第2章 第2節 愛のゼマンティクの進化—理想・パラドクス・自己参照

 さて、ルーマンはこの近代的な意味での愛が成熟していく過程、ルーマン流の言葉でいえば、愛のゼマンティクの進化の過程を追跡する。ルーマンはその叙述のために三つの時期区分と四つのメルクマールを与える1)LP, S.49-56.。以下、第1項で三つの時期区分と四つのメルクマールの意味を簡単に解明したのち、第2項以降ではそれぞれの時代について簡潔にその全体像を浮かび上がらせることとしよう。

2-1、三つの時期区分と四つのメルクマールの意味の解明—階層分化社会から機能分化社会へ

 ルーマンによれば、時代の転換点は17世紀後半と1800年前後であり、この二つの転換点が「宮廷恋愛(höfische Liebe)」「情熱恋愛(amour passion)」「ロマンチック・ラブ(romantische Liebe)」という三つの時期を分けている。

 この変化をルーマンは「親密関係のいや増す分出とパラレルに生じた」と言うが、ルーマンが明示的には述べていないものの、本書に通底する決定的に重要な構図を補足すれば、「宮廷恋愛」が「階層分化社会」に、「情熱恋愛」が「階層分化社会」から「機能分化社会」への「移行期」、つまり、諸メディア-システムの「分出」の時期に、そして「ロマンチック・ラブ」が一定の完成を見た「機能分化社会」に対応している。

 さて、以上を前提に四つのメルクマールを見ていこう。

 (1)コードの形式。これは「コードが秩序づけている領域において、一切の差異を包含するコードの統一がそのもとで定式化される原理」とされる。要するに時代ごとの「愛のゼマンティク」の基本原理である。三つの時期区分に対して、それぞれ「理想」「パラドクス」「自律を再帰にもたらす/自己参照」という「コードの形式」が対応するとされる。

 それにしても、なぜルーマンは「一切の差異を包含する」という大それた「統一」を名指しうるのだろうか。もちろん、理論的諸想定があるからである。時代ごとに見ていこう。

 まず「階層分化社会」は道徳的に統べられており、従ってそこでは愛のゼマンティクも道徳的「理想」という形式のもとで語られる。

 続く「階層分化社会」から「機能分化社会」への「移行期」には諸メディア-システムが「道徳」のくびきから解き放たれつつ、互いに他の領域から区別され「分出」する。そのためには諸過程は、つまりは、その一つである愛も、別のものと区別された、特殊な、もっと言えば、特別なものとして描出されなければならない。

 そのためには「パラドクス」的な表現が便利である。ルーマンが挙げている例でいえば、「愛は、ひとが逃れたがらない囚われであり、ひとが健康より好む病であり、傷つけられた者が賠償金を払わなければならないような傷である」 などと語ることで、「愛」が尋常の論理とは全く別の論理によって統べられていること、愛の「分出」が表現されているわけだ。

 さて、こうして「愛」が分出し「自律」した後、つまり一定の完成をみた「機能分化社会」では、諸メディア-システムは「再帰」的・自己参照的に自らを再生産する。だから、そこにおけるコードの形式は「自律を再帰にもたらす」、あるいは「自己参照」なのである。

 (2)愛の根拠付け。これは何が愛の根拠となるかという問題である。ルーマンの整理によれば、「愛」は、「理想」の時代には社会の階層的-道徳的秩序と並行する仕方で「理想」的なものとして記述される「対象の性質」に、「パラドクス」の時代には諸制約から解き放たれた自由な「想像力」に、「自己参照」の時代には「愛」自身に、それぞれ根拠を持つ。

 (3)をルーマンは「問題」、「[コードの]変化がそれを自らに取り込もうと試みることによって反応した問題」と呼び、続いて(4)を「コードに組み込むことができる人間学」と名指す。ここでルーマンが考えているのは主に「愛」と「性」の関係だと要約できそうである。

 ルーマンにとってセクシュアリティはいかなる仕方で問題となるのか。関心の第一は、近代において決定的な仕方で制度化されるメディア-システムは身体的領域に基礎を持たなければならないという「共生メカニズム」についての一般的テーゼの一例としてである。
 
 さらに、第二には、ルーマンが「人間学」なるものを持ち出しているところから推測できるように、おそらくは社会の階層的-道徳的秩序の崩壊と歩調を合わせた、もう一つの階層秩序の崩壊、すなわち、「理性」と「感性 = 官能(Sinnlichkeit)」という人間的諸能力の階層秩序、ルーマン自身の言葉でいえば「人間の世界関係のヒエラルキー」2)LP, S.80.の崩壊を描出することである。

 この二つの観点から、ここでのルーマンの論述を以下のように整理できる。「理想」の時代の「宮廷恋愛」は、「たった一人の女性に向けられた大いなる愛の理念」を打ち出したが、それと同時に「性愛」も「一人の決まった女性から受け取るべき」ものとされた。

 ここで「愛」という「最高の理念」において「性愛的なコノテーション」が不可避となり、人間の能力ないし世界関係としての「理性(ratio)」と「感性 = 官能(Sinnlichkeit)」との「階層」的な区別に最初の裂け目が入る。だが、愛がまずもって「理想」である限り、主導的な人間学は「理性」中心的なものであり、「感性 = 官能(Sinnlichkeit)」の領域に属する「情熱」と「快楽」とはその支配下に置かれる、少なくとも、それへの「差異」において捉えられる。

 17世紀にはじまる「パラドクス」的な「情熱恋愛」の時代には、「理想はから文句となり」、「「高い」愛と「官能的な」愛の古い対照が解消」される。パラドクスは相反するものの一致を言明するのだ。こうして「理想 = 理性」的な「愛」の語りに、「感性的 = 官能的」な性的欲望の存在への「疑い」、背後にある性的欲望の「暴露」、あるいは性的欲望への開き直りとしての「猥褻」が対置され、あるいは並存する。

 この時点で人間学は「情熱」と「快楽」をより評価するようになり、(理性との「差異」ではなく)その「情熱」と「快楽」の「差異」が重要になる。本当の「情熱」か、それとも単なる性的「快楽」への欲望なのかというわけで、これが愛の領域における主導的差異としての「愛/快楽(amour/plaisir)」を形成する。

 18世紀の人間学における「感情」の強調も以上の流れを引き継ぐものである。理性ではなく感情が強調され、「真正な感情」が性的な実現へのアクセスの最低条件とされるのだが、ここで「感情の真正性」がコミュニケート不可能であることが問題になる。

