森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』要約

 秋葉原のオタク街化の背景を解き明かす本書は、2003年に出版されたものだ。私はそれを高校時代に図書館で読んだ記憶がある。

 私は中学3年生だった2001年ごろから高校2年生だった2004年ごろまで、かなり熱心に秋葉原に通っていたため、この本は非常にアクチュアルなものだった。

 今回の再読も、当時のことが思い出され、とても楽しい経験だった。以下、自分にとって記録となるように、本書内容を要約しておこう。

本書の要約

本書の主張の概要―「趣都の誕生」

 本書は、2004-5年の『電車男』等を経た現在では常識となっているものの、当時はまだ目新しい事象であった、秋葉原のオタク街化―簡単にいえば、秋葉原が美少女イラストで埋め尽くされるようになったこと―についての包括的な論考である。

 著者はこの出来事を、タイトル通り、『趣都の誕生』として位置づける。60年代の西新宿のような「官」主導の都市開発、80年代の渋谷や池袋のような鉄道系大資本による「民」主導の都市開発にとってかわるように、秋葉原では「趣味」ないし「人格の偏在」を理由とする「個」主導の都市形成が起きているのだ、と。

 著者によれば、現在の秋葉原の風景は、オタクという「趣味」、それと結びついたある特定の傾向をもった「人格」が、秋葉原に「偏在」したことの帰結であり、オタクたちの趣味丸出しの「個室」がそのまま都市風景となった結果なのであって、それは、著者曰く、「官」や「民」によって主導される「開発」とは全く異なる―まさに「趣都」の誕生なのである。

オタクと秋葉原の〈未来〉の喪失

 では、なぜ、この「秋葉原」という場所に、「オタク」という人々が偏在し、「萌える都市」が誕生することになったのか。著者はそれを「秋葉原」と「オタク」のそれぞれが抱えた〈未来〉の喪失の重なり合いの結果として説明する。

 秋葉原の〈未来〉の喪失とは何か。秋葉原は戦争直後、近くに現在の東京電機大学があったためにラジオ部品の闇市が栄えたことを発端に、一時期は全国の十分の一の電化製品を売る日本最大の電気街へと成長した。

 しかし、家電製品が輝かしい〈未来〉をもたらすものとしての地位を失い、それを買うことが特別な遠出の理由にならなくなっていくなかで、秋葉原電気街は、80年代末以降は郊外にできはじめた大型量販店に売り上げを奪われていく。

 家電製品が可能にすると感じられた輝かしい〈未来〉が喪失されることで、秋葉原も電気街としての地位を失ったのである。

 他方のオタクの喪失とは何か。著者によれば、輝かしい〈未来〉の喪失、70年代ごろに起きたとされる科学と技術がもたらす輝かしい〈未来〉というビジョンの喪失にもっとも影響を受けた人々がオタクである。

 オタクは、著者の把握するところ、上位の文化的権威に自らが染まるのではなく、それを自己にとりこみ、逆にそれを換骨奪胎して自分色に染めてしまうという「内向的」な人々である(逆に上位の文化的権威に染まるのが「外向的」な人々ということになる)。

 そのような存在として、(少なくとも初期の)オタクたちは本来、科学や技術を志し、輝かしい〈未来〉を担うような人々であった1)オタク文化においてSFが先行していたことを森川は考えているのかもしれない。。だからこそ、〈未来〉の喪失の影響は彼らにはとりわけ大きく、オタクたちはその喪失を虚構―特撮・マンガ・アニメ―によって代償しなければならなかったというのだ。

オタクとコンピュータの「下方志向性」

 では、秋葉原が輝かしい〈未来〉をつくりだす家電の街としての地位を失うこと、オタクが〈未来〉を失い、虚構によってその〈未来〉を代償すること、この二つの喪失を媒介するものは何か。それは著者によると「コンピュータ」である。

 秋葉原は家電を買う家族連れを顧客として失うことで、マニア向けのオーディオやコンピュータに特化せざるを得なくなった。そうすることで、結果としてコンピュータを好むオタクたちがそこに集まってきていたのだ。

 では、なぜ、オタクはコンピュータと親和性が高いのか。先に見たように著者がオタクについて想定している「技術」や「科学」との親和性、いわば「理系」性からすれば、そもそも説明不要なのかもしれないが、ここで著者が提供している説明と見なしうるのは、コンピュータという技術の「下方志向性」である。

 すなわち、コンピュータ、ここではパーソナル・コンピュータ(PC)のことだが、それはそもそもの出自からして反体制的・ヒッピー的であり、中央集権的な権力、上位の権威を引きずり下そうとする志向と結びついている。

 この点は、たとえば、オーウェルの『1984年』をもじったマッキントッシュ発売時のCMと、それを紹介するジョブズのプレゼンからも明らかだろう。

 そして、オタクは、このような「下方志向性」と親和性をもつ「内向的」な人々なのだった。そもそもオタク文化、その中心にあるアニメにしても、著者によれば、「上位」に位置するアメリカ文化たるディズニーに、それが徹底して排除した「性」と「暴力」を再注入し、自らの支配下に置こうとする手塚治虫の志向から生まれたのである。

