存在者の根拠づけへと視座をとった場合の存在の認取可能性のために」「自らのもとにとどまる/差し控える(An-sich-halten)」(GA14.13)ということをしてくれているのである。というのも、「存在の真理」が退去していなかったら、といっても、「存在の真理」は退去の運動以外の何ものでもないから、それが退去していないとは、それが退去として純粋に経験されていることしか意味しえないが、そういう場合には、退去の運動としての「存在の真理」が持つ絶対の深淵性ゆえに「存在者の根拠づけ」は不可能になってしまうからである。「存在の真理」は、その退去の運動によって一切の存在了解を可能にし、かくして存在による存在者の根拠づけの可能性を与えるが、これが単に可能性にとどまらずに現実的なものとなるには、「存在の真理」の退去自身が退去しなければならないのである。かくして、「存在の真理」が再び経験される「第二の元初」の後には、「存在者の真理(=存在者性)」の舞台裏、それを支える「存在の真理」の退去運動、あるいは先に述べたことに従って「退去の退去」という二重の退去運動が見通されること、それはある意味で舞台裏には何も「無」いということが見通されることでもあるのだが、そのような見通しによって、もちろん、存在者が存在者性により基礎付けられるという形而上学の次元自体は消滅しないが、形而上学、あるいはその歴史としての「存在の歴史は思惟されるべきものとしては終わる」(GA14.50-51)ということにもなるのである。

 だが、この形而上学的な「超えて」の運動が可能になるのは、あらかじめ存在者が存在者として立ち現れていること、すなわち「存在」が理解されていることによってである。このことを可能にしたもの、「存在者」と「存在」を初めて差異化したもの、「差異としての差異」、「Seyn」が問われなければならない。

 それは「存在」が「ある!」という衝撃として純粋に現れ感じられる「存在の真理」の契機でありながら、それが「存在者」と「無」の間でのみ可能であることに従って、絶対的な後退運動である。これを思惟するのが「存在の思惟」である。

 さてこの「存在の思惟」が含意し、あるいは要求することを「形而上学」との対比の観点から明らかにすれば、それは第一に「存在(者性)」によって根拠づけられた「存在者」のただなかで人間は安心・安定というわけにはいかず、そこからの立ち去りとしての「Seyn」、存在者のただ中に開けた深淵である「Seyn」と関係付けられているということの承認であり、その次元を問い、思惟することである。

 あるところでハイデガーが用いる印象的な表現によれば、存在は「退き去りゆくことによって私たちを惹きつける」(GA8.11)のであり、そのように後退しゆくことによって、それ自身、私たちを引きずり込む、耐え難い「隙間風」(GA8.19-20)なのである。

 私たちは、この退き去ることによって惹きつける動き、退去することで私たちの欲望の対象となり、問うに値するものになるという動き、この呼び声に耳を澄ませなければならず、私たちに断裂と不安を強いる、その退去の隙間風に身を晒し続けなければならない。

 「存在の声」とは、私たちの考えによれば、この去ること、去りの感覚により私たちを惹き付けること以外の何ものでもない。私たちは、その声に聴き入り、応答する、ということはつまり、それを問い続けなければならない。ハイデガーに言わせるなら―私たちはほとんどこれに賛成したいのだが―この存在によって立ち去られているという「困窮(Not)」に「強いられて(genötigt)」いることに、哲学することないし問うことの唯一的な「必然性(Notwendigkeit)」が存するのである。

 存在は「去る」という動き、その動性以外の何ものでもなく、だからして、それはその本性からして「秘密(Geheimnis)」、あるいはこの語が何かしら隠された実体的内容を含意しがちであり、そのため不正確であるとすれば、より正確には「秘密性」そのものであって、それ故に、それは絶え間なく終わりのない「問うこと」と「思惟」へと私たちを強いる。

 「存在」はこの「強い」、この「問わしめ」以外の何ものでもない。だから「存在」こそが、卓越した意味で「Sache des Denkens」、すなわち「思惟の課題」、恐らくは唯一の真の「Sache des Denkens」なのである。この「Seyn」を「存在者性 = 現前性」との対比で言えば、それは非現前性、不在性との不可避的な関係を意味する。

 さて、これらすべてのことは、人間が退き去りに晒され続けることで絶対的な四分五裂であること、人間の生が確たる根拠の上に基礎付けられることのないこと、それに耐え続けることの承認を含意するといえよう。

 人間とは、ハイデガーが言うように、畢竟、「das ausstehende Innestehen(GA5, 55)」、つまり、私たちなりに解釈すれば、存在が自らを開示する場所としての「Da-sein」、それがもたらす絶対の分裂の「うちに(inne)、最後まで-へこたれずに-持ち堪え-立ち続けること(aus-stehen)」であり、より一層的確に言えば、「ausstehende Inständigkeit」、すなわち、「最後まで-持ち堪え-耐え抜きつつ(aus)、うちに(in)立ち続けること(stehen、stand)の切迫性(Inständigkeit)」なのである。

