目次
0、はじめに
本ノートは私なりに自己意識について問うための覚書の集積である。その問いは主に自己意識の生成、構造、帰結に関わる。いまだ順序だった叙述には成型しえていない断片に過ぎないが、いくつかの(少なくとも私にとっては)基本的なアイディアを提示できていると思われる。
1、デカルト的懐疑の構造
デカルトはその懐疑を通じて「私が考えている」という自己意識を哲学の絶対的出発点たらしめた。だが、重要なことは、デカルトは懐疑によって自己意識(の不可疑性)に到達したというのみならず、自己意識の構造によってのみデカルトの懐疑がそもそも可能になっていることである。
デカルト的懐疑の一般的構造は以下のように記述できるように思われるのである。すなわち、何かが見えているが、これは現実にあるのではなく、「私」に見えているだけなのかもしれない。ここで「私」へと自己参照すること、すなわち、「自己意識」が前提されている。
デカルトの懐疑を彩る舞台装置、すなわち、「錯覚」「狂人」「夢」「欺く神」は、先の懐疑の一般的構造の後段、「「私」に見えているだけかもしれない」という点に説得力を与えるための小道具にすぎず、そこには本質的なものは何もないように思われる。というのも、私たちは自己意識を持っているというだけで常に「「私」に見えているだけかもしれない」「私にそう思えているだけかもしれない」「私がそう考えているだけかもしれない」と疑えるのだから。
そしてデカルト的懐疑の終着点は、もちろん、「それは「私」に見えているだけかもしれない」「私がそう考えているだけかもしれない」といくら疑うにせよ、そこで「見ている」あるいは「考えている」「私」は「ある」ということである。
自己意識を前提とするとき、常に以上のデカルト的道筋が妥当なものとして立ち現れる。懐疑が自己意識を析出するのではなく、自己意識が懐疑を可能ならしめるのであり、自己意識が存在しないときにはデカルト的懐疑も、というより、そもそも懐疑一般、問うこと一般が存在しない。
というのは、のちに論じることだが、自己意識だけが主観と客観との区別そのものを可能ならしめ、そうすることで客観的でないもの、現実にそぐわないもの、すなわち、「偽」なるものの可能性を初めて開くからである。
2、なぜデカルトは狂人ではないのか?
狂人とは「自分は狂人ではないか」と言えない人である。というのも、狂人とは自分の主観的パースペクティブが何かそれにそぐわないものと衝突するという可能性を持っていない人、あるいはその可能性を持っているとしても、その衝突において自分のパースペクティブを優先させてしまう人だからである。
自分は狂人ではないかと言える人は、自分の主観的パースペクティブが歪んでいるのかもしれないと思うことのできる人であり、何かそれにそぐわないもの、例えば自分の想定と対立する現実や他者の意見に衝突することができ、またその衝突において自分の側を否定できる人である。
かくして自分は狂人かもしれないと疑っているデカルトは狂人ではない。デカルトは自らの主観的パースペクティブが歪んでいる可能性を知っているし、それどころか、そのいわゆる方法的懐疑の道の上では、ただそのことしか知らないのである。
このこと、つまり、自らの主観的パースペクティブを何かに衝突させることができ、またその衝突において自らを相対化することができること、それが「客観性」という視点を持っているということの意味である。
3、なぜ自己意識が一切の客観性の前提なのか
さて、「自分は狂人かもしれない」(本稿第2項)と考えることは「「私」に見えているだけではないか」(第1項)の一バリエーションであり、結局、自己参照の可能性に依存している。
だから、「自分は狂人かもしれない」と言い得ることに見出された客観性も自己意識によって可能にされているということができる。
実際、意識に自己参照性がなかったとすれば、そこでは現に現れているもの以外のものをまったく想定できない以上、自己意識によって可能になる「主観/客観」の区別をいわば事後的に適用するならば、それは一種の「主観 = 客観」としかいいようがない。
「「私」に現れているだけだ」という自己参照があってはじめて、単に「私に現れているもの」、つまり「主観」とそれ以上の妥当性を持つもの、つまり「客観」が区別されうるのである。
4、主観・客観・自己意識—西田哲学を問うことへ向けて
