岡田斗司夫『オタク学入門』超簡易要約

 本書は1996年に出版されたもので、私が持っているのは2008年に出た新潮文庫版である。2008年といえば同著者の『オタクはすでに死んでいる』が出た年で、本書のあとがきでも、著者はそれこそいわば「オタクの浸透と拡散」について肩の力を抜いた形で語っている。

 「肩の力を抜いた」というのは、1996年に書かれた本編が、著者自身が併録されている富野由悠季との対談で認めている通り(p379)、オタクが過剰に非難されていたころに書かれ、それに抗する形で非常に「肩に力の入った」オタク肯定論になっているからだ。

 この本に関しては、内容的には勉強になるし、教養を大事にするところ1)今の世の中、かつて教養と呼ばれたものはもうなくなってしまった。それがなくなった現代、アニメなど、本来は学術的な分野ではないことでも、「教養的」な価値観をもって探求することで、ある高みまで到達できるのではないだろうか。(p387)は共感するが、どうも自分には読んでいてもピンとこないところも多いため、本当にごくごく簡単に要約しておく。

 ピンとこないというのは、この本の肯定的トーンのためにオタクの「屈折」があまり語られていないからかもしれない。一般に岡田のオタク論は、まずは「これが好きだ」という主体的決定があって、その対象が世間で白い目で見られる子どもっぽい文化であるために、オタクは「屈折」し、強い意志と知性で理論武装に励みながら趣味を貫くようになるという、屈折より先に意志を持ってくる議論なのであり、ここに竹熊健太郎のオタク論との決定的な差異がある。

内容要約

 オタクは高度情報社会に適応した進化した視覚を持つものであり、ある仕方で日本文化の正統後継者である。

 すなわち、オタクとは江戸の町人文化を後継するような仕方で、粋の目、匠の目、通の目を持って作品に対する者である。

 粋は作品に自分なりに美を見出す鑑定士の作法であり、匠は知的に作品の構造を捉え、その技を評価する職人の目である。最後に通は事情通の通であり、作品の背景にある諸々を知ることで、作品を社会的・歴史的文脈に位置付けていく。

 このような高度な知的技法の集積としてオタクは存在しているのであって、それはある種の教養として、「学」として成立しうるのだ。

 メモ:オタクは世代ごとにホームポジションが違う。昭和30年代生まれは特撮、40年代生まれはアニメ、50年代なら模型・ガンプラ・ミニ四駆、60年代はやはりゲーム。

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「おたく文化論」研究

References   [ + ]

1. 今の世の中、かつて教養と呼ばれたものはもうなくなってしまった。それがなくなった現代、アニメなど、本来は学術的な分野ではないことでも、「教養的」な価値観をもって探求することで、ある高みまで到達できるのではないだろうか。(p387)
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