 人間は、私たちの知る限り唯一の「Dasein」であり、そこにおいて宇宙が「ある」ことが感得される唯一の存在者である。人間がいなかったとしたら、宇宙がもしあったとしても、宇宙にしても「あり甲斐」がないだろう。宇宙があるとしても誰もそれを知らないということの無意味、あるいはもっと正確に言えば、有意味も無意味もない、いわば非-意味には何か想像を絶するものがある。

 かくして「Da-sein」、すなわち、「Daであること」は、それによってのみ宇宙に意味が産出されることとして、人間に課せられた重大な使命(あるいは「最大」の、というのも、これがなければなにも無いから)であるのだが、存在が、ある離れの運動性、ある無化の運動性以外の何ものでもないことによって、この課題は、絶対的な引き裂かれと無意味とを持ち堪え、その苦痛を耐え抜く―人間が現存在として存在者を存在のうちに根拠づけるべきであるかぎりで、人間は存在者と存在(存在者との差異における存在、すなわち「無」)の間に引き裂かれつつ、両者をつなぎ止めなければならない、私たちはおそらくここからハイデガーの苦痛の本質についての叙述を読むべきである(GA12, 24)―という決定的な重荷性格を獲得する。

 だから、この存在の運動性格がこの上なく明確にされた後期ハイデガーにおいて、「ausstehen」「aushalten10)私たちにとっては決定的なことだが、この語をハイデガーは『精神現象学』の「導入(Einleitung)」を解釈する「ヘーゲルの経験概念」のなかで、明らかに『精神現象学』の「序言(Vorrede)」の、おそらくはヘーゲル哲学で最も有名な一節を念頭に置きつつ、「それ[=無条件的な自己確信の自己把握の仕事]は、そのうちで絶対的なものの本質が成就されるような、無-限な関係がそれとしてあるところの引き裂かれ(Zerrissenheit)を持ち堪える(aushalten)という辛苦である」(GA5, 138)と述べている。」「austragen」といった語彙が用いられるのであって、これらは、最後まで-持ち堪え-耐え抜きつつ立ち続けることという人間の事実的なあり方にして究極の課題でもあることを指示しているのである。

 これが人間にとってただ「生き抜くこと」が最高で最大の達成であることの理由である。人間とは、世界がそこでのみ「ある」ものとして現出する、ある裂け目に付された名であり、何らかの個別的な達成ではなく、その裂け目を最期まで持ち堪え抜くことこそが人間にとって最高の達成なのである。

 さて、「存在の思惟」が要求する第二のことは、この退去の運動が極限的に経験されること、すなわち「存在者」からの極限の引き剥がしとしての「無」の経験によって、「存在の真理」、「Ereignis」への転化、新たな歴史の「元初」への転化が生じるという論理に対応する。

 「Ereignis」は「無」「深淵」の経験として全く無根拠な絶対的切断であり、それ以前にあるいかなるものからも根拠づけられない絶対的な始まりの出来事である。この切断と断裂の出来事が引き受けられ耐え抜かれなければならない。

 存在了解が人間の本質を為している限り、存在のもっとも原初的な本質たる「Seyn」に属する以上二つの要求が、ハイデガーに従うなら、人間のもっとも根本的な本質に属することとして留保なく肯定されなくてはならないのである。

 ここでハイデガーが「形而上学の超克(Überwindung)」の代えて用いる「形而上学の耐え抜き(Verwindung)」という語について一言しておこう。

 以上でみた第二の要求の問題、つまり「Ereignis」という出来事に関して言えば、ハイデガーが「存在の歴史」を考えることに応じて、それは私たちの意志によって招来しうるものではなく、私たちはせいぜいそれに向けて準備ができるに過ぎない。ハイデガーの内でこのような観点が優位に立つときに、積極的な行為意志を含意しがちな「(形而上学の)超克」ではなく、その「耐えぬき」という表現が選ばれるということができるだろう。