この原初的区別が成立した後にことさらに自己意識することの意味を考えてみよう。諸々のものが意識されている、あるいは意識に現れているわけだが、ここで自己意識するとは、これらをことさらに私に関係付け、私への現れとみなすことである。
こうして最初の意識への現れは、自己意識によって、意識と現れとの組として合わせて対象化され、そのことによって自己意識は、これらのいまや意識に相関的なものとして主観的でありうるものを乗り越える—客観性の方向へ。
というのは、このように現れの自己相関性を意識することは、その現れが単に主観的ではないかどうかを検討するための第一歩だからである。自己意識によって現象を意識に相関的なものとして捉えること、可能的に主観的なものと捉えることによって、それが単に主観的なのか、それともそれ以上の客観的妥当性を持つのかを検討することが初めて可能になる。だから、自己意識は客観化の前提なのである。
こうして、この自己意識する道筋の無限遠点には再び「主観 = 客観」の一致が幻視的に想定されうるだろうが、以上の運動、自己意識以前の「(純粋経験的な)主観=客観」が自己意識によって破られるが、ただ表立って自己意識すること、メタ化することの運動の極点に再び「主観 = 客観」を想定できるということは、西田哲学の構造について何か重大な示唆を与えているように思われる。
この構造、つまり、素朴な主客未分の純粋経験が思惟の契機によって主客の分裂を孕むようになりつつも、最後にはより高次の主客一致が到達されるという構造自身は『善の研究』ですでに素描されている。
以上の過程において、その都度最もメタレベルにある自己意識は対象化できず、その意味で無であり、西田が「自ら無にして自己の中に自己を映す」「見るもの」と呼んだものであって、そこで一切が成立するがそれ自身は無である「絶対無の場所」の原型であるといっていいだろう。ただ、私にはまだ西田哲学の構造そのものはよくわかっていない。今後の研究課題である。
5、主観・客観・自己意識の関係の分析に向けて
この三者の関係をもう少し分析してみたい。まず意識と自己意識はいかに定義されるのか。私たちは、そこに何がしかが現れており、その意味で世界についての独自のパースペクティブが成立している時、それを意識と呼ぶのだが、それに加えて、この現れが現れの場そのものを含みこむ時、現れの中で一切が現れている場所そのものが指示され参照される時、私たちは自己意識について語る。
だが、私はまだこのように自己意識が成立することがいかなる事態であるのかををどう表象するべきなのか、それはどのようなことなのかまだよく分からない。それは現れの場が自らを含むようになるとも言えるし(西田風の「自己限定」?)、現れの場1を自らの内に含むような高次の現れの場2が成立することとも言えるし、現れの場から伸びる視線が現れの場そのものへと折れ帰ることとも言えれば、一切の表象に伴いうる私として現れの場が意識されることで、現れの場たる私へと世界が折りたたまれるとも言える…。
それはそれとして、この意識および自己意識と主観および客観とがいかに結びついているのかを分析してみよう。先に述べたとおり、自己意識なしの意識、自己参照性を欠く意識においては、意識に現に現れているもの以外のものはまったく想定され得ず、その意味で、遡及的な概念の適用を行うなら、それは「主観 = 客観」として、何がしか西田の「純粋経験」のようなものとしてしか語られ得ないだろう。
自己意識が成立することとは、現れているものから現れの場そのものへと意識が向かうことであり、一切の現れているものに伴っているものとして現れの場そのものが意識されることである。そのように見出されるものを名指す言葉が「私」であり、このように「私」が名指される時、自己意識が成立している。
そして「私に見えているだけのもの」が「主観的なもの」を定義している以上、こうして「主観」なるものが初めてそれとして理解されると同時に、その反対物として「客観(的なもの)」も初めてそれとして理解される。さて、この「私」が一切の表象に伴う限りで、私たちは「一切が私に現れているだけなのではないか」と考えることができるし、そうしたとすればカント的な現象と物自体の区別が成立するだろう。
注意するべきは、物自体なるものはこのような極限的な自己参照の結果としてのみ生じうるのであり、ある意味ではそのように一切を自己に相関化させる自己意識は物自体に触れているということである。いや、もっと正確に言えば、そのような自己意識は全現象を超えており、この「超え」が物自体として名指されるのである。
