重要接頭辞 2)ab

 「ab」はもともとはラテン語です。英語の「from」にあたるものだと考えましょう。

 「from」がそうであるように、abはもともとは「~から」という「出どころ」を表しましたが、「出どころ」というと、もうすでに出ているわけですから、続いて「分離」を意味するようになり、さらにしばしば「否定」の意味へと発展します。deやdisと似たような運命を辿っているわけです。

接頭辞 ab   

 「出どころ」を表す意味を了解するには、おそらくは知っている人が多いであろう、オーストラリアの先住民「アボリジニ」のことを考えてみるといいでしょう。「アボリジニ」とは「Aborigine」、つまり、「起源(origin1)origin:起源・生まれ。original(オリジナル)は、その形容詞形。オリジナルはもちろん、オリジンも、「オリジン弁当」、「機動戦士ガンダム the origin」など、日本語でもよく聞きます。originalとは、「起源となるもの→独自のもの」という意味で、反対語は、すでにあるものを模倣した「コピー」。)から(ab)」住んでいる人、西洋人の渡来以前からその土地に住んでいた先住民のことなのです。

 「分離・否定」の意味を了解する上で最適なのは、これもおそらくは日本語でも定着している「abnormal」でしょう。

 「normal:ノーマル、普通、通常」から「ab」、つまり、離れてしまっているので、「abnormal」は、「異常な・アブノーマルな」 という否定的な意味になるのです。

 もうひとつ、否定的な意味で重要なのは「abuse」です。これは通常の「使用(use)」から離れているという意味で「悪用・乱用」です。また、「child abuse」となると、子供を悪く扱うこと、つまり、「児童虐待」の意味になります。

 子供といえば、もう一つ関連するのが、「abduct(アブダクト)→abduction(アブダクション)」です。

 「duct/duce」は死ぬほど重要な語根で、「引っ張る→導き出す」といった意味を持っています(deduce、produce、educate…専用ページで扱いましょう)。

 子供を、その子が通常なら本来いるべき場所、つまり、親御さんのもとから「離れた方向へ(ab)」「引っ張る(duct)」わけですから、abductは「誘拐する」という意味になるのです。abductionはその名詞形です。「tion・sion」は典型的な名詞化の接尾辞です。

 最後に、abが作るとってもとっても大事な単語二つを紹介しましょう。それが、absoluteとabstractです。

1、「absolute」:「絶対者」の「孤独」

 absolute(アブソリュート)は、なかなか解説が難しい単語です。「ab」は「分離」、soluteはというと、これは「solve」と関係しています。solはもともと「緩める→解く・溶く」という意味で、solve(ソルブ)は問題を「解く」の意味でよく使われますね。

 「溶かす」「分解する」では、dissolveをよく使います。分離のdisを使うことで、溶けてバラバラになることが強調されているわけです。

 また解決策、あるいはむしろ問題を解決するシステムを、solveの名詞形である「solution(ソリューション)」と呼ぶことは、日本でも一般化しています。

 あるいは、非常に細かいインスタントコーヒーの粉には、非常に溶けやすいということで「ソリュブル(soluble:sol + able2)ableは「されうる」という意味の形容詞を作る語尾です。=溶かすことができる)」といった文字が書かれていたりしますね。

 このsolから派生しているのが、solitary(孤独な)やsolitude(孤独)です。社会的な結びつきから、良くも悪くも「解き」放たれてあること、それが「孤独」ということなのです。

solitude 語源

 この意味でのsolでいえば、「ひとりで」を意味する「ソロ」という言葉は、日本語でも浸透しています。

 absoluteのイメージは、かくして、周囲との関係から解き放たれ、離れて孤独な様子です。その意味は「絶対的」ということです。日本語では「絶」の語に、この解き放たれ離れている有様が表現されています。

 みなさんは「絶対的」の反対語を知っていますか?そう「相対的」です。英語で言うとrelativeですが、これには「親戚」の意味がありますから、こちらは孤独で寂しいイメージとは正反対ですね。

 それぞれの語の意味を確認しておきましょう。「相対的(relative)」とは、「他と比べて」という意味です。例えば、「偏差値」は他の人の成績によって変わってしまいます。だから、それは「相対評価」です。

 それに対して、他と比べず、それ自身で評価するのは「絶対(absolute)評価」と言われます。ただある人の点数の推移だけを見て、それが上がっているか下がっているかを評価するようなものは「絶対評価」です。

 「相対的」なものは他のもの、つまり、周りの状況に左右されますが、「絶対的」なものはそうでありません。だから、「絶対にそうなんだ!」という「絶対」の意味も生まれてくるのです。それは周囲の状況に左右されずに常にということですから。