 とはいえ、私たちとしては、この「存在の歴史」の教説やそれと結びついた静寂主義的な姿勢は先の二つの要求と分離できるという方向性で考えていくつもりである11)「存在の歴史」のポイントは以下のようにまとめられよう。(1)「存在」が「存在者」との関わりを可能にし、したがってそのあり方を規定するのであって、「存在」がいかに理解されるかが私たちの現実との関わりを根本において規定している。もっと正確にいえば、そもそも存在の了解のされ方こそが何が現実なのかを規定している。(2)この存在了解のあり方に関していえば、それは人間の随意によるところではなく、「存在」が自律的に運動することに応じて変化する。その非随意性は、「第一の原初」たるギリシア以来、ずっと存在は退去してきたと語りうるほどである。(3)存在は一貫して退去しているのであって、それに応じて西洋の歴史のうちで存在了解のあり方が変化している。その最終段階が一切を計算と操作の対象とみなすGestell的な体制である(ハイデガーが描く存在の歴史の変化過程がいかなる意味で存在の退去の昂進としてまとめられうるのかは私たちには定かではない)。(4)哲学は、この存在の声に耳を傾け、この存在を言葉にもたらすことなのであって、西洋の偉大な形而上学の伝統は、存在の声に応答する語りであり、存在の歴史の様々な段階に応じて、その時々の存在のあり方を表現にもたらしてきたのである。この4つのうちで私たちが批判的に対したいのは(2)と(3)であり、一言で言えば、存在了解の非随意性の強すぎる解釈である。確かに存在了解を人間が随意に思い通りに変更しうるというのはあり得ないにせよ、それが個々の人々の様々なあり方に応じて様々に変わりうることまでは否定されるべきではないだろう。これはおそらく『存在と時間』の立場に近い。さて、このこと、つまりここの人々の様々なあり方に応じて存在了解は変容しうることを否定することから、存在の自律的運動によって存在の諸エポックが生じ、その各々のエポックにおいてはある単一の存在了解が支配しているという教説が生まれてくるのである。これは私たちにはやはり無理があるように思える。他方で私たちが共感するのは(4)の一部であり、哲学がある卓越した声と呼ぶしかないようなものとの関わりでしか可能ではないのではないかという把握や、また部分的には、哲学の固有の事象領域を存在者と区別された存在と把握するといった考え方である。

 本稿を締めくくるにあたり、先に述べた(1)ハイデガーの形而上学との批判的対決の核心は、「否定的なものと人間の関係」を純粋に取り出す点に存するという主張と、(2)ハイデガーの形而上学概念の検討を通じて私たちの基本的態度を明らかにできるという主張について確認しておこう。

 (1)に関して言えば、それは、ハイデガーによれば「形而上学」が見えなかったものは、ある後退の運動として「見えなさ」そのものであり、言い尽くしえないものであり、そういうものとして絶えず私たちの所与のあり方を否定する運動であるということ、そしてかくある「Seyn」はその極限においても「無」であり、何ら肯定的な内容を持たない絶対の否定である点に示されている。ハイデガーならこれを「Seyn」の汲み尽くし得ない充溢と言うだろう。

 以上を私たちの問いから見れば、ハイデガーは私たちの「否定的なもの」の起源への問いに人間と存在との不可分な関係性という答えを与えたことになる。

 (2)に関して言えば、私たちの基本的態度は先の二つの要求に尽きている。すなわち、第一に、人間性の常なる自己分裂、その最終的な根拠づけえなさ、ということはつまり、問うことの終わりなさの承認と、第二に、無根拠な絶対的切断と「元初」とを肯定し、引き受け、耐え抜くことである。

 この第二の点を例えば政治社会的次元に敷衍すると12)ハイデガーによる「芸術」への敷衍については注の5で既に触れた。ハイデガーが芸術を論じる文脈で「国家創設の行為」を論じていたことを想起する必要があるだろう。、何らかの先行的な規範的基準、将来の具体的展望や現状分析等により正当化された「改革」などには、少なくとも人間の原初的な本質の観点、「Seyn」との関係、あるいは私たちの言葉でいうと「人間と否定的なものとの原初関係」という観点からすれば、何ら本質的なものはなく、ただまったく根拠づけられない「革命」においてのみ、本質的なもの、人間のもっとも原初的な本質が経験されるということである13)もちろん、ここで「政治」に「人間の原初的な本質」が触れられる場所を求める必要は必ずしもない、政治はオンティッシュな次元で様々な調整を行うだけでよいと議論することは出来るし、この点については私たちも問いを開いておくこととしたい。この問いは「政治」が「人間のもっとも原初的な本質」に関係するという威厳を保ちうるかという問い、「政治」の価値についての問い以外の何ものでもない。

 というのは、「存在」はそこで経験される「底抜け」、その激震以外の何ものでもないからである。これが「革命」が、真に革命的であるかぎり、すなわち、社会秩序の絶対的「無根拠」、すなわち「深淵(Abgrund)」に触れるような基礎付け不可能な切断の側面を備えているかぎり、その経験的帰結に関わらず常に正しいといえる次元を持っている理由である。