 1800年ごろを画期とする「ロマンチック・ラブ」への移行はこの脈絡においても新しい展開を画す。ロマン派が初めて「性と愛との連関を聖化する」のであり、人間学のレベルでは—このことは最終節で再び問題とするが—愛の自己参照的な自己正当化によって「感情の真正性」の問題は重要性を失っていくとされる。

 そして人間学は、「もはや愛に対してなんらの先行的な基準も設定せず、反対に愛への関係から生きる人間学」となるのである。要するに、自律し再帰性にもたらされた愛が性と—対立するのではなく—、むしろ、それを取り込み正当化し、また「感情の真正性」の問いを媒介せずに自らを正当化するということだろう。

 先の二つの観点に戻るとすれば、ここで「性」は「愛」に組み込まれ、愛を支える「基礎メカニズム = 共生メカニズム」の役割を果たし、「愛」と「性」はかつてのような人間内部の階層構造、すなわち「理性」と「感性 = 官能」といった差異によって隔てられてはいないのである3)一つ余談的に述べておくなら、ルーマンの歴史叙述において近代の「愛のゼマンティク」をその絶頂へともたらした(少なくとも影の)大立者は明らかにカントだが、皮肉なことに、常に「感性的 = 官能的なもの(Sinnlichkeit)」から「純粋(rein)」なものへと立ち帰ろうと努力したカントこそ、理論的に(そしておそらく実践的にも)、この「理性」と「感性 = 官能」との差異を最期まで持ちこたえた、おそらく最後の大物である。

 さて、以上を前提にして、それぞれの時代についてルーマンが描き出している像をもう少し詳細かつ一貫した形で順に浮かび上がらせていくことにしよう。

2-2、「理想」の時代—社会の階層的-道徳的秩序と一致する愛

 ルーマンはこの「理想」の時代、17世紀以前の「宮廷恋愛」の時代の「愛」を徹底的に社会の階層的-道徳的秩序に適合的なものとして描き出す。「愛」はまずもって「神秘的統一」という「理想」であり、神への愛と並行的に考えられる精神的な愛である4)LP, S.58.

 「精神的」というのは、ここでは貴族化する社会の中において、粗野で日常的でいわば平民的な直接の「官能的」満足から距離を取ることが問題だったからである5)LP, S.50-51.。この「距離」、愛の「崇高化」は愛の実現の不可能性によって担保される—女性には愛の関係に入る自由がなかったのだ。

 さて、この愛は「対象の完全性」に根拠を持ち、「対象の性質の知」、つまり理性的認識に基づく6)LP, S.57-58.。ここで愛を引き起こす対象の性質は「完全性」として、社会の階層的-道徳的秩序と一致する形で叙述されうる。対象は「高貴な」夫人なのである。

 そして、愛する者にとって重要なのは自尊心と自己支配を示すこと7)LP, S.59.、騎士としての自己証明であって8)LP, S.90.、そこにはエゴイズムの克服といった「道徳」的「理想」9)LP, S.59.、そして騎士性といった「階層」的要素が含まれている。

補論2 「社会的再帰性」とは何か—「単に実体としてではなく主体として…」

 一つだけ重要な注釈をつけておこう。「理想」のゼマンティクにおいて「対象の性質」、つまり対象「としての」性質が重要だと強調すると同時に、ルーマンはここでもすでに対象に一定の主体性が認められていることに注意を促している。

 すなわち、「求愛するにあたっては、愛される者に愛する者の自尊心と自己支配を認めさせ、また促進させることが肝要だったのである。ここに愛のゼマンティクの一切の社会的再帰性(soziale Reflexivität)の出発点がある」10)LP, S.59.。つまり、愛される者は(ある意味で当然だが)単なる物体的な「対象」としてではなく、その内に愛する者が映っているような、愛する者を見返すような「主体」としても捉えられていたのである。

 ここで考えておきたいのは、ここにある「社会的再帰性」という言葉の意味である。ルーマンは本書でこの語をたびたび用いながら一度も定義していないが、私たちがその用法を見る限り、これは私が「他者を通じて[=社会的]」「自分自身を見ること[=再帰性/反省性]」、他者を主体として捉え、その上で他者の中に自分が映っていることを意識すること、そうして他者を通じて自分自身に帰ることを意味しているように思われる。

 もう少しこの点を詳しく見ておこう。もし本当に「美」などの「対象の性質」だけが重要なら、他者が私を見ているという次元、他者の主体性を考える必要はない。私たちはただ他者の対象としての性質によって情熱にかられ、まったき対象に—まさしく「理想」的対象に—還元された他者に向かっていくだけだ。

 他方で、第1章で明らかにしたように、ルーマンが愛のゼマンティクの最終次元として考えるのは、ただ「愛が愛を動機づける」という次元であり、その論理は「他者の世界の中に私がいるから、私も他者を認める」というものである。

 ここでは「社会的再帰性」の論理、他者を通じて私を見るという論理が全面化されており、他者の対象としての性質はもはや重要ではなく、ただ他者の主体性のみが決定的になる。他者の対象的性質に焦点化し、他者を対象として求める愛と、他者の内に映る私にも注目し、他者を主体として、他者の愛を求める愛との差異をルーマンは、おそらくヘーゲルをパロディすることで、「他者を単に実体としてではなく主体として愛する」11)LU, S.65.と印象的に表現している。

 ルーマンの歴史叙述の一つの焦点は明らかに、この「社会的再帰性」の次元が徐々に深まっていく様を描き出すことにある。

2-3、「パラドクス」の時代—「情熱」かつ「過剰」、愛を分出させる反社会的な愛

 本筋に戻ろう。1600年以降、ルーマンの位置付けるところ、「理想」のゼマンティクは「パラドクス」のゼマンティクへと移行する。ここで決定的なのは「機能分化」への移行を達成すること、すなわち、「愛」を道徳のくびきから解き放ちつつ、生の他の諸領域、他の諸メディア-システムから徹底的に区別すること、この二つの意味で「分出」せしめることである。

2-3-1、情熱・過剰・パラドクス—17世紀の諸変動

 さて、この「分出」を可能にする上で決定的に重要だった意味的契機が「情熱」と「過剰」である。順に見ていこう。

 「情熱(Passion)」12)LP, S.73-74.は、語源的なつながりが示すように、まさに「passiv」なものとして私たちが責任を負えないものであり、かくして「情熱」という言葉は「道徳」のくびきからの解放のための武器である。「好きなものは好きだからしょうがない!!」というわけだ。