 さらに「絶対」には、「比べられるものがないほどすごい」という意味も生まれてきます。例えば、「神」は、何も並ぶものがないので、「絶対的」なものの典型です。

 ただ、そのことは、神は徹底的に他から「解き離たれ」ていて、「孤独」である、すなわち、ab-soluteであることも意味します。神は、並ぶものがいないので、誰にも悩みを相談できないのです。

 神自身はひょっとすると悩みなど持っていないかもしれませんが、人間の場合は、以上の理由から、しばしば「トップの孤独」が問題とされるのです。トップは自らに並ぶ者のない存在として、常に一切を抱え込まなければならないという孤独を抱えているのです。

 ところで、よく神はいるのかいないのかと話題になりますが、このことを考えるための出発点は、数学者としても有名な宗教家・哲学者のパスカル3)彼は「パスカルの三角形」で数学の教科書でも登場しています。が書き残した、以下のような断片であるべきです。

 全ての人間は幸福であることを追い求める。人がそこでどんなに様々な手段を用いようとも、このことには例外がない。人は皆この目的を目指す。ある者たちを戦争へと赴かせ、また別のある者たちに戦争を避けさせるのは、この同じ欲望(d?sir)なのである。ただ、この同じ欲望が二種類の人間のうちで相異なる見方に伴われているのである。意志はこの対象に向かってでなければ決してどんな小さな歩みすら為しはしない。これこそ、自殺しようとする人々に至るまで、全ての人間の全ての行動の動機なのである。
 しかしながら、遥か昔から、この全ての人が絶え間なく目指している点に信仰なしでたどり着いたものはいない。全ての人が嘆いている、どんな国の、どんな時代の、どんな年齢の、どんな状況の、王侯も臣下も、貴族も平民も、老人も若者も、強い者も弱い者も、知者も愚者も、健常者も病者も皆。(…)
 もしかつて人間の中に真の幸福が無かったなら、この渇望とこの無力は私たちに対して何を叫び訴えているのだろうか。今や人間にとってはその真の幸福の全く空虚な印と痕跡だけしか残っておらず、人はその空虚な印と痕跡を、自らを取り囲むものなら何でも用いて埋めようと、現在するものからは獲得できない救いを不在のもののうちに探し求めて、無駄な試みをするのである。どんなものもそれを埋めることは出来ない。なぜなら、この無限の深淵は無限で不変の対象によってのみ、つまり、神自身によってのみ、埋められうるからである。

 「信仰なしに幸福になったものはいない」という断定の是非はともかく、人間の欲望が限りないことはしばしば認められていると思われます。しかし、なぜ人間は満足しないのでしょうか。

 どんなものを手に入れても、それは徐々に色あせ、無意味なものへと転落するのでしょうか。

 そんなことが可能なのは、人間がかつてどこかで、それと比べれば一切のものがくだらない、つまり、「全くそれに比べられるものがないもの(=absolute:絶対的なもの)」に触れていたからではないでしょうか。

 神がいるかどうかは別として、この「神の痕跡のようなもの」が人間に刻まれているということ、このことは確かに思われるのです。そうでなければ、人間が満たされない欲望を抱え、結果として、ここまで進歩することもなかったでしょうから。

2、「abstract」:りんごと人間との長い歴史

 最後に、これまた非常に重要な単語、abstract(アブストラクト)を取り扱いましょう。

 abs/tract

 abは「分離」、tractは、これも重要な語根ですが、「引っぱる」という意味です。

 トラクター(tractor)とは、もともと「引っぱる車・牽引車」という意味だったのですし、遊園地のアトラクションは、at/tractionとして、原義としては自分の方「へ(ad=to)」と人の関心を「引き付ける(tract)」ものなのです。

 こういうわけで、abstractとは、もともと「引っ張って離す」、「引き離す」という意味なのです。

 では、現在の意味はどういうものでしょうか?abstractは「抽象的」と訳されます。語源学習の醍醐味の一つは、「抽象的」というような、それ自体「抽象的」な語を「具体的」な動作から捉え直すきっかけをあたえてくれる点です。

 「抽象的」とは、「具体的(concrete)」の反対語です。「具体的」というのが、それこそ文字通りコンクリート(concrete)のように、まさしく「体」を持ち、目に見え、手に触れられるようなモノを指すのに対して、「抽象的」なものとは、具体的な現実から離れた目に見えないものたちを指します。