 革命の価値は決して経験的基準によってだけでは判定され得ない。私たちは人間がその最も原初的な本質からして革命的なものへと強いられていることを評価しなければならない。結局、これを承認しえないものが全て「形而上学」なのであり、少なくとも最終審級において、人間の本質に対する徹底的な誤認なのである14)第4節と第5節全般に関して、ハイデガーの「形而上学」概念をプラトンにおけるイデアという「超感性的な」「フュシスを-超えた」原理の成立、文字通りの「形而上学(meta-physik)」的原理の成立に還元する理解の「不十分さ」を示しておきたい。ハイデガー自身が明言するように(vgl. GA5.176-177, 344)、このプラトン的な区別は、ハイデガーが「二重襞」と呼ぶもの、存在者と存在の二重性という存在論的差異そのものの派生体でしかなく、本当の問題は、「西洋的思惟の始まり」(GA5. 176)から、ということはつまり「アナクシマンドロスからニーチェまで」、この二重襞の根源、存在論的差異の根源、つまり、「Seyn」が問われなかったことにあるのである。かくしてプラトンに形而上学の根源を見いだす立場が「形而上学の超克」を理解する仕方、形而上学的に「フュシスを-超える」のではなく、「フュシスに帰れ」というのも不十分である。問題は「Seyn」を問い経験することであり、私たちが主張したところ、それはただ「否定的なものと人間の原初関係への問い」という仕方でのみ問われ、その経験が準備されうるのである。私たちとしては、本稿によって、この不十分な理解が、後期のハイデガーが自らの思惟のもっとも重要な次元と考えたもの、すなわち「存在の真理」ないし「Seyn」の次元の無理解から発するという意味で誤りであるということが示されたと信じたい。最後に個人的な話をさせてもらえば、私たちの基本的な問題関心は、そもそものはじめから、キルケゴールの『死に至る病』に表現されているような人間の条件としての「絶望」(自己分裂)とジュール・ミシュレがその『フランス革命史』の冒頭近くで述べていること、つまり、「革命」とは「青春の息吹」であり、私たちの「心を乱し、それをとろかすもの」であるということ、私たちなりに言い換えれば「革命は常に正しい」ということを、同時に表現へともたらすことである。私たちの立場の(1)と(2)がこの両者にそれぞれ対応する。

 だから、私たちの最後の言葉は、生の様々な局面において「革命的であれ!」ということである。もし誰も味方をしてくれなかったとしても、いや、誰も味方をしてくれない場所でこそ、「存在」そのものがあなたの傍にいる―絶対的な「見捨て」として。存在は革命そのもの、最も純粋な革命であり、存在は革命を指示し、支持する―絶対的な支えなさとして。

 そしてこれこそが、私たちが唯一真正と認める倫理がラカン-ジジェク風の「欲望を諦めるな!」であることの一つの理由なのである。私たちが何かに留保なしにすべてを賭け、そこにおいて根本的な不可能性に触れることにおいてのみ、「すべて」の「無」への交換が成立し、私たちはある絶対的な無地盤性、「存在」そのものである底の無さを経験しうる。

 そして、この倫理が「唯一真正」であると言えるのは、私たちの考えがもし正しいとすれば、この倫理、この欲するから欲するという無根拠を、まずもって留保なしに持ち堪えることのみを命じる倫理だけが、存在の最も根本的な本質、「存在の真理」に呼応するものであり、したがって、これ以外の倫理や道徳は、この倫理と比べられるとき、究極的には、そもそも存在しないからである。

 言い換えれば、この倫理は「存在することを選ぶこと」と等価なのである。

文献リスト

Heidegger, Martin. Gesamtausgabe. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann.
Heidegger, Martin. Zollikoner Seminare. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann, 1987.

関連記事

 ジジェクについての論文は以下を参照してください。こちらの第1部第3章と第4章に、ハイデガーの本稿より詳細な読解が収録されています。

スラヴォイ・ジジェク研究—「否定的なもの・否定性」について

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ハイデガーのいう「存在」とは何か
フロイトの「不気味なもの」とハイデガーの「存在」

ハイデガーを読む—On Being:はじめに・目次

References   [ + ]

