さて、refuseです。前章では、refuseの意味が、reとfuseの組み合わせからできてくる様をイメージ化し、ストーリー化しました。
前章を読んだ皆さんがrefuseの意味を忘れることはないでしょう(と期待したいところです、そのために、詳しく解説をしたのですから)。
このように、もはや絶対に忘れない地点、いわば、語源による英単語攻略の橋頭堡を確保したら、今度は、そこを出発点に様々に単語のネットワークを張り巡らせていくべきです。
心持ちとしては、映画『プライベート・ライアン』で印象的に描かれたオマハビーチでの激戦をくぐり抜けてノルマンディー海岸への上陸を果たし、いまや一気にフランス全土を奪還しようとする第二次大戦における連合国のような態度で臨むべきところなのです。
1、ノルマン・コンクエストが残したもの
こんな比喩を考えてみたところで、1944年のノルマンディー上陸作戦から、歴史を878年ほど遡ってみましょう。西暦1066年です。
このとき、第二次大戦の時代にイングランドからフランスのノルマンディー海岸への上陸が果たされたのとは逆に、フランスからイングランドへの侵略、それこそノルマンディーに本拠を構えるノルマンディー公ウィリアムによる、「ノルマン・コンクエスト」が成功しました。
これは英語にとってどうでもいいことではありません。
これ以来、イングランドでは、侵略者であるフランス人を中心とする支配階層はフランス語を使い、被支配層であるイングランド人は英語を使うという、言語の二重体制が生じ、英語はフランス語から多大な影響を受けました。
この歴史的経緯の帰結を例示するものとして、よく使われる小話が「肉」をめぐる英語の語彙に関するものです。英語では、豚はpig、牛はcowですが、豚肉はpork、牛肉はbeefです。なぜ、このような違いが生まれるのでしょうか?
実は、pigやcowは英語の本来の語彙であるのに対して、porkやbeefはフランス語由来の単語なのです。フランス語では、それぞれを、porc、bœufと綴るのです。
そして、動物自身の名前が変わらなかったのに、肉の名前だけはフランス語由来の語彙が使われるようになった理由も、もう推測できるでしょう。
よく言われるところに従えば、動物自身を扱わなければならなかったのは、被支配民として労働に従事しなければならなかったイングランド人たちであるのに対して、そこで生産されていた肉を食べることができたのは、征服者にして支配層であったフランス人たちであり、だからこそ、動物はもとの英語のままであったのに、肉だけがフランス語で呼ばれるようになったのです。
さて、この小話は卑近でわかりやすいものの、まだ事態の一部分しか示していません。
被支配階層が動物を飼育し、支配階層がその肉を食べるというのは、支配構造に対する非常に単純な見方にすぎません。征服者は、被支配層を働かせ、その成果を搾取する…。
もちろん、それも一面の真実ではありますが、一面の真実でしかないのです。というのも、支配階層には支配階層なりの仕事があるのであって、それが国家の運営です。
そして、それは農奴たちが日々の仕事と生活をこなしていくのとは、全く別の語彙を必要とします。国家全体を統治するためには、様々な抽象的な概念が必要なのです。
農民が、足や腰や手といった部位に注目し、歩く、耕す、水をやる、摘む、結ぶ、牽く、運ぶといった動作に関心を持つとすれば、後者は、現代風の表現になってしまいますが、政治や経済や外交といった事象に興味を持ち、立法する、法を執行する、司法を取り仕切る、税を徴収する、市馬を整備する、外交上の条約を締結する、あるいは、戦争を開始するといった行為に関心を集中するのです。
このことの帰結が、英語にも刻まれています。日常的で簡単な語彙には、英語本来の、つまり、ドイツ語と共通するゲルマン系の語彙が多く残り、抽象的で難しい語彙は、フランス語と共通するラテン系の語彙が今でも大半を占めているのです1)この点で、英語におけるゲルマン系の語彙とラテン系の語彙の関係は、ひょっとすると、日本語における大和言葉と漢語との関係に似ているのかもしれません。話は変わりますが、 英語やドイツ語の祖先であるゲルマン語と、フランス語やイタリア語やスペイン語の祖先であるラテン語は別の言語ですが、まったく別の言語というわけではありません。比較言語学の成果によれば、いまから6000年~9000年前に、現在のインドからヨーロッパにかけての大半の言語の祖先となった「インド=ヨーロッパ祖語」という言語が存在したとされます。その存在の直接の証拠はありませんが(文字が生まれる前の先史時代のため)、その存在を仮定しなければ、様々な言語の共通性を説明できないのです。
これまた有名な話ですが、このインド=ヨーロッパ祖語から日本語にも受け継がれている言葉、それゆえ、日本語と英語などが共有している言葉が存在するとされています。
一つが日本語の「旦那」と、「与える」を意味するヨーロッパ系の語のdonです。「旦那」とは、もともと、donor card(ドナーカード)のdonor(与える人)と同じ意味だったというのです。もう一つが「名前」とnameやnatureの「な」です。何千年もの時を経て、同じ起源の言葉が、世界の西の端でも、東の端でも用いられているというのは、何かとても深い感慨を覚えさせるものです。。
手 | 英語:hand | ドイツ語:Hand |
持つ | 英語:have | ドイツ語:haben |
いつ | 英語:when | ドイツ語:wenn |
