さて、第2章は、第1章に比すれば蛇足的なものとなるかもしれないが、第1章の成果を前提にルーマンの歴史的叙述を再構成することを試みる。
「はじめに」で主張したように、ルーマンの「愛の歴史社会学」はルーマン的に展開された「愛の哲学」を終着点としており、そのように愛のゼマンティクが整っていく過程を叙述する。その経過の叙述は一見すると複雑に見えるが、ルーマンの基本的な理論的諸想定―つまり、階層分化から機能分化への移行、かく分化したシステムの自己参照的な再生産、そして共生メカニズム―によって簡単に整理できる。
私たちはルーマンの歴史叙述が理論的諸想定の正当化に奉仕する仕方で構造化されていることに徹底的に意識的でなければならない。そうすることによってのみ、ルーマンの叙述に伴う多くの「なぜ」が、つまり、ルーマンが「なぜ」あること語り、「なぜ」ある仕方で語るのかといった疑問が、解消されうるのである。
さて、以上のことはルーマンが歴史を理論に従って裁断したことを意味しているのだろうか。もちろん、ルーマンからすれば、理論に従って歴史をそれなりに正確に叙述することが出来ていることによって、理論の正しさが示される。
このどちらの解釈を採るべきかいうことは、もちろん、ルーマンの歴史叙述がどれほど歴史自身に忠実たり得ているかによって判定されるのだが、私たちはルーマン自身の叙述から独立した歴史的知識を持っていないため、この点について判断を下す立場にはない。
私たちが目指すのは、先に到達された理論的整理からしてルーマンの歴史叙述の構造を正しく理解しうることを示すこと、そこで可能になる簡潔な整理によって以上のような判定への道を開くことである。
本章は以下のように分節される。すなわち、第2節 前史―政治的な愛、第2節 愛のゼマンティクの進化―理想・パラドクス・自己参照、第3節 現代への胎動―「解決のない問題」への方向付け、第4節 愛の非根拠―あるいは真理に対して愛を守ること。
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補論1 愛のゼマンティクを分析するLPも愛のゼマンティクの一例であることについて
第2章 第1節 前史 —「政治的 = ポリス的」な愛