1. Heidegger, Martin. Zollikoner Seminare. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann, 1987.の7ページのこと。
2. Heidegger, Martin. Gesamtausgabe. Frankfurt am Mein: Vittorio Klostermann. の第11巻の35ページのこと。
3. 『存在と時間』の時期のハイデガーは、明らかに「存在」が「カテゴリー」を規定するという構想のもと、哲学が経験的諸学問を基礎付けうると考えていた。というのも、ハイデガーの想定からすれば、哲学が「存在了解」一般をその根源たる時間性から展開することを通じて、「存在了解」の様々なあり方を原理的な仕方で相互に区別し厳密に規定することによって、お互いに異なるカテゴリーに依拠している経験的諸学問の対象領域の区別を原理的に解明し、その各々の対象領域の性質を厳密に規定することが可能になるからである。
4. 本稿では、この両者の差異については立ち入らず、どちらも存在了解一般を可能にするものの地位を持っていることに着目して、両者を基本的には「同じもの」として取り扱う。両者の差異としてさしあたり銘記しておきたいのは、「意味」は人間がなす「了解」と強く連関することで、人間が持つ強いイニシアティブを示唆するのに対し、「真理」ではそのような含意が後退していること、その代わり「真理 = 隠れていないこと」の語が用いられることで、存在が自らをはっきりと現す出来事という含意を強めている点である。
5. このことも『形而上学とは何か』の一つの帰結である。いわゆる「形而上学三部作」における有限性概念を私たちは三つに分節することで理解できる。有限性(1)はカント書で出発点とされている有限性、人間的直観がオンティッシュに創造的でなく、つねにすでに所与の存在者(のもととなるもの)に依存しているということを意味する。これは「被投性」の契機とみてよいだろう。この有限性(1)が、存在者と関わるにあたっての先行的な存在了解の必要性を生じさせるが、存在了解が「無」との関わりによってのみ可能であるかぎりで、そこには有限性(2)が存する。有限性(2)とは「無」との、ということは「死」との、不可避的な関わりである。しかるに有限性(3)とは、この「無」ないし「死」の経験の非随意性を意味する。これが『形而上学とは何か』と『根拠の本質について』の末尾近くで認められた有限性であり、「無」こそが「存在」そのものの経験であり「存在了解」を可能にするものであるかぎりで、この有限性(3)こそが、ハイデガーに「存在了解」の生成にかかわる非随意性の承認、ということはつまり、「存在の生起」への移行を強いたのである。『哲学への寄与』では「被投性」は、この有限性(3)に引きつけられている。この「被投性」概念における有限性(1)から(3)への移行は、おそらく『哲学への寄与』でハイデガーの思惟が、有限性(1)の焦点たる存在の開示以前の存在者を問い、論じ、それに言及することを禁止する方向に動いていることと連関している。ハイデガーが「超越」概念に批判的になった一つの理由は、それが超越の出発点として、「超越 = 存在了解」以前の存在者と人間主体を原初的に想定してしまうからである(GA65, §199)。本文第4節が明確にしようと試みるように、『寄与』の焦点たる「Seyn」は存在者と存在との同時性であり、それはメタ存在論が含意する「存在者」の「存在」に対する先行性に真っ向対立しているのである。 いま、「被投性」概念における有限性(1)から(3)への移行ということで、私たちは「メタ存在論の流産」とでも呼ぶことが出来るような仮説を提起したい気になっている(あくまで仮説である)。この仮説においてハイデガーの前期から後期への移行は以下のように把握される。まず、『存在と時間』では、現存在の開示性に関して、「了解-企投」と「情状性-被投性」との等根源性という把握があるが、その後、超越の可能性の条件の問い、世界内存在の可能性の条件の問い、これはハイデガーにとって結局は存在了解の可能性の条件の問いなのだが、そのような問いが追求されるのにしたがって、ハイデガーは存在「了解」を可能にする根源的な「企投」を問題化する。そこで先の「等根源性」のなかで一旦は「了解」-「企投」の次元が優先されるように見えるが、根源的な企投を問えば問うほど、そこに潜む「被投性」の次元も見えてくる。私たちの仮説では、これこそが彼がメタ存在論の導入の必然性を語る際に引き合いに出した、基礎的存在論の深化が引き起こすメタ存在論への「転化」である。ハイデガーは存在「了解」の根源にある「企投」を問うが、存在了解がある特別な「存在者」、つまり、人間にあってのみ可能な点で、「存在了解-企投」より根源的な存在者(現存在)、さらにいえばその「存在者 = 現存在」がその他の存在者の間に投げられていることを見なければならないのである。現存在の事実的実存、ひいては自然の事実的実存が前提とされているのだとハイデガーは言う。ここで興味深いのは、存在者の先行的地位についての見解が『存在と時間』とは変化していることである。『存在と時間』43節末尾の把握では、存在は現存在に依存しているが、存在者はそうではない。では、存在と現存在以前にも存在者は「ある」のか?もちろん、そこに「存在」がない以上、「ある」かどうかなど語り得ない。これがそこでのハイデガーの立場だが、一方で彼は「存在」了解の「オンティッシュな可能性」としての現存在、人間的現存在が存在者として現にいることを語る。