 「愛」は「受動的(passiv)」な「情熱(Passion)」であるがゆえに、主体はそれをどうしようもなく、したがって「愛」のためになされる行為について主体には道徳的責任がない—こうして「愛」の道徳からの解放が可能になる。

 もちろん、ルーマンが指摘するように、「情熱」は実際には「(能動的)行為」を正当化する口実として機能していたのであって、「情熱」のレトリックは、「能動性を受動性として、自由を強制として偽装する」のである。

 他方で「過剰」13)LP, S.83.は他のメディア-システムからの「分化」を象徴化する。愛は「情熱」として「過剰」なものであり、それは例えばリターンも機会費用を考慮しない—つまり、それは「経済」とは全く違う論理で動くというわけである。

 ルーマンがなぜ本書を『情熱としての愛』と名付けたのか、その理由はいまや完全に明白だろう。愛が近代初期に殊更に「情熱」として解釈されたこと、それは「機能分化仮説」を支持する事実なのである。

 さて、この「情熱」と「過剰」が「パラドクス」的なコードの主要な内容をなす。続いてルーマンが「パラドクス」という言葉に込めた諸々の意義を見ていきたいが、これはなかなかに多義的なので私たちなりに分節していこう。

2-3-1-1、「パラドキシカル」な対象評価—想像力・あばたもえくぼ・社会的再帰性

 「理想」から「パラドクス」への移行の出発点は女性の自由だった。女性の自由は「二重の偶然性」を生じさせ、その不安定が支えとなるゼマンティクの発展を必要とさせたのだし14)LP, S.60.、また女性が自由になることは、男性からすると女性が主体化したこと、女性が単に見られる対象ではなく、こちらを見ている主体となったこと、すなわち、「社会的再帰性」の本格的な創設をも意味していた15)LP, S.62-63.

 これらがどう「理想」を「パラドクス」へと変容させるのだろうか。そもそも「自由」な存在を「理想」に閉じ込め続けることはできない16)LP, S.62.。愛される対象が自由になるのに応じて、愛する側も自らの欲望の自由を誇り得るようになる。

 対象の「理想」的性質ではなく、愛する側の—これがパラドクスの時代の愛の根拠だったことを思い出されたい—「想像力」が重要になるのである。愛する側は想像力によって対象を美しくし、こうして単に「理想」的な対象を評価するのみならず、対象のいわばパラドキシカルな評価が可能になる17)LP, S.67.—分かりやすい例で言えば、想像力は「あばたもえくぼ」といった評価を可能にするのだ。

 付言すれば、「社会的再帰性」という次元の導入も、愛される者の対象的性質から、その主体性への、つまり、その「愛」への関心の中心の移行を通じて、愛される者の「理想」的な「性質 = 属性」の重要性を低減させるものだった18)LP, S.62-63.。こうして「愛の対象」は「理想」的な「高貴な婦人」に限られるものではなく、いわば庶民化されていく19)LP, S.67.

2-3-1-2、「情熱」の諸パラドクス—冷静と情熱のあいだ

 「社会的再帰性」の意義はそれだけにとどまらない。ルーマンによれば、以前は対象の理想的な性質によって受動的に引き起こされるものとして観念された「情熱」は、いまやそれに基づいた行為が、いまや主体化された対象の側の「情熱」を引き起こしうることに基づいて、その能動的な側面も際立ってくる。

 両者が自由に主体化された局面にあって、「情熱」は—これまた少々パラドキシカルなことに—受動的かつ能動的なものとなり、「行為」の動機とみなされるようになるのだ20)LP, S.74-75.

 こうして「愛」は相互的な情熱の場となるわけだが、そこは諸々のパラドクスの宿る場所である。ルーマンが挙げているものを簡単に列挙しておこう21)LP, S.76-79.

 第一は、愛は情熱として理性の外部にあるが、情熱が双方に同時に起きることは滅多にないために誘惑のための洗練された手練手管や入念な技術が必要になるというパラドクスである。愛はいわば「冷静と情熱のあいだ」なのである。

 さて、技術という点について言えば、男性の側では「プレシューズ/コケット」といった女性の類型化に基づいた「誘惑の確実な手段」が「秘密」の技術として語られたのだが22)LP, S.64-65.、これは—パラドキシカルなことに—他方で「出版」されてもおり、定型的な台詞や身振りは、女性の側の「愛/快」という主導的差異を基礎とする「真の愛/偽の愛」「誠実な愛/単に装われた愛」といった差異図式による読解において疑わしいものとして扱われる。

 そのことを男性がさらに読み解くと、定型的な台詞や身振りを逸脱する試みが生じるのだが、それもさらに定型化して…といった連鎖が続く。結局、愛を表現する台詞や身振りは過激化と大仰化の一途をたどり、その行き過ぎは「軽蔑」を生み出す。大げさに語られることで、愛の「高い」理想が—パラドキシカルに表現すれば—「地に堕ちる」のだ23)LP, S.61-62.

 第二は、男性にとって愛は女性を征服する戦いなのだが、そのためには女性に絶対的に服従しなければならないというパラドクス、「征服する服従」のパラドクスである。ルーマンも指摘しているように、このパラドクスが可能なのは女性の拒絶には服従しない限りである。それは「愛の聖霊に対する罪」なのであり、この絶対性がコストとリターンを計算する「経済」に対する「愛」の分出を象徴している。

 第三は、これと関係するパラドクスが、愛は愛する者の注意力を高め、愛される者を仔細に見させるが、他方でそこで愛される者の(愛する者にとって都合の)悪い面が見えなくなるという仕方で愛する者を盲目化するというパラドクスである。

2-3-1-3、「パラドクス」的表現の機能—「不可能なもの」として「可能」

 これに続いてルーマンは「愛は、ひとが逃れたがらない囚われであり、ひとが健康より好む病であり、傷つけられた者が賠償金を払わなければならないような傷である」といったパラドクスを列挙し、パラドクス的な表現の意義を総括する。

 「矛盾を通じて、それ以外の仕方では可能ではないような何かを強いることが問題なのである」「明らかに、尋常ではない振る舞いを理解可能で許容できるものとして現れさせるような、通常性への対立、尋常でない状況を特徴付けることが問題となっている」24)LP, S.79-80.

