竹熊健太郎『私とハルマゲドン』簡易要約

 本書は1995年、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の直後に書かれた原稿が基礎になったもので、私が持っている「ちくま文庫」版の裏の紹介曰く、「オタク文化論の決定版」である。内容は、実際、この大げさな表現が誇張ではないことを教えてくれる(と私は思う)。

 1960年生まれとして、いわゆる「オタク第一世代」のど真ん中である著者の竹熊健太郎が、自らがオタクになった経緯を語り、そこに孕まれている「オウム真理教」とも通底する心理―いわば、オタクの「内的論理」―を明らかにする筆致は、終始冴え渡っており、著者の26年あとに生まれた「オタク」である自分にとっても、とても共感できる―いや、それを超えてある程度は「射抜かれた」という感覚すら覚えさせるものだ。

 その射抜く力は、著者のオタク論が、オタクにとどまらず、むしろ、著者の言葉を借りるなら—それこそ数多の文学作品で扱われてきた—「屈折したインテリ」論として一般性を持っているためでもあるだろう。実際、著者にとって、オタクとはまずもって「屈折したインテリ」なのである。

 以下では、この「オタク・屈折したインテリ・オウム」の内的論理についての著者の叙述を要約しておこう

本書の要約:オタクの「内的論理」

 1960年代生まれは、オタクの第一世代と呼ばれる。著者も、オウム真理教の幹部たちも、この時期に生まれている。

 この世代を特徴づけているのは、著者曰く、「(明るい)ニヒリズム」だ。

 すなわち、60年代に青春を生きた一つ上の世代の多くにとっては、貧しさが現実的な経験として存在したため、豊かさは相対化しえない価値として渇望された。

 それに対して、青春期がすでに高度成長を通過した70年代であった60年前後生まれの世代にとっては、豊かさは既定事実として渇望の対象ではもはやなく、彼らを社会(的価値)に繋留しつづける「枷」は、いまや存在しない。

 そこに孕まれているのは、豊かさの帰結として「明るい」が、やはり一切の価値を相対化するものとして「ニヒリズム」である。

 さて、とはいっても、この世代の誰もがニヒリストであったわけではない。とりわけてニヒリズムへの傾向を持つのは「インテリ」たちである。

 彼らは、その「持て余し気味の」知性によって、「家族・学校・社会」を始めとして、ありとあらゆるものについて、そこに存在する矛盾や不条理をすぐに見抜いてしまう。そして、それらを無価値とみなして相対化するのだ。

 例えば著者は自分の中学生時代を振り返る中で、「青春とは嘘であり、悪である」という近年の有名ライトノベルの冒頭を正確に思い出させるような筆致で、以下のように述べている。

冗談ではない。おれはそういう青春的な状況が大嫌いなのだ。通俗青春ドラマでは、よく大喧嘩した後にライバル同士がニッコリと笑い、「なかなかやるな!」「おまえもな!」なんて仲直りするようなシーンが出てくるが、おれはああいったものを見ると、あまりの恥かしさに叫びだしたくなってしまう。(…)おれを含めたこの手のいじめられっ子は、空虚な理念にすぎぬものを絶対視して陶酔する行為が嫌いなのである。“男の友情”などと称して互いに束縛しあうことを良しとするような行為がである。(p41-42)

 もちろん、このようにとある集団の多数が奉じる理念、今回でいえば、学生の多数が奉じる「青春」や「男の友情」を否定するなら、その集団内での孤立は必至である。それらの理念の共有がコミュニケーションの前提なのだから。

 そして、それゆえに引用文中で言われているように、そんな子は「いじめられっ子」になりやすい。このようないじめの場合には、いじめられっ子がまず周囲を暗に否定し、それに応ずる仕方で周囲がいじめられっ子を否定して(いじめて)、それがさらにいじめられっ子の周囲に対する否定を強めるという、否定のインフレスパイラルが発生しているのだ。

 さて、「屈折したインテリ」―著者によれば、「オタク」はその一種である―と「社会」との対立の背景にあるのも同様の論理だ。

 「インテリ」は、その「持て余し気味の」知性により、社会を馬鹿馬鹿しいものとみなす。70年代には、人を社会に繋縛する貧しさの逼迫は存在しないのだ。

 こうして「インテリ」は社会を否定して大衆(「一般人」)を見下すわけだが、そのような態度をとっていては、人間関係により成立する実社会を渡っていくことなどできはしない。そこでは知性などなんの役にも立たない。