 さて、こうしてオタクは、自らと「下方志向性」を共有するコンピュータを好み、それ自体が上位文化たるアメリカの象徴であるコンピュータを、自らの色に染め上げる。ここでの著者の描写には異様に力がこもっている(ように見える)。

英語の暗号のような文字列しか受け付けない当時のコンピュータの画面に、初めてアニメ絵の美少女を登場させた時、彼ら(=オタクたち)はコンピュータという先端技術の結晶と世界標準たるアメリカのシステム(=ウィンドウズ)を、自分の趣味の表現に服従させた征服感に打ち震えたに違いない。(p122、()内は引用者による補足)

エヴァンゲリオン・ブームからの「趣都の誕生」

 こういうわけで、理系的であるオタクたちはコンピュータととりわけて近しい関係にあり、90年代のコンピュータに特化した秋葉原にはオタクたちが集まってきていた。

 そして、97年、エヴァンゲリオン・ブームの後で、ガレージキット専門店である海洋堂が渋谷から秋葉原に移転してくる。その店は秋葉原に集っていたオタクたちの支持によって成功を収め、それをきっかけに多数のオタク向けショップが秋葉原に進出する。

 こうして秋葉原の街の風景は、著者の旧ラジオ会館のテナントについての調査が明らかにしているように、一気に塗り替えられていき、アニメや美少女ゲームの広告やポスターに覆い尽くされた「萌える都市」、秋葉原が誕生したのである。

秋葉原の都市風景と「建築」の運命

 ところで、秋葉原の建物を観察してみると、窓が少なく、あったとしてもポスターや商品の箱などで覆われてしまっている。そして、店内も、所狭しと、時には雑然ともいうべき仕方で、商品が並んでいることが多い。

 これは典型的なオタクの部屋の特徴でもある。少々戯画化して述べれば、壁や天井はアニメ絵のポスターで覆われ、多すぎる物が乱雑に積み重なって、ついには窓からの光の道筋まで遮ってしまい、部屋全体が薄暗い…。秋葉原はオタクの「趣都」として、オタクの個室がそのまま都市空間となってしまった場所なのである。

 著者は、虚構へと、あるいは、ディスプレイに映る情報へと関心を集中するがゆえに、空間に無頓着なオタクたちの秋葉原のあり方を、渋谷の風景と比較する。

 渋谷は80年代に「民」の主導で開発されたオシャレな若者の街であり、著者によれば、そこに集う人々は「外向的」な、上位のアメリカ的な文化に染まっていく人々なのである。

 そこでは外向性の帰結として、消費は自己演出であり、したがって、そこでの建物はガラス張り化していく傾向がある。渋谷の窓は、秋葉原の窓の小ささに比して、非常に大きいのである。

 以上のことを別様にとらえかえすと、オタクの部屋や都市にあっては、建造物は単に人や物を収容するという「シェルター」機能に還元されて、そのものとしては重視されず、そこに貼られたポスターや、そこに配置されたディスプレイに表示される内容に関心が集中しているとも見ることができる。

 この事態は「建築の運命」と深く関わっている。というのも、建築とは、「シェルター」機能を持つ建物に、何らかの価値―宗教的な信条、国家の威信等々―を「表象」する機能を合わせたもの—つまり、オタクにおいて分離されているものの統合体—だからである。

 このようなものとしての建築は、建築物は建造に多くの資金や労力が必要な代わりに耐用年数が長いという性質上、広く社会的に共有され、長期間にわたって支持され続ける「価値」を前提とする。そうでなければ建築によって表象するのはコストが見合わない。これが建築の中の建築が「宗教的な建築」である理由である。

 ところが、資本主義はそのようなあらゆる長期的な価値を相対化していく運動である。それゆえ、もう一度「喪失」に話を戻すならば、とうとう70年代に科学や技術が実現する輝かしい〈未来〉という(最後の?)共通の信念が失われた後では、もはや建築は可能ではないのだ。

 現在では、シェルター機能と価値の表象機能を統合する「建築」なるものはコストに見合わず、建造物はシェルター機能へと還元され、そのうえで、ポスターや各種ディスプレイがその時々の、いまや必然的に移ろいやすいものである価値の表象を行うのが合理的なのである

 この変化は、著者によれば、大阪万博における「太陽の塔 = 表象機能」と「お祭り広場 = シェルター機能」の分離によって予見され、「オタクの連合赤軍」とも呼ばれたオウム真理教の、表象機能を捨て切ったプレハブ小屋のごとき拠点、そのいわゆる「サティアン」に極まる。

 こうして、著者によれば、趣都たる秋葉原の風景は、「建築の運命」をも、ある仕方で表現していたのである。

「おたく文化論」研究ページへのリンク

「おたく文化論」研究

References   [ + ]

1. オタク文化においてSFが先行していたことを森川は考えているのかもしれない。
Scroll Up