とすれば、やはり人間的現存在とひいてはそれを支えるもろもろの存在者の先行性が前提とされているのではないか。『存在と時間』でのハイデガーはこのような自らの立場、つまり、存在了解以前の存在者を全く語らないのと同時に存在了解のオンティッシュな条件について語ることに矛盾を感じていないようだが、メタ存在論の導入は、彼が存在了解の可能性の根源への問いを深めていくにしたがって、この「オンティッシュな可能性」の問題、存在了解に先立つ存在者の地位の問題が不可避になったことを表現している。さて、このメタ存在論の導入の議論はカント書の発端である直観の有限性、すなわち、人間がオンティッシュには創造的ではなく、存在者の事実的実存を前提せざるを得ないという論点とも一致している。さて、このままいけばメタ存在論が正常に生まれでそうである。だが、私たちが語りたいのは、あくまでその「流産」である。これが意味しようとしているのは、「メタ存在論」が語られる際の議論の配置は、「存在了解」=「企投」の根源にある「存在者」への「被投性」というものだったのに、ハイデガーは『根拠の本質について』と『形而上学とは何か』において、「被投性」の契機を存在了解以前の「存在者」というメタ存在論的な契機から引き剥がし、存在を了解する「企投」が同時に「投げられたもの」であるという仕方で捉え返す方向に舵をきるのである。これは存在者とのあらゆる関係、メタ存在論にあっては存在了解に先立つとされた「自然」とのあらゆる関係を「超越 = 存在了解」へと基づけた上で(GA9.159)、この「超越」そのものの非随意性を論じるという構えに見いだされる。もはや「被投性」とは、「存在者」のただ中に投げられていること、「存在了解」が生じる前に、あるいは生じた後に、「存在者」へと投げられていることを意味しているのではなく、「存在了解」を為す根源的な「企投」そのものの非随意性、その「投げられていること」を表現するものになる。何によって「投げられている」のか?「存在者」ではない以上は、「存在」でしかあり得ないだろう。この存在の「企投」が同時に「存在」によって投げられるということでもあるということを全面展開したのが『寄与』以後の後期哲学であり、例えば「存在の歴史」の教説であって、それに対して後期にあっては「存在了解」以前の「存在者」については語り得ないという『存在と時間』の考えが復活するのである(例えばツォリコーン・ゼミナール)。そこにおいて最も根本的なもの、つまり、存在を企投する現存在を、その企投において投げているSeynは、存在者と存在との同時性なのである。この被投性の「場所」の変化、これが「メタ存在論の流産」の言わんとしたことだが、これとともに存在者に対する存在の圧倒的優位が確立されることになる。このような巨大な「変化」がさらりとなされているように見える。おそらくこの何気なさに注目することのうちに、ハイデガーの後期哲学を批判的に問うことの一つの道が開かれていると言えるだろう。この変化こそが、「存在」が一種自律的な仕方で存在者と人間との関係を規定しているという後期の立場を可能としているからである。最後に注記しておけば、私たちは「メタ存在論の流産」について語るけれども、この言葉で考えられようとしていた問題系すべてが放棄されたとまで言うつもりはない。「メタ存在論」が自然という、何がしか存在者全体に該当するようなものを論じることを意図している限りで、その問題は、形而上学の二重構造の一方に位置づけられ、全体としての存在者を扱うものされる「神学」の問題系や、存在のもとに可能になる存在者の秩序を指すと目される更に後期の概念である「Geviert」に受け継がれてはいるのだろうが、しかし、それは存在了解の根源を問うという基礎存在論の深化の過程で、存在了解のオンティッシュな基礎、先行的な存在者への問いへの「メタ」ボレーが必然的に起きる結果という意味での「メタ」存在論ではないのである。実際、最後に私たちの立場を支える論拠をひとつ加えるなら、このように「メタ存在論」概念に一種の失敗を見出さないとすれば、彼が後期において決してメタ存在論という用語を使わなかったことの説明がつかないだろう。
6. この点を少々確認しておこう。ハイデガーにとって「芸術」とは「真理が作品のうちに据えられること」であるが、「真理」とは、もちろん「存在の真理」であり、「存在」のありありとした顕現である。だから、それはまずもって「無」から生じるものであり(GA5. 59, 64)、かくして「決して既存のものから証明されたり導出されたりしない」絶対的な「過剰」「贈与(Schenkung)」(GA5. 63)であって、この「贈与」が芸術の第一の本質を形成する。だが「芸術」は「芸術」であるために作品でなければならず、つまり、ある「存在者」へと形象化されなければならない。それゆえ「贈与」は同時に、存在者の上に「地盤を得る(Gründen)」(ebd.)ことでもある。これが芸術の第二の本質である。この二つによって第三の本質である「始めること(Anfangen)」が成り立つ。さて、かくして成立する芸術作品は「存在者」のただ中である「衝撃(Stoß)」を一身に体現する。すなわち、「そのような芸術作品があったのだ(ist)」(GA5.53)という衝撃、「存在の真理」の衝撃である。要するに、芸術作品とは、私たちの予期を突き破り、そこに穴をこじ開ける無化的な力であって、そうすることによって「存在」の衝撃、こんなものが「ありえたのだ!」という衝撃を自らのうちに凝集させ得たような特権的な存在者なのであり(「存在」とはこの「こじ開け」以外の何ものでもない)、その出現とともに、私たちの世界は解体され再構成される、つまり「始めること(Anfangen)」が生じるような存在者なのである。