 パラドクス、逆説は、それ自体としてありそうもないものである。だが、逆説を表立って主張することには、ありそうにないものをありそうにないものとして可能に見せ、またそれに基づいて諸々の普通ではない振る舞いを正当化する機能がある。

 「囚われ」は通常の論理では否定的に評価され、したがって「ひとが逃れたがらない囚われ」などありそうもない逆説である。だが、「愛はひとが逃れたがらない囚われ」だと言うことは、愛をそのようなありそうもないものとして、まさに「不可能なものとして可能なもの」として、それゆえ尋常でないものとして提示することになる。ルーマンは述べている。

愛は一切の期待の満足が可能であることを象徴する。パラドクス化を通じて、一切の通常の期待は濾過され取り除かれ、いわばある舞台、つまり、愛がその上に現れることが出来るような舞台が展開されるのである。25)LP, S.68.

 こうしてパラドクス的な表現は、ありそうもないものをありそうに見せかけ、ひとを動機づけるというゼマンティク的なコード一般の機能を満たすとともに、それをまさしく「不可能なものとして可能なもの」として、つまり、尋常でないものとして提示することで、尋常でない振る舞いを正当化する—すなわち、愛を他の事象領域から「分出」せしめるのである。

2-3-1-4、「分出」の諸相と「過剰」—そして「愛」の「限界」

 さて、パラドクス的に表現されるものとして、愛は尋常でないもの、「過剰」なものである。「過剰」だからこそ、「囚われ」であるにもかかわらず、「逃れたくない」などということがあり得るのだ。この過剰性によって愛は他の事象領域から分出する。おそらくより正確に言えば、過剰性の語りは愛の分出を表現し、加速する。ルーマンの列挙を見ていこう26)LP, S.83-96.

 まず、愛は確かに心地よいものだが、相手が愛をもってこたえてくれないうちは苦しみでもある。だから愛は単に心地よいものを求めること、「利益-経済」とは異なる。また愛は過剰なものとして義務と権利の均衡としての「正義」を、ということは、「法的結婚」を超え出て行く。過剰なものとして、愛は憎しみに近く、愛によって応えてもらえないとしばしば憎しみとなる。この点で「友情」とは異なる…。

 さて、このように過剰な愛には何らの限界もないようだが、一つ決定的な限界がある。愛の限界のなさは、その時間的な限界によって贖われるのだ。愛の根拠が対象の性質、例えば、「美」ではなくなること、愛の根拠が自然から想像力へと移行し、愛が過度に加速されることで—パラドキシカルなことに—愛は美が失われるよりも早く、つまり、自然よりも早く終わる。

 「理想」の時代が階層格差によって愛を不可能にしたのに対し、いまや不可能性は持続のうちに、「時間問題」のうちに置かれる27)LP, S.71.。愛はパラドキシカルなものとして宿命的に不安定なのである。こうして持続的な結婚と短期的な愛との分化が決定的なものとなる。この時代の愛は既婚婦人の婚外恋愛であったことを想起しよう。

2-3-2、反動・個人化・コミュニケート不可能性—18世紀の諸発展

 ルーマンの語る17世紀と18世紀の差異は、おそらく「物語の舞台がフランスの貴族からイギリスの市民階層へと移る」と言うことによって、もっとも簡単に特徴付けられるように思われる。

 それを簡単に整理すれば、フランス貴族の婚外の情熱恋愛の不安定さと性の乱れに対して、イギリスの市民階層は、「友情」と「道徳」を対置し、そのもとで結婚の親密化を進め、さらにこれら一切を「感情」の哲学的強調のもとに遂行したのである。
 

2-3-2-1、情熱恋愛への反動—道徳と友情への回帰、そして「友情結婚」のゼマンティク

 17世紀の情熱恋愛のゼマンティクの発達は1660年ごろには早くも頂点を迎え、1690年ごろにはすでに停滞し、いわば反動的な動きが優位を占める28)LP, S.100.

情熱恋愛はフランス貴族における婚外の極めて不安定な不倫関係であり、そのパラドクス的なコード化は「高い愛」と「低い性」という反対物を一致にもたらしていた。「愛」の隠れた動機として「性」が暴露され、だからこそ「真の愛/偽の愛」という差異が問題となったのである。

 ルーマンが言っていることを単純に図式化すれば、これに市民階層、とりわけイギリスの市民階層が反旗をひるがえす。猥褻なフランス貴族の性の乱れに「道徳」が再び対置され、不安定な愛に対して穏やかで長続きする「友情」が顕揚されるのである。

 ルーマンがこの脈絡において提示しているもっとも重要な主張は、おそらく、イギリスにおいて(婚外恋愛ではなく)「結婚」を(愛ではなく)「友情」によって「親密化」する運動が起きたというものである29)LP, S.101-104, S.126-128.。このこともルーマンはルーマンらしく機能分化との関連において論じている30)LP, S.165-166.

 曰く、「婚姻 = 家庭」内部の関係は従来、夫の妻への愛を「経済」的な所有物への愛着として考えたり、夫と妻との関係を「政治」的な支配関係として考えたりといった仕方で構想されていたが、このような考え方は機能分化への移行、すなわち、経済システムや政治システムといった諸システムのいやます自律によって—とりわけ先進的なイギリスでは—困難になってくる。「婚姻=家庭」が「経済」と「政治」とはまったく別のものとして見えてくるようになるのである。

 この空所を埋めたのが、フランス貴族の放埒な「情熱恋愛」に反発していたイギリス市民階層にあっては、「友情」であった。夫婦の関係は「経済」的所有でも「政治」的支配でもなく、ある感情的結びつき、(不十分とはいえ、少なくとも所有や支配に比べれば、より)対等な「友情」関係なのであって、なんらかの意味で「親密関係」がそこで営まれるべき場所なのである。

 しかるに、なぜ「愛」ではなく「友情」なのだろうか。ルーマンが見るところ、確かにそこでは言葉上は「相互的な愛(mutual love)」が言われていたものの、それはパートナー選択を規定しない「合理的」な愛とされ、小説風の愛でも、性的に基礎付けられた情熱でもなく、相互の理解・尊重・関心の促進であり、決定的なことには、そこでは性差が—ということは、セクシュアリティが—意味を持っていない限りで、徹底的に「友情」の範疇にとどまっていたのである。

 こうして17世紀のフランス貴族の情熱恋愛のゼマンティクに対して、いわば18世紀のイギリス市民階層の友情結婚のゼマンティクが並立することになる。両者の共通点があるとすれば、情熱恋愛のゼマンティクが「理性」に対して「情熱/快」を強調したのを引き継ぐような仕方で、友情結婚のゼマンティクも「感情」を強調していることである。

 ルーマンによれば、「感情」や「友情」の強調の背景には宗教改革の帰結としての教会分裂と宗教の個人化があった31)LP, S.130.。各人は共同性から切り離され、ただ神との関係において自らを保持しなければならないという孤独に追いやられたのであって、それが「感情」や「友情」への関心を呼び覚ましたのである32)ここに述べられているような宗教上の変化は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でヴェーバーが資本主義の起源として名指したものと似ている

 少し付言しておくと、この「感情」についての議論、「感情」の道徳的正当化の議論の役割をルーマンは一つには「愛」ないし「親密関係」と「社会一般」との統合に求めている33)LP, S.97-100.