 では、具体的なものと抽象的なものとの関係とは?それがまさしく「abs/tract:引き離す」ということなのです。

 抽象的と言われるものの典型といえば、「概念」です。これを例にとって考えていきましょう。「具体的」な個々のりんごと、りんごの「概念」はいかに関係しているでしょうか。

 私たちは、りんごの「概念」を持っているからこそ、ある種のものを目にした時、「あ、りんごだ!」と分かります。

 「概念」とは「定義(「りんご」とは〜である)」であり、その定義を通じて、その定義が当てはまるような「個々の具体的なもの」を指示するのです。

 このとき、「概念」がある種の「広がり」を持っていなければならないことが分かるでしょう。ある特定の一つのりんごのみから、りんごの「概念」を作ってしまったら、他のりんごに当てはまらなくなってしまいます。

 りんごはりんごでも、大きさも、味も、色合いも、かなりの幅があるのですから。

 とすれば、正しく「りんごの概念」を作るには、りんごをたくさん見て、それらすべてに「共通するもの」だけを、具体的なりんごたちから、「引っ張り出す」ことが必要になるでしょう。そうしてこそ、それはりんご全てに当てはまる「概念」となるからです。

 こうして具体的な個々のりんごと、抽象的なりんごの概念との関係が明らかになりました。

 りんごの概念は、個々の具体的なりんごから「共通のもの」を「引っぱり-出す(abs/tract)」という操作によって生まれ、そうすることで、個々の具体的なりんごを「含み込み」「指示」します。

 このような「共通のものを引き出して取り出し」「その他の部分は捨てる」という操作こそ、「abstraction:抽象」の操作なのです。

 このことは、抽象という日本語の訳語にも表現されています。「抽出」という言葉から分かる通り、「抽」とは、引き出すという意味なのです。

 さて、こうして生まれた「概念」は、いまや全ての具体的なりんごを、そのうちに「掴み取り、含む」ものとなるのです。

 こんな風に言うのは、もちろん、それが「概念」ということの語源と関係しているからです。「概念:concept」とは、個々の具体的なものを「一緒に・完全に(con)」、つまり、「一気に」「掴み取る(cept/ceive)」ものなのです。

abstraction concept 語源

 「りんご」は適当に出した例でしたが、このテキストはMacを使って書いているため、たまたま簡単に「りんご」マークを出すことができました。

 ところで、このりんごマークはなぜか一口かじられていますね。

 皆さんは、このApple社のロゴマークは、最初は「りんごの木の下に座るニュートン」だったことを知っているでしょうか。すなわち、近代を特徴づける「数学的自然科学」の象徴です。

 そのロゴマークが、「一口かじられたりんごマーク」へと変化するとき、その象徴するものは、「近代自然科学」から、旧約聖書の冒頭、「創世記(Genesis)」における「失楽園(Paradise Lost)」の神話へと変化します。

 すなわち、蛇に誘惑されて「知恵の実」をかじることによって、人類が楽園から追放されたという、ユダヤ-キリスト教の創造神話へと。

 『サピエンス全史』という本があります。2017年の年始にNHKでも特集が組まれたらしく、非常に話題になっているようです。

 著者であるイスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリは、私たち「ホモ・サピエンス」の歴史を三つの重大な革命によって構造化されたものとみなします。

 すなわち、約7万年前に生じ、人間に「抽象的な概念」の使用を可能にした「認知革命(the Cognitive Revolution)」。

 続いて、約1万2000年前に生じ、食料生産を増大させることで人口の増加と分業を可能とした「農業革命(the Agricultural Revolution)」、そして最後に、500年前に始まり、人類の進歩を決定的に加速させた「科学革命(the Scientific Revolution)」。

 まず、認知革命は、人間に単に現にあるものを指示するのではなく、目に見えないもの、ある意味では存在しないものを名指す抽象概念の使用を可能にします。例えば、部族や国や神といったものです。

 そして、このような「虚構」を共有することで、人間は直接の面識を超えて協力することが可能になり、さらに、この「虚構」を組み替えるだけで、協力のあり方を素早く変化させることができます。

 この「虚構」が可能にした、柔軟かつ幅広い協力関係が、人間を一気に動物界の頂点へと押し上げたのだとハラリは考えます。

 続いてやってくるのが「農業革命」です。農業、つまり、人間が動物や植物を飼育するようになることは、食料生産を増大させ、人口増加を可能にし、のちの発展の基礎を作りました。

 ただ、ここでのハラリの議論が面白いのは、「農業革命」を「史上最大の詐欺」と位置付ける点です。

 確かに、農業革命は食料生産を増大させ、人口の増大と「分業=専門化」を可能にし、人類のその後の発展、すべての基礎を作り出しました。「分業を可能にした」というのは、余剰食料によって、食料生産以外の仕事に専門的に従事する人々が出現しうるようになるからです。