物自体とは意識の外であるが、意識の外など存在せず、ただあるのは意識が自己自身を超えるということだけである。このことを西田は「いわゆる意識の内外というのは、限定する方面と、限定せられる方面との対立にすぎない」と述べている。
だが、このように全てを私への現れとして相対化することに対応する極限的な「主観 = 現象」「客観 = 物自体」の区別よりも重要なのは、もっと具体的で経験的な主観と客観の区別だろう。
すなわち、私たちは「一切が私に現れているだけなのではないか」と考えうるのみならず、おそらくはそのような私の成立に基づいて、個別的な仕方で「これは私に現れているだけなのではないか」と考えることができるのであって、これが極めて重要である。
こう定式化したい。意識のみの段階では「主観 = 客観」しかない。自己意識の原初的成立は「主観」と「客観」との区別の可能性を与える。自己意識の極限的遂行はカント風の「主観 = 現象」と「客観 = 物自体」の区別に行き着くが、その手前で、個別的な自己意識が日常的な意味での「主観」と「客観」の区別を成立させる。
すなわち、私たちは私たちに現れているもの、もっとも広い意味での私たちの思いや考えが現実や他者と衝突するなかで、それを「私にそう見えていただけ」「私がそう思っているだけ」として単に「主観的なもの」(典型的には価値観や感情)として相対化するのであり、他方でこのような衝突を被らないものが「客観的なもの」(典型的には物理的なもの)として残存するのである。
もちろん、カント的な区別にとってはこの客観はせいぜい共同主観的なものに過ぎない。一つ言い添えておけば、現れの場としての私がこの身体に属していると考えられる限りで、主観的とみなされれる価値観やら感情やらは私の身体に内在する「心」の中にあると考えられるようになる。
6、自己意識の起源—フロイト自我論をどう読むか
私たちは以上で自己意識の基本的構造が「この有るものは私に見えているだけなのではないか」という「不安-懐疑」に表現されているとみなしてきたといえるだろう。
私たちは、人がこのような不安によって自己意識する、そして自己意識することで懐疑すると言うことができる。だが他方で私たちは、自己意識することは「そうだと思っていたように現実がなっていない」という現実的失敗体験、つまり広く言って「見えているものがそう見えているようにはなかった」という失敗体験に由来するという考え方を知っている。
例えば、道具論におけるハイデガーにもそのような発想を見ることができるのかもしれない。だが、この二つの見方はどちらが根源的なのだろうか。思うに、まず現実的失敗体験がなければ、その失敗を見越して不安に思うことも不可能である。
つまり、失敗体験が原初的なのだが、かつて発表したフロイトの自我論の読解で明らかにした通り、私の基本的観点はフロイトの自我論にこの原初的失敗、自己意識をそもそも可能ならしめた失敗を読み出すことである。
それは幼児の幻覚的満足の試みが決定的に失敗することであり、それは「ある」と思っていたものが「見えている」だけであり、「ない」ことが初めて知られた経験であって、そうして「見ている」ものとしての「私」の立ち上がり、「自己参照 = 自己意識」の成立が起きる、あるいは少なくとも準備される経験である。
これは排除し得ない不快な(欲動)刺激の殺到に「不安」を見出すフロイトにとっては根源的な「不安」の経験なのだが、そこでこそ、「見ている」ものとしての「私」、そしてその「見え」に還元できない、満足を与えてくれる「対象」、つまり、主観と区別された客観的な「現実」が初めて生成するのである。だから、それは人間的で間主観的な「世界」を基礎付ける不安である。
私たちの読解にとって決定的なのは、フロイトがこの出来事を自己意識の成立の出来事として明示的には語っていないにせよ、フロイトがここから「現実検証」が始まるとしている点である。「現実検証」は見えているものが現実そのものではないことがあり得ること、見えているものと現実との区別を前提とする。
この区別は明らかに見ているものとしての私への参照を必要とするのである。それらは現実にあるのではなく、私が見ているだけなのではないかと疑い続けるデカルトは、「現実」を、そして「現実検証」することを前提としているが、しかし、現実検証が可能であることは無前提のことではないのである。