 曰く、フランス上流階級においては、「社会一般(=社交)」と「愛」ないし「親密関係」との統合はギャラントリーという女性に対するへつらいの作法に存していた。それは一般的な社交の場面でも用いることができたし、場合によっては、そこから親密な二者関係に移行することもできるようなものだったのであり、そういうものとして「社会一般」と「愛」を媒介ないし統合していた。

 このギャラントリーは、先に論じた通り、男女の読み合いの中での陳腐化と大仰化の反復の結果として軽蔑の対象となっていたことに加え、いやます個人化においては空虚で形式的な紋切り型と見なされるようになっていたため、市民階層からは拒否されることになる。

 ルーマンによると、このギャラントリーが占めていた位置、つまり、親密関係と社会一般との蝶番の役割を、いまや感情を道徳的に正当化すること、つまり、親密関係を統べている感情が社会的な意義を持っていることを示すことが担うようになるのである。

2-3-2-2、LiebeとFreundschaftの>>Zwischen<<—再訪「共生メカニズム」

 ところで、フランスの「情熱恋愛」とイギリスの「友情結婚」という対置がルーマンにとって興味深いのは、そこから「メディア」を基礎付ける「共生メカニズム」というルーマンの理論的構想を支持する証拠が取り出せるからでもある。LPの序言でルーマンは彼一流の晦渋な—あるいは、やけに圧縮された—言い方で以下のように述べている。

[フランスの]情熱恋愛のゼマンティクだけが(…)18世紀におけるセクシュアリティの価値上昇を取り込むことができるのに十分なほど複雑だったのであり、イギリス人たちは、愛と結婚の統合に向けた先行的な仕事を断然多くこなしていたにもかかわらず、同様の条件のもとでただヴィクトリア朝性道徳という奇形児を生み出すことしかできなかったのである。歴史上の出来事の連なり(Sequenz)において、しかも、まさに同じ問題への反応の違いのうちで、ある事象連関が示される—私は認めよう、それはヴェーバーをもってしても方法論的にいまだ十分に明らかにされていない仕方においてである、と。34)LP, S.101.

 ルーマンは何を言っているのだろうか。「愛」も「友情」も「親密関係」を構想し、それについての規則を定める「親密性のコード」であり、他方で伝統的に「結婚」は再生産の場所として必然的に「性」の場所である。

 フランスの「情熱恋愛」は婚外の恋愛として、さしあたり「結婚」とは関係がなかった。他方でイギリスの「友情結婚」は「結婚」を「友情」によって「親密化」する試みであり、「結婚」を「親密関係」に変革する試みとして、「結婚」と「愛」との結びつきという方向へと近づいていた。

 しかるに、近代に主流となった結婚観はイギリス流の「友情結婚」ではなく、むしろ「情熱恋愛」の末裔としての「ロマンチック・ラブ」的な「恋愛結婚」であった。なぜか。ルーマンの答えは、「友情」は「性」を十分に取り込めず、それどころか「ヴィクトリア朝性道徳」などという仕方で排斥したのに対し、「愛」はそれを取り込めたからだというものである35)LP, S.149.

 さて、こうしていまや上の引用文の後半部分の意味を明確化することができる。「愛」も「友情」もLPの副題である「親密性のコード化」という「同じ」問題に対する「違う」解答なのだが、ここで「友情」の方が結婚を親密化するという試みにおいて先行していたのにも関わらず、最終的に「愛」が勝利したという、いわば意外な「歴史上の出来事の連なり」において、「性」を適切に取り込むことが「親密関係」をコード化するにあたって決定的であるという「事象連関」が示されるのである。

 愛と友情は「性」の価値上昇という「同じ」問題に「違う」仕方で応じたわけだが、「性」をうまく取り込んだ「愛」の方が、結局、「親密関係」のコード化を担うこと担ったのである。そして、これは親密システムも含め近代において分出し部分システムを形成するメディアは身体性のうちに基礎を持たなければならないという「共生メカニズム」というルーマンの理論的構想が名指している「事象連関」なのである。

 だが、「共生メカニズム」という理論的構想によって、正確に「親密関係」と「セクシュアリティ」はいかなる関係に置かれているのだろうか。ルーマンはこの点をさらに明確化している。

[共生メカニズムに関する]このテーゼは、友情は不可能であるとか十分にありそうなものではないなどということを言っているのではないし、あるいは性交が親密な最高度に個人的・人格的なコミュニケーションの不可欠な条件であるということを言っているのではなおさらない。決定的な観点は否定的なものである。36)LP, S.149.

 ルーマンの「否定的な観点」ということで言いたいのは、「親密関係」が成立するために「セクシュアリティ」が必要というわけではないのだが、他方で、他所に「セクシュアリティ」があると「親密関係」は困るということである。

 曰く、「セクシュアリティの上で生じる、人間関係の親密内容は極めて高度なので、それは別種の、単に「友情」的な関係において無視することはできないのである。(…)[親密関係の外部での]性的関係は、親密システムのパートナーの環境関係としては、[親密システムにとって]絶えざる撹乱の源泉となる」。

 確かに親密関係を形成するためにセクシュアリティが必要だというわけではないが、しかし、性的関係が他所にあると、「そこ」に極めて親密な関係がある(と想像される)ことによって、「ここ」での親密関係の形成は妨げられる。だから親密関係にセクシュアリティを取り込むことが重要なのだというわけだ。

 この論理によりルーマンは「歴史上の出来事の連なり」をよりよく説明できるようになると言えるだろう。フランスにおいては婚外の性的関係のせいで結婚の親密化は不可能であった。イギリスにおいては「友情」が結婚のうちに現にあるセクシュアリティを取り込み囲い込むことができなかったがゆえに結婚の親密化は—これは次の段落以降の議論の展開に関わるが—結局のところ中途半端に終わった。

 ただセクシュアリティを取り込む「愛」とセクシュアリティの場としての「結婚」の総合—「ロマンチック・ラブ」—においてのみ「親密性のコード化」は正しく果たされるのである…。

 とはいえ、もちろん、ルーマンは「セクシュアリティ」と「親密関係」との連関をこのように否定的な仕方でのみ考えている訳ではない。セクシュアリティが愛の基礎にあることはやはり「愛」にとってそれなりに内在的な意味がある。

 「それぞれのメディア領域におけるコミュニケーションはそれに割り当てられた共生メカニズムに限定されていないが、やはりこのメカニズムは[メディアの]分出と高まりの条件であり続ける」37)LP, S.32.。具体的にいえば、セクシュアリティは第三者の排除—「分出」—や相互的な近さへの関心を説得的なものとし、言語的コミュニケーションとは質的に異なる確証経験を可能にするという仕方で、コミュニケーションを豊かにし、これらのことによって、お互いに「自身の体験がパートナーの体験でもあること」—つまり、相互的な一致、相互的な確証—が想定しやすくなるのである38)LP, S.32-33.