 しかし、こういったことは魚も動物も植物も食べていた狩猟採集時代にくらべて、多様性に乏しい貧しい食生活という犠牲を払ってのことでした。

 そして、問題は単に「食生活に多様性がなく単調だ」といったことにとどまりません。小麦なら小麦、じゃがいもならじゃがいも、米なら米と、単一の作物への依存度を高める点に、農業革命最大の「危険」が潜んでいます。

 すなわち、この依存が、飢饉のリスクを決定的に高めるのです。その単一の作物が不作となったとき、食料の供給は激減し、狩猟採集をしようとしても、もはやそれは増加した人口を支えきれるほどではありません。こうして悲劇の大飢饉が生じたというわけです。

 ハラリによれば、ほとんど18世紀にいたるまで、庶民の生活水準ということで言えば、狩猟採集民族の方が「マシ」だったそうです。

 そして、最後に「科学革命」がやってきます。ハラリの叙述に従うなら、領土の拡大を目指す「帝国」、利潤の拡大を目指す「資本」、そして絶えず新しい知識を求める「科学」の三位一体が近代初期に成立し、人類の進歩を急激に加速したのです。

 ハラリは、さらに、この「科学」は「歴史」を終わらせ、何か全く別のものを開始させる可能性をいまや孕んでいると診断します。

 例えば、「情報科学」の発展により、コンピューター上のデータと人間の間の垣根がなくなり(ある種の考え方に従えば、人間も本質的には遺伝子や脳の電気回路上の「情報」、あるいはもっと突き詰めると、最終的には「原子の配列という情報」にすぎません)、人間が電子的なデータの流れの一部となるとき、そこにもはや、少なくともこれまでと同じ意味では、歴史は存在しないでしょう。

 人間は、もはや人間、つまり、「ホモ・サピエンス」であることをやめ、何か神的な存在になるのでしょう。

 これが『サピエンス全史』につぐ彼の著作が『Homo Deus(神的人間)』と名付けられた理由であり、その最終章が「The Data Religion(データ宗教)」となっている理由なのです。

 さて、脱線が過ぎましたね。私たちは「りんご」の話をしていたのです。以上のように人類の歴史を振り返るとき、「りんご」は非常に宿命的な意味合いを帯びてきます。

 「りんご」は、まず、(少なくとも西欧的な解釈によれば)創造神話における「知恵の実」として、あきらかに「認知革命」を暗示します。

 続いて、そのような「りんご」の神話を語るユダヤ-キリスト教的な一神教は、これまた「農業革命」の産物です。

 狩猟採集社会が、ある意味で人間と動物や植物を同等とみなし、あらゆるものに生命と魂を認める多神教社会(animism!)なのに対して、農耕社会では、動物や植物は人間の飼育対象へと格下げされ、人間と唯一神との関係が問題となります。

 実際、「創世記」によれば、神は世界創造の第六日目に、まさに動物たちの支配者として、人間を創造するのです。

 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

 そして、「りんご」はさらに、「ニュートンのりんご」として、数学的自然科学の誕生にも立ち会います。

 最後に、ハラリが正しく、歴史とは全く別のものを開始する運動が、「情報技術(IT=Information Technology)」によるものであり、その意味で「情報革命」であるとすれば、ここにも「りんご」が関わっていることはあきらかでしょう。

 そう、「パソコン(PC=Personal Computer)」を普及させ、「スマホ(Smart Phone)」を広めた張本人にして、この話の出発点となったAppleです。

 こういうわけで、「りんご」は、人類の歴史を構造化する4つの革命に同伴する、非常に宿命的な果実なのです。

 だとすれば、おそらく私が「りんご」の「概念」を例にしたことも偶然ではないのでしょう。そもそも聖書によれば、この「りんご」こそ、そもそも「概念」なるものを可能にする「知性」を、人間に授けたものなのですから。

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重要接頭辞 1)para

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References   [ + ]

1. origin:起源・生まれ。original(オリジナル)は、その形容詞形。オリジナルはもちろん、オリジンも、「オリジン弁当」、「機動戦士ガンダム the origin」など、日本語でもよく聞きます。originalとは、「起源となるもの→独自のもの」という意味で、反対語は、すでにあるものを模倣した「コピー」。
2. ableは「されうる」という意味の形容詞を作る語尾です。
3. 彼は「パスカルの三角形」で数学の教科書でも登場しています。
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