 「インテリ」は、このことをご自慢の知性で見越して尻込みする。社会に出ていき、そこで失敗してしまうこと、それは自分が見下している「一般人にバカにされる」という恐怖を現実化することなのだ。

 さて、このような否定のインフレスパイラルのなかで社会から撤退する「インテリ」たちが、社会から完全に解脱しているなら、ある意味で問題はない。だが、人間にそんなことは不可能だ。

 「インテリ」が、一般人を見下すと同時に恐れて、社会から撤退しているのを尻目に、インテリからすれば社会に疑問を持たない馬鹿な一般人が、どんどんと社会的な成功を手にしていくわけだ。それを羨まないわけにはいかない。

 こうして、一般人・他者・社会を一方では居丈高に見下しつつ、他方でどこか羨まずにもいられないインテリ、これまで無数の文学作品に主人公を提供してきた、「まっすぐ」ではない「屈折した」インテリが生まれるのである。

 このインテリは、社会の標準的な生き方を否定しており、その中で何者かになることを否定する。彼らは何者にもなりたくなりのであり、実際に何もせずに現実にぶち当たらない限りで、彼らのプライドだけが肥大していくのである。そして、そのようにいつまでも大人にならない永遠のこども—「オタク」—を許容してしまうのが、豊かな社会なのだ。

 さて、こうしたインテリたちは、そういうわけで、ある種のニヒリズムにより、あらゆる社会的なもの、つまり、一切の生産的なものを無価値とみなすが、他方で同時に社会に十全に住む人々への羨望をも持たざるを得ない。そして、このような矛盾した条件にいつまでも耐えられはしない。

 ここで取りうる選択肢は、著者曰く、それこそ夏目漱石による『行人』の「死か宗教か発狂か」という選択肢を思い出させる仕方で、以下のようなものとなる。

一 思考を停止して、社会を受け入れる。
二 自殺する。
三 社会とは別の価値観に逃避する。
四 社会とは別の価値観を確立し、実社会を変革する(いわゆる革命)。
五 別の価値観を受け入れて、社会とともに無理心中する(二の変形、いわゆるファシズム)。
六 思考を停止せず、価値を相対化して複数の社会を渡り歩く。

 いわゆる「オタク」は三であり、オウム(麻原)は三から四に移行して五に至った最悪のパターンだと思う。(p96)

 つまり、高踏的なポジションを捨てて社会に再適応するか(一)、矛盾に耐えきれずに自壊するか(二)、高踏的なポジションをなんとか保つために他の価値を構築するか(三四五)が基本的な選択肢となる。

 オタクは、生産的な大人社会に対するアンチとして、「子供っぽい」非生産的な「虚構」に没頭し、それを他なる価値として仮構するわけだ。それは確かに「馬鹿げた」行為だが、オタクはそれを他者に指摘される前に自ら認めることで、他者からのあらゆる攻撃を無効とするのである。

 「僕ってビョーキでしょ」というわけで、オタクたちは、社会に対するに、より「高い」ものではなく、より「低い」ものを持ってくることで、自らを社会から攻撃され得ない位置に置くというわけである。

 初期のオタクとは、少なくとも著者によれば、このような「屈折したインテリ」の生存戦略だったのだ。

 最後に言い添えておくとすれば、著者が進めているのは六であり、それは「旅人の論理」とも呼ばれる。社会から逃避して他の価値に凝り固まるのではなく、自分を旅人として認識して、いつでも旅立てるという留保を確保することによって、社会の価値をはじめ、さまざまな価値をそれなりに受け入れ、渡り歩いていく生き方だ。

 著者は、四や五の革命やファシズムの隘路に対抗するため、そういうあり方を指し示しているのだ。

まとめきれなかったメモ

 著者による麻原のディベート術の分析は興味深い(p100-)。それは自分の弱みを真正面から認め開き直ることにより、議論において他者に対して優位に立つ戦術である。討論相手が「オウム真理教は狂気だ」と思いつつ、そのような直接的な言い方をできない時、先制攻撃的に「自分は狂気だ」と認めて開き直られると、もはや相手は手出しができないのである。

 また、著者によれば(p117)、幹部陣たちは上で述べたような「屈折のインテリ」で「オタク」だったが、麻原はそうであるのに加えて、世代が上で障害を持っていたこともあり、社会に対する「呪い」の度が極めて高かった。だからこそ、麻原は幹部陣たちを動かす起点となり得たというのである。

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