それにしてもフロイト流の自己意識の生成の議論に関して何が必要な条件なのだろうか。私はかつて「欲動」と「想像力」だとみなしていたが、二つは正確にどのような機能を果たしているのか。
「欲動」は「あるべき」ということを初めて可能にする。「欲動」がなく、知覚だけならば、そこには「ある」しかないだろう。そして「欲動」に幻覚的な満足を可能にする「想像力」を付け加えれば、「あるべき」に加えて「あるはず」が可能になる。
ある原初的な「ない」にぶつかるためには、私たちは「あるはず」を必要とするのか、それとも「あるべき」だけで十分なのだろうか。
7、「規範的なもの」の経験についてのフロイトの見解
「規範」なるものはいかにして成立するのだろうか。規範の作動の前提は第一に規範的な主体の中に自己参照が存在することであり、第二に規範への従属に対して主体を動機づける力が成立していることである。
フロイトの規範理論はこの点を満たしている。すなわち、前項の読解に従えば、殺到する欲動不快が引き起こす原初的な不安の経験において自己参照としての主体が成立すると同時に、欲動を満足させてくれるはずのものとして対象が成立し、不安は欲動不快の経験そのものというより、欲動不快の経験を引き起こす対象喪失への不安となる。
主体は自己参照するものとして自らの行為に合意を与えたり合意を与えなかったりすることが出来るし、規範的なものの力は対象喪失の不安からやってくる。対象の愛を失わないためにひとは規範に従うのである。だからフロイトにとって規範的な審級である超自我は対象喪失の不安にその力の淵源を持ち、その規範内容の最初の源泉は基本的な対象としての親なのである。
8、自己意識の起源を問うことは可能か?
ところで、私はこれまで自己意識の生成について語り、ということは、自己意識の起源を問うてきた。しかし、そんなことは可能なのだろうか。
おそらく、デカルト的な理路からすれば不可能である。というのも、そこでは自己意識こそが懐疑の果てに最初のものとして見出されるからであり、それは何ものにも依存していないからである。デカルトのコギトにおいて身体はもはや存在しないものと想定されているのだ。自己意識はここで一切の原初として起源も生成も持たない。
しかし、私としては自己意識の起源と生成について問いたいし、問う必要があると考えている。とすると、デカルト的な理路を批判することが必要になる。さて、デカルト的な理路の一番の弱点は、やはり結局意識と自己意識がそこにおいて存在し、それゆえおそらくはそこにおいて生成しているだろう「そこ」、つまり、身体との関係に見出されるように思われる。
というのは、デカルト的な懐疑によって見出されるコギトが身体なき存在だとして、そうだとすれば、コギトは宙に浮いた物体的には無である何かでもよかったはずということになり、なぜコギトが事実的に身体に付着しているのかが説明困難になるからである。
それは「たまたま」というしかないだろうが、しかし、あまりに出来すぎた「たまたま」だろう。いま私に開けている世界は広大なのであって、そのほんのほんの一角を占めるにすぎない身体にコギトが付着しているというのは。だから、むしろ、自己意識は身体と本質的な仕方で結びついており、そこにおいてなんらかの仕方で成立すると考えたほうがいいのだ。
これに対して、「たまたま」の論理で粘ろうという向きがあるかもしれない。というのは、実際のところ自己意識と身体との結びつきは、例えば、10個の自己意識があって、それが全て身体と結びついている以上は、その結びつきは「たまたま」ではありえないと議論できるような代物ではないからだ。
というのも、他者の自己意識は確証できない以上、自己意識は世界に一つしかないからである。これを考慮すれば確かに自己意識と身体との結びつきを稀有な「たまたま」だと言い張ることも可能なのである。だから、私たちとしては「そのたまたまは世界の広大さと身体の小ささを考慮すると出来すぎている」ということしか出来ないのである。
9、自己意識と「否定性」
ところでヘーゲルは自己意識の根本的性格を「否定性」として特徴づけている。ヘーゲルの把握するところ、自己意識とは対象に向かう視線が「反射(Reflexion)」して、自己にもどってくることとして「反省(Reflexion)」だが、ここには「否定」という作用が含まれている。
というのも、それは「対象」への没入から反射を通じて「我に帰る」こととして、対象に距離を取り、ある意味ではそれを否定すること、少なくとも否定可能にすることであり、他方で、「自己」そのものが見られ対象化され意識されることとして、所与の「自己」に距離を取り、ある意味ではそれを否定すること、少なくとも否定可能にすることだからである。