 ルーマンは最後の点について、人間的諸能力の階層構造の崩壊と絡め合わせて、以下のように生き生きと(?)叙述している。

[セクシュアリティという基礎(=共生)メカニズムにおいて「自身の体験がパートナーの体験でもあること」が他ではありえないほどに高い度合いで想定されるという]このことは、とりわけ相互的な欲望の再帰性に依るものである。身体的な二人遊び(körperliche Zusammenspiel)において、ひとは自分が自身の欲望することとその満足とを超えて、他者が[自分を]欲望してくれることをも欲望するということを経験し、それとともに、他者が[自分に]欲望されることを願望していることも経験する。このことが「無私性」を自身の行為の基礎と形式とにすることをあり得ないものとする。むしろ、自身の願望の強さこそが、ひとが[他者に]与えることができるものの尺度になるのだ。こういったことすべてとともに、セクシュアリティは「感性 = 官能」/「理性」という図式による人間的関係のヒエラルキー化のみならず、「利己主義」/「利他主義」という図式をも打ち破るのである。このことは歴史的にはとりわけ以下の事実において示される。すなわち、愛というコードのもとでの性的に基礎付けられた親密関係の分出が(…)道徳と人間学における、この二つの区別を爆破したという事実においてである。39)LP, S.33.

 ルーマンはここでなかなか驚くべきセクシュアリティ中心主義的な思想史の見方を提示している。だが、それはそれとして話を進めるならば、身体を用いたコミュニケーションが親密関係における相互確証に対して果たす役割についてのルーマンの叙述を強調するにあたっては但し書きも必要だろう。

 ルーマンは他方でこれまた彼一流のレトリックで「言葉は身体よりも強く分離する(Wörter trennen stärker als Körper)」ということを肯定的に述べてもいるからである。曰く、「[愛の関係の]持続のメディアとして言葉が役立つのである。言葉は身体よりも強く分離するのであり、差異を情報化し、コミュニケーションの継続への動因を与えるのだ」40)LP, S.89.

 確かに身体接触は相互的な確証のために重要な、言語とは質的に異なる役割を果たす—例えば単純にお互い優しく愛撫しあうだけで相互的に確証されるというのだから!—のだが、他方で「分離」、すなわち「差異」なしの「統一」は関係の弛緩を生む。

 むしろ、言語を通じて「差異」を露呈せしめることによってこそ「統一」への動勢としての「愛」が生き生きと働くという側面も見逃してはならない。「差異の統一」という第1章末尾で触れた定式は、この意味で、いわば動的に「差異」と「統一」の相互的交代ないし循環としても読まなければならないのだろう。

2-3-2-3、「個人化」の動向と「コミュニケート不可能性」という「岩盤」

 さて、ルーマンが18世紀に見出している諸動向として、これまでのところ、前々項ではフランス貴族に対するイギリス市民階層の叛乱、すなわち、道徳的反動、友情への回帰、感情の強調を、そして前項では他方で進んだセクシュアリティの価値上昇と、それが愛に共生メカニズムとして取り込まれはじめるさまを見てきた。残るは「個人化」と「コミュニケート不可能性」である。

 さて、「個人化」とは何か。第1章で確認した通り、機能分化社会としての近代において各人は自らを階層や機能システムにおける役割に還元されない存在、まさしく「個人」として把握し、そのレベルでの自己理解にもとづいて行為し体験する。

 そして「愛」が統べる「親密関係」とは、このような「個人性」がそこでこそ決定的な仕方で主題となり、語られ、聞かれ、確証され—あるいは葛藤の種となる関係だった。ルーマンが「個人化」と呼ぶのは、ひとが「個(人)性」を高めていく過程であり、「愛のゼマンティク」がそのような「個人性」を包摂する仕方で変容していく過程である。

 簡単にルーマンの叙述を追おう。まず「階層分化社会」における「理想」のコードでは「個人性」が存在しないのは当然である。「高貴な婦人」といった対象の理想性も「騎士」といった主体の自己証明もどちらも「階層的-理想的」に規定されており、もし個人性なるものがあるとしたら「理想」からの逸脱としてのみである41)LP, S.128.。ここには「個(人)性」を積極的に評価する余地はない。

 続く「移行期」における「パラドクス」のコードは個人性への道を開く。というのは、パラドクスは一意的に正しい振る舞いを規定せず、個人に選択の余地を残すからである42)LP, S.128-129.。ルーマンが挙げる例で言えば、技巧を凝らしても、理想主義でもいいし、秘密を隠しても、一切をさらけだしてもいいし…というわけだ。パラドクスは一般的には解かれえず、個別事例においてその都度解決法を探らなければならない—ルーマンが愛の「決疑論」を語る所以である43)LP, S.71.

 とはいえ、ルーマンはフランスの「情熱恋愛」における「個人化」を過大評価しないように注意を促してもいる44)LP, S.124.。確かにパラドクスは選択の自由を与えるが、「プレシューズ」や「コケット」といった言葉に典型的に現れているように、そこでは人間は類型化されて捉えられうるものとされていたからである。自由は標準化された自由に過ぎなかったのだ45)LP, S.64-65.

