結論 Liebesfähigkeitのための実践としての精神分析

 結論といっても、言われるべきことはすでに第2部の終わりでほとんど言われている。フロイトの精神分析的性理論はリビード発達論という仕方で、「多形倒錯的素質」と「両性性」というアナーキーから始まって、人間のセクシュアリティが複雑な構造体として形成されてくる諸論理を、主体の内面における意味的媒介に即して把握しようとする。

 それは男性と女性において男性性と女性性が引き受けられる一定の必然性を叙述するとともに、そこにおいて可能になる異性愛の可能性の条件と不可能性の条件を記述しようと試みる。この不可能性の条件をこそ、フロイトは二大精神神経症、すなわち、強迫神経症とヒステリーの素因として捉えたのである。

 その仔細については第二部を参照していただくとして、ここでは神経症を総括するフロイトの定式を想起しておくことにしよう。それは対象リビードと自我欲動の対立であり、エスと超自我との対立である。つまり、対象に向かおうとするリビードが自己保存の関心、自己イメージの保持の関心、あるいは不安を背景に作動する道徳的審級と対立するために抑圧されてしまい、それが症状として回帰してくることが神経症の一般的なあり方なのである。神経症とは一言でいうと他者への愛に自己への愛、つまりナルシシズムが優位すること、あるいは過度の不安を引き起こす超自我が優位することなのである。

 かくして、神経症を治療する試みとしての精神分析は、最終審級において(?)、神経症の素因を意識化によって取り除き、ナルシシズムや強すぎる超自我を弱めることで、主体に他者との愛の関係を持ち堪える能力、すなわち、Liebesfähigkeitを与え返そうとする試みなのである。

 この結論的な点についてフロイト自身の言葉を引いておこう。何度も援用した通り、フロイト曰く「現実的な愛の要求に応えることの不可能性」[Ⅴ:273=6:144]が神経症の本質に属しており、そういった障害に対して「精神分析的治療は一瞬のうちに変化をもたらしたり、正常な発達との一致を可能にしたりは出来ない」ものの「生の影響がよりより方向に向けての発達を貫徹出来るように、諸々の障壁を取り除き、道を通れるようにすることであれば出来る」[ⅩⅡ:154=14:125]1)フロイトの引用は[ドイツ語版全集巻数:ページ=日本語版全集巻数:ページ]と指示する。全集の邦訳を参照しつつ、著者が改めて訳出している。Freud, Sigmund (1999) Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband, Frankfurt am Main: S. Fischer Verlag =(2006-) 『フロイト全集』岩波書店.のであって、その目標は―私はこの言葉をフロイトのものと信じてよいと思う―さしあたり「愛することと働くこと」の能力を回復することに向けられる。

 これは謙虚な目標であり、フロイトの理論の決定的なラディカルさに比すれば、何がしか「保守的」にも見えるかもしれない。しかし、私にはこれは少なくとも近代的な生において最も基礎的で重大な事柄に関わるように思われる。実際、その法哲学でおそらくは史上初めて近代社会の基本構造に理論的表現を与えたヘーゲルは、明らかに近代的人間の生の実質的部分を愛と労働という二つの相互承認の領域、深くて狭い愛という相互承認と浅いが広い労働という相互承認のうちに求めている―もちろん、「絶対的なもの」との関係としての「哲学」はそのさらに外部にあるにせよ。

 そういうわけで、この基礎的な目標を堅持する限り、フロイトが創出した精神分析の意義が失われることは、少なくともしばらくは「ない」と、私は思う。

・文献
Freud, Sigmund (1999) Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband, Frankfurt am Main: S. Fischer Verlag =(2006-) 『フロイト全集』岩波書店.

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第6章 異性愛とは何か―その可能性と不可能性の条件

目次・はじめに:フロイト性理論の再構成 セクシュアリティの解釈学の基礎づけ

References   [ + ]

1. フロイトの引用は[ドイツ語版全集巻数:ページ=日本語版全集巻数:ページ]と指示する。全集の邦訳を参照しつつ、著者が改めて訳出している。Freud, Sigmund (1999) Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband, Frankfurt am Main: S. Fischer Verlag =(2006-) 『フロイト全集』岩波書店.
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