ハイデガーに言わせれば、真に芸術を鑑賞することは、作品において「平凡なもの」「通例のもの」を「打ち倒す」「途方もなく」「尋常でない」この衝撃を経験し引き受けることで、作品を卓越した意味で作品たらしめることであり、ハイデガーはそれを「保ち守り(Bewahrung)」と呼ぶ(GA5.54)。これに対応する形で芸術の「創造」の行為を私たちなりに語るとすれば、それは、「こじ開け」として一切の形象を爆破してしまう「存在」、形象の爆破そのものである「存在」を形象へと具現化させようとする不可能な努力であり、この相反する二重の動勢のうちで引き裂かれつつ、その両者をつなぎ止めること、そこに生じる絶対的な振動に拮抗しようとする努力である。ハイデガーの立場からすれば、「肯定的なもの」は、それが否定した否定の分しか価値がない。芸術家は、みずからの作品創造を不可能にする存在の否定的な力を否定し返し、それを作品という存在者へと凝縮しなければならない。そして、かく「存在者」のただ中で「存在の真理」の衝撃を自らのうちに保つ芸術作品は、ハイデガーにとって「世界」とは「存在者が存在者として」立ち現れる意味的な地平のことであり、したがって「存在の真理」によってのみ可能になるものであるかぎりで、それによって「世界」が新たな際立った仕方で開かれるような特別な「存在者」である。かくして「芸術作品」は世界を開示すると言われるのである。しかるにハイデガーによれば芸術作品は単に「世界」を「開く」だけではなく、先の「地盤を得る」という仕方で述べられたように、自らを「閉鎖する」ような存在者的・物的な基盤、すなわち「大地」へと根ざさなければならない。芸術作品は開く世界と閉じる大地との闘争である。そうでなければならないのは、芸術作品が「Seyn」に内的な現れと隠れとの二重性を「間接的に」(GA65.471)表現するためである。「間接的に」というのは、「大地」は存在者的な契機として「Seyn」そのものとは徹頭徹尾異なるものであり、「大地」は閉鎖的なものとして現出することを通じて、絶対に現出しない「Seyn」、もっと的確に言えば、現出しなさそのものである「Seyn」の隠れの運動性を、単に間接的に表現するだけのものだからである。
7. ハイデガーは後にこの次元を「Seyn」と名指すことは放棄するが、その点についてはここでは触れない。
8. この先行性は、ハイデガーが自らの方法を名指す仕方に現れている。ハイデガーは自らの「形而上学」への関係を形而上学によって「既に飛び越えられてしまったものへの」「歩み戻り(Schritt zurück)」(GA11.58)と名指すのである。これはハイデガーが自らの問うものが「形而上学」に先行するものだと考えていたことを明確に示している。「形而上学」は知らぬ間に自らの基礎にあるものを飛び越えてしまっていたのであり、ハイデガーの思惟はそこに帰っていくというわけである。そしてその帰り先は「差異としての差異」である(GA11.59)。ハイデガーに言わせれば、「形而上学」は「存在論的差異」の中を動くが、その根源、「差異そのもの」「差異としての差異」を問うことはせず、それを常に飛び越えてしまっていたのであって、その常に前提とされていたものへとハイデガーの思惟は帰っていくのである。この「差異としての差異」については本文の続く部分も参照。
9. ハイデガーはギリシアという「第一の元初」の後、存在了解が存在の側の動きにより様々に変化するという「存在の歴史」として西洋の歴史の根本が展開し、いずれ「第二の元初」が来るという構想を立ち上げるが、ここで二つの元初に挟まれた「存在の歴史」はあくまで「形而上学の歴史」であり、そこで生じているのは「存在者性 = 現前性」の理解のされ方の変化でしかないという点は重要である。この時期にあっては「存在の真理」は退去し、「存在者の真理(=存在者性)」が幅を利かせるのである(vgl. GA5.154, 155, 192)。それどころか「存在の真理」は「存在者の根拠づけへと視座をとった場合の存在の認取可能性のために」「自らのもとにとどまる/差し控える(An-sich-halten)」(GA14.13)ということをしてくれているのである。というのも、「存在の真理」が退去していなかったら、といっても、「存在の真理」は退去の運動以外の何ものでもないから、それが退去していないとは、それが退去として純粋に経験されていることしか意味しえないが、そういう場合には、退去の運動としての「存在の真理」が持つ絶対の深淵性ゆえに「存在者の根拠づけ」は不可能になってしまうからである。「存在の真理」は、その退去の運動によって一切の存在了解を可能にし、かくして存在による存在者の根拠づけの可能性を与えるが、これが単に可能性にとどまらずに現実的なものとなるには、「存在の真理」の退去自身が退去しなければならないのである。かくして、「存在の真理」が再び経験される「第二の元初」の後には、「存在者の真理(=存在者性)」の舞台裏、それを支える「存在の真理」の退去運動、あるいは先に述べたことに従って「退去の退去」という二重の退去運動が見通されること、それはある意味で舞台裏には何も「無」いということが見通されることでもあるのだが、そのような見通しによって、もちろん、存在者が存在者性により基礎付けられるという形而上学の次元自体は消滅しないが、形而上学、あるいはその歴史としての「存在の歴史は思惟されるべきものとしては終わる」(GA14.50-51)ということにもなるのである。