 さらにルーマンが付け加えるところ、17世紀の心理学はいまだに「気質」の概念を用いており、個人の個人性がそこで培われる「発達」を記述することはまだできなかった46)LP, S.125.。各人はなにがしか類型的な「気質」を持っているだけなのである。18世紀の初めでも「個人」というのは「身分は関係ない」という意味でしかなかった47)LP, S.166.。身分が抜け落ちた後の空所がこれから埋められなければならなかったのである。この続きを語るためには「ロマンチック・ラブ」の項へ行かなければならないだろう。

 では、他方の「コミュニケート不可能性(Inkommunikabilität)」とは何か。ルーマンはこの表題のもとに二つのかなり異なる事象を一緒くたにしているように思われる48)LP, S.153-160.。第一の方向は「個人化」の動向と関係している。簡単に言えば、各人が自らをかけがえのない個として理解するようになり、そこで自己自身に合致することとしての「オーセンティシティー」が求められるようになると、あらゆる言語表現—それは本性上究極のところ一般的なものにすぎない—が自己を偽るものとして疑わしくなるという問題である49)LP, S.154. 何がしかハイデガーのGerede論を思い出させる。

 とりわけ定型化された技巧的な紋切り型的表現においてはこの傾向が顕著であり、ルーマンに言わせれば、この時点で「ギャラントリーは傾向的に不誠実なものとみなされる」50)LP, S.131.。どんな語りも振る舞いもいまや嘘くさいのであり、これは一方では技巧を捨てて「自然に帰れ!」という立場へと51)LP, S.132-133.、そして他方では「愛」を単なる「コード」、いわゆる「イデオロギー」であると見なす新しい「コード意識」へと道を開く52)LP, S.133.

 さて、それはそれとして、ここで事態は両面から把握されなければならない。すなわち、発話者が、あらゆる表現が自らの真意を適切に表現し得ないと感じるようになるように、発話を受け取る側も表現の後ろにある発話者の真意についていくらでも疑うようになってしまう。表現と真意との溝は両者にともに経験されるのだ。

 こうして「誠実な愛/不誠実な愛」という図式でいえば、「誠実な愛」は発話者からすると決して十分に表現できず、聞き手からすると決して確信できない、それは「コミュニケート不可能」なのである。

 第二の方向をルーマンは歴史的というより、むしろ一般的な事柄として導入している53)LP, S.155-157.。ルーマンに言わせると、あらゆるコミュニケーションは「伝達」と「情報」の差異に依拠している。私たちはコミュニケーションにおいて、例えば誰かが自分についての悪い噂を善意から教えてくれた場合、その「情報」そのものには狼狽しつつも、「伝達」には感謝すること、つまり、両者に同時に別様に反応することができるのである。

 このような説明をした上でルーマンは「コミュニケート不可能性」の由来を以下のように規定する。「その意味との関係において伝達と情報との差異が維持できなくなってしまうがゆえにコミュニケートできない意味体験が存在する。比喩的にいえば、情報があまりに熱いときには、伝達もクールではいられないのである」。

 これを簡単にいえば、ある種の「情報(A)」については、それを「伝達」することが、私の相手に対する態度についての「情報(B)」として機能してしまう—例えば「こんなこと(=「情報(A)」)を言う(=「伝達」)なんてあなたは私のことを愛していない(=「情報(B)」)!」といった場面を想像しよう—のであり、それを見越すことで私は、できる限り「誠実」であろうとしつつも、やはりその「情報(A)」を伝達することができない、それは「コミュニケート不可能」なのである。

 ルーマンはこの二つの—おそらくは相互にかなり異なる—ことをとりわけては区別して論じていないのだが、おそらく、歴史叙述の脈絡に即しているのは前者のみだろう。ルーマンの論じるところ、この前者の「コミュニケート不可能性」が18世紀に発見されたのであり、それは「真の愛/偽の愛」「誠実な愛/不誠実な愛」といった根本的差異を利用していた、それまでの愛のゼマンティクに対しては一つのデッドロック、それを超えることが不可能な「岩盤」として立ち現れてくるのである。というのも、いまや「真の愛」や「誠実な愛」は証明しようがないものとなるのだから。

2-4、「自己参照」の時代—英独仏の合作としての「ロマンチック・ラブ」

 さて、ルーマンは1800年ごろに「情熱恋愛」から「ロマンチック・ラブ」への移行を特定する。そのメルクマールはそこで「個人性」が決定的な仕方で取り込まれ、愛が個人的・人格的関係を意味する「親密性」の「コード化」といえる存在になったこと、そして愛が「持続性」を獲得し結婚の基礎をなしうるようになったことである54)LP, S.178.

 それが達成されたのはドイツにおいてであり、こうしてフランスの貴族とイギリスの市民階層を経て舞台はドイツの哲学と文学とに移される。ルーマンの語りに従えば「ロマンチック・ラブ」は英独仏の合作なのであり、いまや物語は大団円を迎えると言っていいだろう。

 「個人性」から初めて「持続性」へと移っていこう。「個人性」ということについてはルーマンの文章を引用することから始めよう。

[18]世紀が経過していくなかで初めて、身分的な諸拘束を単に捨象するという仕方で、個人を把握するような「個人」表象が準備したゼマンティク的な空所が、内容的に豊かにされ、充填されたのである。ただ段階的にのみ、環境・境遇・教育・旅行・友情といったものの[個人に対する]刻印的な影響への洞察が遅ればせに生い育ってきたのであり、ようやく世紀の終わりになって初めて(そして本来的にはドイツ哲学においてのみ)、自我の世界性と世界企投の主体性を主張する、かのラディカルな定式が発見されたのである。この哲学的人間学と、それに影響されたロマン派の文学のうちで初めて、個人の具体性と独特性が普遍主義的な原理として表明されるのだ。55)LP, S.167.

 それぞれの人間が「そこ」において世界が立ち現れる「そこ」として把握されること、それぞれがそれ自身一つの「世界」であると把握されること、そのことによってのみ個人の個人性は的確に表現にもたらされるというわけだ。ここからして第1章で叙述した理論的諸契機が整ってくる。

 順に見ていこう。いまや他者は単なる対象でもなければ、単に自由であるだけの主体でもなく、「世界企投の主体性」、一つの世界であり、世界への独特の関係である。かくして私たちは他者を理解するというとき、第1章で述べた通り、他者の「世界関係」を理解しなければならないし、他者に関わることは、結局、他者の世界に関わることに帰着する。

 そして私たち自身も「世界企投の主体性」であるとすれば、他者との関係が私の「世界」そのものを変化させることもありうる。「同時代のドイツ・ロマン派は世界をある一人の他者へと関係付けることから、ある一人の他者を通じて世界を価値付けることへと移行する」56)LP, S.167-168.

 このように世界が変容しうるということは、ルーマンのいう意味での「体験メディア」としての「愛」の特色であり、また私たちが「愛の再帰性」の基礎にあるものとして見定めた論理、「私を受け入れるあなたの世界を受け入れればこそ、あなたは私の世界に意味を与えることができる、だから私はあなたの世界を受け入れる」という論理の基礎でもある。

 とすれば、ここからルーマンが「持続性」への見通しをつけていくことになることもいまや予想できよう。17世紀の心理学は個人を変化しない気質によって捉えた。とすれば、性格と性の違いによって愛は長続きしようがない57)LP, S.126.