まとめて言えば、自己意識することとは「対象」と「自己」とのカップリング、「対象(あるいはある種の思想、前提、先入見、イデオロギー…)」とそれに没入し、それとの関係において定義される所与の「自己」から距離を取り、それを否定可能にすることなのである。
10、自己意識と否定性の二つの動向—「閉じること」と「開くこと」
ところで極めて興味深いのは、このように規定される「自己意識 = 否定性」の運動が二つの正反対の可能性を内に秘めているように見えることである。
つまり、一方ではそれは意識が絶えず対象から反射して自らへ帰ることとして、自己の内へ内へと「閉じること」であるようにも思われるけれども、他方では狭いところに凝り固まった所与の自己を相対化することとして、自己を外へと「開くこと」であるようにも思われるのである。
ここで一つの運動が二つの全く異なる動向を持っているように思われるのだが、これはどういうことだろうか。これをどう捉えればいいのか。これは二つの同時に成立する可能性なのだろうか。だとすればその分岐を何が規定しているのか。
これらの問いはひとまず措くとして、以上のことと何がしか似たようなことを述べているのが京都学派の流れを汲む哲学者の上田閑照である。その『「私」とは何か』によれば、「私」とは「私は、私でなくして、私である」という構造を持っている。
ここから「私ではなくして」が抜けてしまうと、「私は私である」となると自己に閉じていく自己中心主義、自己固執となるのだが、これを上田は西洋哲学が陥りがちな傾向とみなす。上田がよく言及しているのがデカルトである。
他方で、「私でなくして」が一面的に強調されると自己喪失に陥る。上田はこの「私でなくして」を東洋哲学、主に西田と仏教を通じて考えているのだが、西洋哲学が自己固執の病に陥りがちであるのと同様、東洋哲学もその「無我」の一面的強調は自己喪失の病への傾きを持っているとされる。
上田の考える正しい自己のあり方とは両者の総合、先に提示した「私は、私でなくして、私である」であり、ここで始めの「私」は二句目で一度「私」を失いつつ、再び三句目で「私」として創造的に復活するのである。
さて、この考え方は私にはそれなりに納得できるのだが、問題は「私は、私でなくして、私である」の定式が天下り的に与えられており、そのような二重性を可能にする根本的構造が洞察されておらず、したがって、病と健康とを分ける分岐点が問われていないこと、そもそも問われ得ないことである。だが、私たちにとってはまさにこの点が問題なのである。
11、二つの「知と愛」
この節のもとで述べたいことは沢山あるのだが、今回はその概要だけにしておこう。一つ目の「知と愛」とはヘッセの『知と愛』(原題は『ナルシスとゴルトムント』)であり、そこでは明らかに「知と愛」が対立するものとして描かれている。
思うに、ここで「知」が「愛」と対立せざるを得ない必然性は、前節でみた自己意識(=知)の閉じる動向からして把握できる。自己意識は一方で世界を否定して自己へと閉じこもる運動であり、ここでは他なるものとの関係は否定するか否定されるか、つまり、支配か非支配かである。ここで決定的に重要なのが、やはりドストエフスキーの『地下室の手記』であり、またこの構造の理論化としてはサルトル流の他者論を援用できるかもしれない。
さて、もう一つの「知と愛」とは、もちろん(?)、『善の研究』の最終章としての「知と愛」である。そこでの西田によれば、知と愛はどちらも自己を否定して対象へと徹することとして、「知は愛であり、愛は知である」というような関係性を形成する。
これをおそらく自己意識の「開く」動向に対応するものとして読むことができるだろう。ところで興味深いのは、西田の「絶対無の場所」は、一方で、言うところの「超越的述語面」として、つまり、一切がそこで対象化されるがゆえに、決して対象化されえないものとして、いわば意識の奥の奥であるように思われると同時に、有名な「我と汝」論文や歴史や実践に重きをおいた後期では、むしろ、諸個体を否定することで相互に結びつける媒介的作用となっていることである。
つまり、西田には閉じそうな方向と開きそうな方向が併存している。この二つの見方の併存を読み解くことを通じて、私たちは前節で提示した問いにアプローチすることができるかもしれない。