知覚 | 英語:perception | フランス語:perception |
状況 | 英語:situation | フランス語:situation |
矛盾 | 英語:contradiction | フランス語:contradiction |
さて、私たちにとって朗報なのは、フランス語を経由して、ラテン語からやってきた抽象的な語彙群こそ(フランス語はもともとラテン語の方言です)、語源的説明がきわめて容易な語たちであるということです。
つまり、英語においては、抽象的でイメージしづらい難しい語彙こそ、語源の力を使って、私たちは具体的でイメージしやすいものへと変換することができるわけです。このことの学習上の意義は計り知れません。
脱線が長くなりました。話を戻しましょう。私たちは、以上のような帰結を生み出した侵略の逆をたどり、大陸に「refuse」という橋頭堡を確保したのでした。いまや、ここからユーラシア大陸ではなく、英単語という広大な大陸の征服運動を開始していきましょう。
2、接頭辞・語根・接尾辞について
refuseから支配域を広げていくために、三つの概念を導入しましょう。すなわち、接頭辞(prefix)・語根(root)・接尾辞(suffix)です2)この「pre/fix」「suf/fix」の、preとsuf(←sub)も接頭辞です。preの主要な意味は「時間的に前・先」、subの主要な意味は「下」です。今回の場合、語の先頭が「先にくるもの」として「pre」で表され、語の末尾が「下」に続くものとして「sub」で表されているわけです。
接頭辞は文字通り、単語の「頭」につき、単語に特定の意味の方向性を添えるものです。次に、語根は、単語の中心に位置し、その意味の「根」となるものです。最後に接尾辞は、これまた文字通り単語の「尾っぽ」につき、主に単語の品詞を決定する役割を果たします。
多くの単語が、この三つの部分に分解できます。ただ、全ての単語がそうなのではありません。例えば、refuseの場合、「re」が接頭辞、「fuse」が語根となり、接尾辞といえるものはありません。
では、このrefuseに何か接尾辞をつけることはできるでしょうか。refuseの場合は、接尾辞「al」がついた、refusalという単語が存在します。この場合、「al」はこの場合は名詞化の働きをし、refusalは「拒否」という名詞になります。
ところで、「al」がついた際に、refuseの「e」が消えてしまったことに気がついたでしょうか。接頭辞や接尾辞が語根と結びつくとき、綴り字が消えたり、変わったりすることが多々あります。
例えば、接頭辞com・comはcor・co・colなど、接頭辞adは、ab、ac、af、ag、ap、asなどと変化します。
こういった変化にも法則性がありますが、経験上、それを丸覚えに覚えるのはそれなりに難しいので、それを暗記するというよりは、「corやcolもcon・comかもしれないな」といった柔軟な姿勢を持っておく方が重要です。
さて、refusalに戻りましょう。refusalを私たちはいまや、re + fus +alと分解できます。
re(接頭辞:反対)+ fus(語根:注ぐ)+ al(接尾辞:名詞化)→「拒否」
さて、ここから私たちは、いくらでも他の単語へとネットワークを広げていくことができます。いかにしてでしょうか?
もちろん、共通の接頭辞、語根、接尾辞をもつ単語へと、連想のネットワークをつなげていくことによってです。
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第1章 語源を考える—言葉の生まれた場所へと、想像的にさかのぼること
第3章 語根「fuse」から始まるネットワーク
References
1. | ↑ | この点で、英語におけるゲルマン系の語彙とラテン系の語彙の関係は、ひょっとすると、日本語における大和言葉と漢語との関係に似ているのかもしれません。話は変わりますが、 英語やドイツ語の祖先であるゲルマン語と、フランス語やイタリア語やスペイン語の祖先であるラテン語は別の言語ですが、まったく別の言語というわけではありません。比較言語学の成果によれば、いまから6000年~9000年前に、現在のインドからヨーロッパにかけての大半の言語の祖先となった「インド=ヨーロッパ祖語」という言語が存在したとされます。その存在の直接の証拠はありませんが(文字が生まれる前の先史時代のため)、その存在を仮定しなければ、様々な言語の共通性を説明できないのです。 これまた有名な話ですが、このインド=ヨーロッパ祖語から日本語にも受け継がれている言葉、それゆえ、日本語と英語などが共有している言葉が存在するとされています。 一つが日本語の「旦那」と、「与える」を意味するヨーロッパ系の語のdonです。「旦那」とは、もともと、donor card(ドナーカード)のdonor(与える人)と同じ意味だったというのです。もう一つが「名前」とnameやnatureの「な」です。何千年もの時を経て、同じ起源の言葉が、世界の西の端でも、東の端でも用いられているというのは、何かとても深い感慨を覚えさせるものです。 |
2. | ↑ | この「pre/fix」「suf/fix」の、preとsuf(←sub)も接頭辞です。preの主要な意味は「時間的に前・先」、subの主要な意味は「下」です。今回の場合、語の先頭が「先にくるもの」として「pre」で表され、語の末尾が「下」に続くものとして「sub」で表されているわけです |