10. 私たちにとっては決定的なことだが、この語をハイデガーは『精神現象学』の「導入(Einleitung)」を解釈する「ヘーゲルの経験概念」のなかで、明らかに『精神現象学』の「序言(Vorrede)」の、おそらくはヘーゲル哲学で最も有名な一節を念頭に置きつつ、「それ[=無条件的な自己確信の自己把握の仕事]は、そのうちで絶対的なものの本質が成就されるような、無-限な関係がそれとしてあるところの引き裂かれ(Zerrissenheit)を持ち堪える(aushalten)という辛苦である」(GA5, 138)と述べている。
11. 「存在の歴史」のポイントは以下のようにまとめられよう。(1)「存在」が「存在者」との関わりを可能にし、したがってそのあり方を規定するのであって、「存在」がいかに理解されるかが私たちの現実との関わりを根本において規定している。もっと正確にいえば、そもそも存在の了解のされ方こそが何が現実なのかを規定している。(2)この存在了解のあり方に関していえば、それは人間の随意によるところではなく、「存在」が自律的に運動することに応じて変化する。その非随意性は、「第一の原初」たるギリシア以来、ずっと存在は退去してきたと語りうるほどである。(3)存在は一貫して退去しているのであって、それに応じて西洋の歴史のうちで存在了解のあり方が変化している。その最終段階が一切を計算と操作の対象とみなすGestell的な体制である(ハイデガーが描く存在の歴史の変化過程がいかなる意味で存在の退去の昂進としてまとめられうるのかは私たちには定かではない)。(4)哲学は、この存在の声に耳を傾け、この存在を言葉にもたらすことなのであって、西洋の偉大な形而上学の伝統は、存在の声に応答する語りであり、存在の歴史の様々な段階に応じて、その時々の存在のあり方を表現にもたらしてきたのである。この4つのうちで私たちが批判的に対したいのは(2)と(3)であり、一言で言えば、存在了解の非随意性の強すぎる解釈である。確かに存在了解を人間が随意に思い通りに変更しうるというのはあり得ないにせよ、それが個々の人々の様々なあり方に応じて様々に変わりうることまでは否定されるべきではないだろう。これはおそらく『存在と時間』の立場に近い。さて、このこと、つまりここの人々の様々なあり方に応じて存在了解は変容しうることを否定することから、存在の自律的運動によって存在の諸エポックが生じ、その各々のエポックにおいてはある単一の存在了解が支配しているという教説が生まれてくるのである。これは私たちにはやはり無理があるように思える。他方で私たちが共感するのは(4)の一部であり、哲学がある卓越した声と呼ぶしかないようなものとの関わりでしか可能ではないのではないかという把握や、また部分的には、哲学の固有の事象領域を存在者と区別された存在と把握するといった考え方である。
12. ハイデガーによる「芸術」への敷衍については注の5で既に触れた。ハイデガーが芸術を論じる文脈で「国家創設の行為」を論じていたことを想起する必要があるだろう。
13. もちろん、ここで「政治」に「人間の原初的な本質」が触れられる場所を求める必要は必ずしもない、政治はオンティッシュな次元で様々な調整を行うだけでよいと議論することは出来るし、この点については私たちも問いを開いておくこととしたい。この問いは「政治」が「人間のもっとも原初的な本質」に関係するという威厳を保ちうるかという問い、「政治」の価値についての問い以外の何ものでもない。
14. 第4節と第5節全般に関して、ハイデガーの「形而上学」概念をプラトンにおけるイデアという「超感性的な」「フュシスを-超えた」原理の成立、文字通りの「形而上学(meta-physik)」的原理の成立に還元する理解の「不十分さ」を示しておきたい。ハイデガー自身が明言するように(vgl. GA5.176-177, 344)、このプラトン的な区別は、ハイデガーが「二重襞」と呼ぶもの、存在者と存在の二重性という存在論的差異そのものの派生体でしかなく、本当の問題は、「西洋的思惟の始まり」(GA5. 176)から、ということはつまり「アナクシマンドロスからニーチェまで」、この二重襞の根源、存在論的差異の根源、つまり、「Seyn」が問われなかったことにあるのである。かくしてプラトンに形而上学の根源を見いだす立場が「形而上学の超克」を理解する仕方、形而上学的に「フュシスを-超える」のではなく、「フュシスに帰れ」というのも不十分である。問題は「Seyn」を問い経験することであり、私たちが主張したところ、それはただ「否定的なものと人間の原初関係への問い」という仕方でのみ問われ、その経験が準備されうるのである。私たちとしては、本稿によって、この不十分な理解が、後期のハイデガーが自らの思惟のもっとも重要な次元と考えたもの、すなわち「存在の真理」ないし「Seyn」の次元の無理解から発するという意味で誤りであるということが示されたと信じたい。最後に個人的な話をさせてもらえば、私たちの基本的な問題関心は、そもそものはじめから、キルケゴールの『死に至る病』に表現されているような人間の条件としての「絶望」(自己分裂)とジュール・ミシュレがその『フランス革命史』の冒頭近くで述べていること、つまり、「革命」とは「青春の息吹」であり、私たちの「心を乱し、それをとろかすもの」であるということ、私たちなりに言い換えれば「革命は常に正しい」ということを、同時に表現へともたらすことである。私たちの立場の(1)と(2)がこの両者にそれぞれ対応する。
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