 しかるにいまや個人は「世界関係」として捉えられており、環境から絶えざる影響を受けつつ変化し、発達し、成長する、一言で言えば、自らを形成する(bilden)、まさしく「教養(Bildung)」である。ルーマンは言う。「性格の無規定性と可塑性が愛における不変性を可能にする」58)LP, S.126.

 さて、もちろん、この論脈においてルーマンは「愛の再帰性」、より正確に言えば、「愛のプロセスの再帰性」を導入してくる59)LP, S.174-175.。ひとが絶えざる「形成 = 教養」のうちにあるからこそ、相異なる二人の間の関係としての「愛」は持続性を持ちうるのだが、それは具体的にはいかにしてか。

 第1章からしてすでに明らかだと思われるが、それは二人の間に共同世界が構成され、お互いがお互いの世界のうちで愛される者という仕方で認められていることが、お互いの世界に意味を与え、そうすることで、お互いがお互いの世界を受け入れること、すなわち、お互いを愛することを動機付け、さらにこの共同的な世界の歴史の積み重ねがお互い自身を「形成(=教養)」していくということにおいてである。

 ルーマンはこのことを以下のように簡潔に表現している。

愛において端的に個人としての人間が問題となると、それとともに社会的再帰性の理解も深められる。社会的再帰性は—いずれにせよ人間間の相互浸透という次元では—個人の自己反省の「教養」の構成的な条件となり、またその逆でもある。60)LP, S.173-174.

 「社会的再帰性」、すなわち、他者のなかに私があることが、私の「自己形成 = 自己実現」の構成的な条件となり、また逆にそのように私の自己が他者との関係のうちで形成され実現されていることが私と他者との関係を強固なものとする。このような「社会的再帰性」のうちで構成される「共同世界」。

 「共同の特別な世界の構成(…)そのようにしてのみ愛は結婚でありえ、そのようにしてのみ愛は自ら自身に持続性を与える」61)LP, S.178.。かく「愛」は「再帰的」に、つまり、「自己参照的」になり、自ら自身によって自らを正当化し持続せしめる。ルーマンが「理想」「パラドクス」に続いて「自己参照」をコードの形式として名指す所以である。

 さて、こうして「性-愛-結婚」の三位一体がようやく可能にされる。「愛と性と結婚にたいして新しい統一の定式が求められ、個人的・人格的な自己実現の理念に見出される」62)LP, S.151.

 最後にこの「結婚」との結びつきについて簡単に触れておこう。結婚が自由に相手を選択する愛に委ねられることが可能になったのは、機能分化を通じて結婚がその社会的機能をすでに失い始めていたからである63)LP, S.183.。それは貴族を再生産する、つまり、階層を再生産する機能を失ったのみならず、経済的な生産の機能を失い、政治的な支配の基礎としての機能も失った。だからこそ、いまや家族はいまや世代ごとに創設されるものとして構想され、愛に委ねられうるようになる。

[機能分化を通じて家族がその社会的機能の多くを失い、いまや世代ごとに創設されるものと考えられるという]この構造転換こそ、それと自覚せぬままに、ひとがコミュニケーション・メディアとしての愛の発展によって備えをしていたものなのである。ゼマンティクは、部分的には婚外での情熱に方向付けられ(フランス)、部分的には家庭に方向付けられ(イギリス)、部分的には教養に方向付けられて(ドイツ)、すでに準備されていたのであり、いまや[世代ごとに創設される家族を「愛」を中心に構想するという]この機能のうちに歩み入ることができたのである。64)LP, S.184.

 「情熱恋愛」の「パラドクス」的ゼマンティクを経て分出した愛の関係は、一定の完成をみた機能分化社会において、「自己参照性 = 再帰性」へともたらされて自己根拠となるとともに、いまや機能分化を通じて他の諸機能を失った「家族 = 結婚」という制度と結びつく。逆に言えば「家族 = 結婚」は「愛」というメディアの機能に特化する制度へと再編されたのである。

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第2章 第1節 前史 —「政治的 = ポリス的」な愛
第2章 第3節 現代に向けての胎動—「解決のない問題」への方向付け

はじめに・目次:ニクラス・ルーマンの「愛」の概念―徹底解読『情熱としての愛』

References   [ + ]

1. LP, S.49-56.
2. LP, S.80.
3. 一つ余談的に述べておくなら、ルーマンの歴史叙述において近代の「愛のゼマンティク」をその絶頂へともたらした(少なくとも影の)大立者は明らかにカントだが、皮肉なことに、常に「感性的 = 官能的なもの(Sinnlichkeit)」から「純粋(rein)」なものへと立ち帰ろうと努力したカントこそ、理論的に(そしておそらく実践的にも)、この「理性」と「感性 = 官能」との差異を最期まで持ちこたえた、おそらく最後の大物である。
4. LP, S.58.
5. LP, S.50-51.
6. LP, S.57-58.
7, 9, 10. LP, S.59.
8. LP, S.90.
11. LU, S.65.
12. LP, S.73-74.
13. LP, S.83.
14. LP, S.60.
15, 18. LP, S.62-63.
16. LP, S.62.
17, 19. LP, S.67.
20. LP, S.74-75.
21. LP, S.76-79.
22, 45. LP, S.64-65.
23. LP, S.61-62.
24. LP, S.79-80.
25. LP, S.68.
26. LP, S.83-96.
27, 43. LP, S.71.
28. LP, S.100.
29. LP, S.101-104, S.126-128.
30. LP, S.165-166.
31. LP, S.130.
32. ここに述べられているような宗教上の変化は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でヴェーバーが資本主義の起源として名指したものと似ている
33. LP, S.97-100.
34. LP, S.101.
35, 36. LP, S.149.
37. LP, S.32.
38. LP, S.32-33.
39. LP, S.33.
40. LP, S.89.
41. LP, S.128.
42. LP, S.128-129.
44. LP, S.124.
46. LP, S.125.
47. LP, S.166.
48. LP, S.153-160.
49. LP, S.154. 何がしかハイデガーのGerede論を思い出させる。
50. LP, S.131.
51. LP, S.132-133.
52. LP, S.133.
53. LP, S.155-157.
54, 61. LP, S.178.
55. LP, S.167.
56. LP, S.167-168.
57, 58. LP, S.126.
59. LP, S.174-175.
60. LP, S.173-174.
62. LP, S.151.
63. LP, S.183.
64. LP, S.184.
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